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CHABE


CHABE
1970年生まれ、広島県出身。18才からDJ活動を始め、1995年に堀江博久とのユニット「NEIL & IRAIZA」でデビュー。「CUBISMO GRAFICO」名義でソロとしても活躍し、2003年からはAkira Tsuneoka、Syuta-Low "TGMX" Tagami、330、Yutaka Furukawaと組んだバンド「CUBISMO GRAFICO FIVE」でフロントマンとして活動開始(その後、330、Yutaka Furukawaが脱退、Shige Murataが加入し4人組に)。数々のリミックスやプロデュースも手掛け、最近では櫛引彩香トリオにも参加。2011年3月、愛称であるCHABE名義で初のアルバム『Me.』を発表。プレイヤーとしてもパーカッション、鍵盤、ギターを操り、あらゆるジャンルを股にかけてセンスあふれるサウンドに昇華する才能は、幅広いリスナーに加えて多くのミュージシャンたちから熱い支持を受け、海外でも高く評価されている。


CHABE
いよいよ開催目前! SHIMOKITAZAWA SOUND CRUISING出演者インタビュー最終回は、CHABE名義としては初のライブを行うことが決まっている松田“CHABE”岳二が登場! ソロ、バンド、DJ、プロデューサーなど、多彩な活躍を続けている彼が、自身の活動について、夜遊びについて、そして最初で最後かもしれないCHABEとしてのライブについて語ってくれました!


初めて話すCUBISMO GRAFICOからCHABEへ


──去年からCHABE名義で活動されていますが、何がきっかけだったんですか?

CHABE:CUBISMO GRAFICOとして10年くらい活動していて、それと並行してCUBISMO GRAFICO FIVEというバンドもやっているんですけど、みんなにとってCUBISMO GRAFICOっていう名前がバンドの名前に近づいてきてるように感じてて。例えばWikipediaとか見ても、ぐちゃぐちゃなんですよ。まぁ、そもそもそれを狙っていたし、バンドとしてたくさんお客さんについてもらった証拠でもあるので、いいことなんですけど、ここでその人たちを混乱させるのも悪いなと思って。

──それでソロ活動の名前を愛称であるCHABEに変えたと。

CHABE:名前に愛着があるんで、リミックスとかをやるときはCUBISMO GRAFICOも使うんですけど、去年リリースした『Me.』は、もう本当にプライベートな感じで小っちゃくやりたかったんで、CHABE名義にしたんですよ。そしたら発売5日前に震災が起きちゃって、みんなに説明する機会を失ってしまい…。

──取材前に過去のインタビューとか探したんですけど、検索しても全然最近のものが出てこなくて。そういう理由があったんですね。改めてになりますが、『Me.』という作品は、どういう経緯でできものだったんですか?

CHABE:その前にFIVEで作った『DOUBLE DOZEN』っていう激しいアルバムの揺り戻しなんですよ。『DOUBLE DOZEN』を出したときはツアーもやって、とにかく「ウォーッ!」みたいなライブをたくさんやってたので、ひとりでポツンとなったときに生まれてきたというか。両方出していきたくなるんですよね。

──CHABEさんって、すごく多彩な活動をされてますけど、いまのお話を聞いていると、全部つながっている感じがしますよね。

CHABE:そうですね。自分の好きなことしかやっていないっていうか。スケジュールも自分で決められるし、インディーなのでリリースのタイミングも自分で決められる、そういうペースでやっていけるのはありがたいですね。あとは、表に名前を出してないCMの仕事とかもやってるんですよ。そこでお金を稼げてるから、ソロでもバンドでも好きなことをストレスなくできてるところがあって。

──そういうのが全部繋がって、じゃあ次はこれやるかみたいな?

CHABE:そう。自然にやりたいことが出てくるっていう。『Me.』を作ったのは40才のときだったんですけど、DJとか始めて20年くらいで、ソロ始めて10年くらいで、そろそろ回顧してもいいじゃんって。楽しかった90年代みたいなこと歌ってたりとか。20代、30代は、迷わずやりたいことやればいいじゃんって、みんなに言うんですけど、40になったら死んだりするやつもいるし、別に振り返ったりすることも悪くないんじゃない?って。わりと開き直れた作品だったんですよね。

今回みたいなライブはもうやらないと思います



──今回のSHIMOKITAZAWA SOUND CRUISINGでのステージは、その『Me.』を再現するということですが…

CHABE:曲はとにかく気に入ってたんですよ。もうリリースから1年以上経ちましたけど、今回「CHABE名義でやりませんか?」って言ってもらったので、じゃあなんかやってみようかなって。こういうオファーをもらわなかったら、絶対やらなかったと思うんで。でも、そもそも打ち込みなので、再現することが不可能なんですよね。

──ゲストもいっぱい入ってるアルバムですしね。

CHABE:そうそう。だからどうやろうかなって思って。でも、ちょうど震災直後にSXSWでアメリカに行ったんですけど、そのときに見てきたいろんなライブを思い出したら、DJのようなライブのような、おもしろい形でできそうだなと思って。

──もう具体的に編成も決まってるんですか?

CHABE:決まってます。もうリハも始めてて。僕がDJっぽい感じでいつつ、歌も歌って、TA-1(古川太一、ex. Riddim Saunter、Anoraks、SUNNY CLUB、KONCOS)がドラムとかリズムとか鍵盤をちょっとやって、櫛引(彩香)さんがひたすらオクターブ上を歌うっていう。

──それはおもしろそう!

CHABE:音源では僕が上も下も両方歌ってるんですよ。だから、櫛引さんにはその上部分をやってもらって。ただ、シンセはだいたい3本重ねてるので、それは基本的にトラックで流して、TA-1が色付けをしてっていうのが核になる感じですかね。

──じゃあ、『Me.』を再現しつつ、音源とはまた違った形で?

CHABE:そうなんです。せっかくライブやるんで、メロウな曲とはいえ、深夜に揺れてもらえればいいかなって。

──こういう形でのライブはこの日しか見れない?

CHABE:あ、たぶんもうやらないと思います(笑)。とにかく音が再現できないんですよ。ギターの弾き語りでもないし。とりあえず今回できることを最大限やってみたいなと思いますね。

夜遊びが成長させてくれた



──最近の音楽シーンを見ていて、こういうイベントいいなぁとか、そういうのはあったりします?

CHABE:今回のSHIMOKITAZAWA SOUND CRUISINGもそうだし、SHIMOKITAZAWA INDIE FANCLUBとかもそうですけど、こういう近場のフェスみたいなのをバンバンやるのはすごくいいなぁと思ってて。野外のフェスもいいけど、遠いところでやってるフェスって、行くだけでもけっこう大変じゃないですか。地元にあるライブハウスでやるものに関しては、もっといっぱいあったら楽しいのになって。ハコ同士の交流にもなるし。

──毎週がフェスティバルみたいな。

CHABE:うん。夜遊びって楽しいじゃないですか。最近はみんな夜遊びしないんで。僕は週に1回か2回は絶対してるんですよ。

──それこそCHABEさんは、夜遊びがきっかけで曲のアイディアが生まれたり、活動が膨らんでいったりしてきたわけですもんね。

CHABE:そう。それがいろんなことを成長させてくれたんですよね。せっかくこういう機会があるんだから、みんなどんどん夜遊びしたほうがいいと思いますよ。

──今回のSHIMOKITAZAWA SOUND CRUISINGに来るお客さんには、どういうふうにイベントを楽しんでもらいたいですか?

CHABE:知らない人でも1曲くらい見てみるとおもしろいかもしれないですね。せっかくだから、新しい発見をしてほしいな。あと、夜遊びに慣れてない人は、すごい眠いと思うんですけど、がんばって朝まで起きて、朝寝ればいいじゃん。みんな若いんだから。「がんばれ!」