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後編


金子:1996年3月に出場を決めて、5月から6月くらいにアトランタオリンピック本大会が行われていたら、また違うかも知れないってことを言ってたじゃない。
前園:はい。間がない方がよかったですね。
金子:どんどんどんどん、おかしさって大きくなってきたの?
前園:う~ん……大きくなったかはわからないけど、それが結局、元に戻らないまま本大会という感じでしたね。
金子:最終予選の時のサウジアラビアも、ビデオで見て強いチームだったと。ブラジルのビデオを見ました。さぁどうでした?
前園:あの時は本当にもう。冷静に見てもこれは絶対に勝てる相手じゃないなと思ってました。それはもう、みんなも思っていたと思うんだけど。
金子:日本10、サウジアラビア15とすると。ブラジルは?
前園:いやもう、90とか100近い。
金子:ノーチャンスだよね。
前園:本当に。ボールを本当に取れないんじゃないかと思った。
金子:本気だったのか虚勢だったのか、この頃になるとややおしゃれになってきた山梨の少年は、「ロベルト・カルロス(ブラジル代表、スペイン・レアル・マドリード)の股を抜いてやる」とか言ってるわけですよ。大会前のインタビューで。おしゃれの先輩、鹿児島出身のキャプテンはどうだったんでしょう。
前園:いや~、そんな余裕なかったね。
金子:何を目標にあの大会には?
前園:僕個人としては、自分の今の力がどのくらい通用するか、それしか興味がなかったと言ったらあれだけど。とにかく自分が今やれるかを試したかったというのしかなかったです。
金子:測る場所がそれまでなかったからね。
前園:とにかく今の力がどれぐらいなのかにすごく興味があった。
金子:で、スタジアムに入りました(1996年7月21日、マイアミ・オレンジボウルスタジアム)。ここにカナリア色のユニフォームがいます。リバウド(元ブラジル代表)はいるわ、ロベルト・カルロスはいるわ。まだデブじゃないロナウド(ブラジル代表、スペイン・レアル・マドリード)はいるわ。
前園:痩せてましたね。
金子:アトランタオリンピック代表チームマッサーの並木磨去光さんによると、松田(直樹、横浜F・マリノス)君と中田英寿、それとアトランタオリンピック代表コーチだった山本(昌邦、ジュビロ磐田監督)さんだけが耳が柔らかかったと。緊張すると人間、耳がガチガチになってしまうらしいんだけど。日本代表の7番の耳はどうだったんでしょうか。緊張していた、やっぱり?
前園:どうなんだろう。緊張はしてましたね、やっぱり。
金子:サウジアラビア戦とは全然違う感じだよね。
前園:全然違いますね。また雰囲気も違ったし、相手はブラジルだし。よりによってこんな時にキャプテンだしみたいな。
金子:大恥をかくんじゃないかという恐怖はなかった? それこそ2002年の『FIFAワールドカップ』で、ドイツと戦ったサウジアラビア(2002年6月1日、札幌ドーム、ドイツ8-0サウジアラビア)のような無惨な。
前園:普通に行ったらそういう力の差はあったと思うんですけど。でも何とか、何かやってやりたいなと思っていました。
金子:キックオフ。いきなりドドドドッと来ると思ったら、案外ブラジルが来なかった。
前園:向こうもちょっと様子を見てたんじゃないですか。
金子:「やれる」と思った瞬間ありました、試合中?
前園:やれる……いや、ない。
金子:90分を通じて。
前園:ないですね。ないと言うか、自分のプレイもそうだし、ゲーム展開を含めてほぼ試合を支配されていたなという実感ばっかりでしたね。
金子:そして後半に入って、路木(龍二、元大分トリニータ)君のクロスから事故が起きちゃうわけですよ。
前園:路木って何やってるのかな? ふと思ったけど。
金子:九州仲間としてね。
前園:そうそう。
金子:どこで見ていた? あのゴールを。
前園:ハーフウェーラインよりちょっと前ぐらいだったと思います。
金子:路木君のクロスが上がりました。スタンドで見ていた僕は、あれはミスキックだと思った。路木君もちょっとミスキックっぽかった。あれを「素晴らしいキックだ」と言ったのは、アウダイール(元ブラジル代表)だけ。自分のミスなんだけど。
会場:笑い
前園:うん。
金子:あれ、ミスだと思った?
前園:僕はミスだと思いました。
金子:「しょうもないミスしおって」と。ヂダ(ブラジル代表、イタリア・ACミラン)とアウダイールが絡みました。その瞬間は?
前園:アレッと思いましたよ。まさかそんなね。ミスすると思ってなかったし。
金子:で、なぜか今で言うところのボランチだった伊東輝悦(清水エスパルス)君が前園くんの遙か前に。
前園:普通、俺が行ってないとおかしいよね、でも。
会場:笑い
金子:何してたの?
前園:バランスを保ってたんじゃないですか。たぶん下がって。テル(伊東輝悦)が前に出たんで、それ見て。
金子:なるほどね、キャプテンだねぇ。
前園:そういうことにしといて下さい。
金子:喜び? 決まった瞬間は驚き?
前園:いや、映像を見ても喜んでるんですけど、ちょっと驚いてる感じ。「ありゃ、やっちゃった」みたいな。
金子:さぁ、これでブラジルがいきなり火が着いちゃった。ボッコボコに出て来ましたね。
前園:ええ。
金子:バランスを取ることに専念したキャプテンは、残りの時間をどのように?
前園:いやもう多分、本当に守りに行っていたと思います、必死で。
金子:でも、1点差で残り時間が減っていく感覚というのは、サウジアラビア戦とはまた違ったんじゃないかなという気もするけど。
前園:全然違いました。でも、ブラジル戦のときは完璧に守りに入っていたから。サウジアラビア戦ではそこまではなかったけど。守りに入らざるを得なかった、ブラジル戦は。
金子:じゃ、隙を見て一発かましてやろうっていう余裕もなく。
前園:ない。
金子:あんまり喜んでないよね。
前園:喜んでないですね。
金子:つまらなかった?
前園:まぁ、そういった意味では。やっぱり全然力の差を感じたし、結果的には勝って(日本1-0ブラジル)、勝ち点3というのはOKなんですけど、全くこう喜びはなかったですね、やっぱり。
金子:あのときのブラジル代表は、94年の『FIFAワールドカップTM』に出たブラジル代表よりも結果が出せなかったんだよね。強いチームだったし、楽しいチームだったと思うんだけど。同じピッチの上で戦う選手として、誰が一番すごかったですか。
前園:う~ん。やっぱりロナウドじゃないですか。後半の途中から出てきて。
金子:まだゴルド(スペイン語で「太った」)というよりは、マグロ(スペイン語で「痩せた」)な感じだったよね。
前園:3人ぐらいでボールを取りに行ったけど、取れてなかったです。マツ(松田直樹)とか行ってたけど。片鱗はありました。
金子:リバウドは?
前園:もう、普通に上手かった。
金子:ボールタッチが違う感じ?
前園:ボールタッチは違うし、ボールを取られないですね。ボールの持ち方も上手かったし。
金子:ジュニーニョ・パウリスタ(元ブラジル代表)もいたし、ベベット(元ブラジル代表)もいたよね。
前園:それこそみんな世界へ出て、ヨーロッパでプレイしている選手ばっかりだったので。
金子:カフー(ブラジル代表、イタリア・ACミラン)もいて、フラビオ・コンセイソン(ブラジル代表、ドイツ・ドルトムント)もいて。でも勝っちゃった。あんまり嬉しくなかったといえども、勝ち点3。
前園:うん、ラッキーです。
金子:で、僕の作品の中では問題となるナイジェリア戦(1996年7月23日、アメリカ・オーランド、日本0-2ナイジェリア)。チームの雰囲気はどうだったんだろう。日本は1-0でいきなりブラジルに勝っちゃった。世界の松下(賢次、TBSアナウンサー)さんも絶叫してましたもん。
前園:してましたね。でも雰囲気は、何ていうか浮かれてもいなかったし、そういう意味では「次はナイジェリア戦」って気持ちはみんな切り替えてた。
金子:最終予選が終わってから、前園くんに芽生え始めたチームの中の違和感。これは大きな勝利でちょっと薄らいだ?
前園:う~ん。まぁでもそんなに変わらないですね。ただその、目に見えるものじゃないけど、何かまとまっている感じはなかった。
金子:今になったら俺もわかるんだけど、ディフェンスの選手達というのはいろいろ相談もできる。仲間がいっぱいいたわけだから。あのチームの中で、前園君にとっての精神的なパートナーは誰だったんだろう? 小倉君がいなくなった後。仲が良くなったとはいえ、年齢、キャリアを考えて、中田英寿に前園真聖が相談できたとはちょっと想像しにくいね。
前園:ええ。
金子:そういう存在じゃなかったような気がする。じゃ、誰と? 苦しいとき、辛いときに愚痴をこぼす、あるいは他愛のない文句を言い合う。前園君にとってそういう存在、このチームの中にいたのかな? 一人で抱え込むしかなかった?
前園:はい。まぁ細かい戦術とかの話はコミュニケーションしてたんですけど、それ以外はないですね。
金子:溜め込むしかなかった?
前園:それはもう最終予選からそうですね。
金子:それで頻繁に日本にいる小倉君に電話してたわけだ。で、ナイジェリア戦。オリンピック代表監督の西野(朗、ガンバ大阪監督)さんはつまらない試合に持ち込んで、0-0にしていいんだと。前園君はどんなつもりであの試合に?
前園:僕は勝ちに行ってました。勝てると思ってました。
金子:ブラジルに勝ったから?
前園:まぁ、それは違うけど。試合が始まって前半やってる中で、それはすごく感じた部分。
金子:大したことない?
前園:大したことないというか、今のこのナイジェリアだったら勝てるかなと。
金子:ブラジルほどの驚きはもうなかったわけだ。
前園:ない。やはり身体能力も高いし、上手い選手もいたけど。これだったら勝てるんじゃないかと。前半を戦いながら、それはすごく思っていた。始まる前は思ってないけど。
金子:始まる前はやっぱり警戒心もあり。
前園:もちろん。やっぱり強いチームだったし。でもプレイするごとに、これは絶対に勝てるなと。
金子:同時に、プレイしながら「勝てるな」と思ってない選手が、あるいは勝ちに行こうとしない選手がいることも当然気付いてるよね。
前園:もちろん、そうですね。
金子:で、ハーフタイム。前園君が言おうとしてたんでしょ。
前園:はい。
金子:西野さんに。
前園:今のこと、そのまんまですよね。「前半を終えて点は取れるし、これは勝てる相手だと思うからもっと攻撃的にシステムをやりたい」と言おうと思っていました。
金子:そうしたら、横から同じことを言いだした人間がいた。びっくりした? 最年少だしね。
前園:う~ん、まぁびっくりですね。試合中はその件については別にヒデ(中田英寿)とは話してないから。でも結局、実質3人ですよね。城と僕とヒデで、多分感じてることは一緒だったんじゃないかなと思って。俺が言う前に言いやがったから。
会場:笑い
前園:「あれ?」みたいな。
金子:西野さんはそれで激怒し、ヒデはハンガリー戦(1996年7月25日、アメリカ・オーランド、日本3-2ハンガリー)で外される。このときもし君が同じことを言っていたら、西野さんはハンガリー戦でどんな決断を下したんだろうと思うし。
前園:僕はみんなの前では言わないで、監督と2人で話そうかと思ってたんです。
金子:厳しい鹿実で育てられただけあるねぇ。
会場:笑い
前園:そういうふうに思ったんです。
金子:なるほどね。だから本人は何も言ってないけど.あそこでハンガリー戦で外されたことが、中田英寿のその後の日本代表に対する情熱というか、見返してやろう精神に火をつけたのは間違いないと僕は思うね。だけれども、もしあそこで前園真聖が先に言っていたら、ハンガリー戦で彼は当たり前のように試合に出ていたでしょ。そうなると、また彼の人生どうなったのかなとね。
前園:たぶん必然的に出てますね、ハンガリー戦も。替える理由もそんなにないし。
金子:そしてナイジェリア戦、後半もつまらない試合がだらだらと続きました。結果的に、攻めに行かないんだよね。
前園:行かなかったですね。カウンターで何本かしかチャンスがなかったし、ほとんどハーフウェーラインの後ろにいたんじゃないかな。
金子:で、マコ(田中誠、ジュビロ磐田)がケガして、秋葉(忠宏、徳島ヴォルディス)君が入って、最終ラインとゴールキーパーの間にボールが放り込まれた。どこで見てました?
前園:またもや多分ハーフウェーラインのあたりで。
金子:バランスを取ってました?
前園:見てましたね、スローモーションで。
金子:一番スローモーションに感じていたのは、飛び出すのが遅れちゃった能活だと思うけどね。
前園:能活が飛び出すところもスローモーションで見えてた。「それ、ちょっと遅いんじゃないか?」みたいな。
金子:で、ボーンと。怒り?
前園:う~ん、いや、怒りもありましたね。
金子:例えばこれがまとまってるチームであれば、「大丈夫、1点返す!」という反発心をあらわにする。一番わかりやすいのは、1994年アメリカワールドカップ予選のドーハの時。イラン戦(1993年10月28日、カタール・ドーハ、イラン2-2日本)で1点返した後、ゴンちゃん(中山雅史、ジュビロ磐田)がボールを持ってガーッと行った。ああいうシーンに現れると思うんだけども、あのときのアトランタの代表チームは、1点目でブッチンと行っちゃった気がする。本にも書いたけど、その直後、前園君も明らかなシミュレーションでコッリーナ(ピエルルイジ、イタリア・元FIFA国際審判員)さんを騙そうとしたでしょ。
前園:うん。さすがだよねやっぱり。上手いよね。さすがですよ。
金子:なんかあれはもう、前向きな気持ちじゃない現れだったような気がするのね。ガーッと行くんじゃなくて、「お願い」っていう。それはもうその後の鈴木秀人(ジュビロ磐田)君のハンドにも現れちゃってると思うし。
前園:あそこで本来ならファウルをもらおうじゃなくて、そのままやっぱりゴールに行ってたと思うし。
金子:いいときの精神状態だったらね。
前園:それはありますね。
金子:僕はセルジオ越後さんとスタンドで見ていて、試合が終わって、挨拶に来た選手と来てなかった選手がいた。「チーム壊れちゃったよ」とセルジオさんが言ったのがきっかけになって、本を書こうということになったわけですが、実際にチームが壊れちゃってました?
前園:うん、まぁそうですね。
金子:すっごく後味の悪い終わり方だったじゃない。
前園:そうですね。ハーフタイムのあれがあって、結果的に後半2点取られて。崩されたと言うよりもミスで。後味が悪かったですね。そのときはもう本当に、怒りがこみ上げてきたというか。
金子:でも、その怒りを分かち合うというか、口にすることで楽になる部分ってあるじゃない。その日の夜も前園君は呑み込むしかなかったわけ?
前園:そうですね。
金子:でも、ハンガリー戦は勝ったね。しかもあんまりもうみんな覚えてないけど、結構すごい逆転勝ちだったじゃない。
前園:そうですね。3-2。
金子:ハンガリー代表監督は「100年に1度の試合をやられてしまった」と。あれはまだ切れてなかった? 決勝トーナメント進出の夢は。
前園:それもありましたね。かすかな望みはあったし。
金子:3-0くらいで勝てば十分チャンスがあったし。でも3点を取りに行くサッカーでもなかったよね。いきなりキックオフからバックパスだったし。
前園:でも、やっぱり勝ちたかった、最後。負けて終わるのはイヤだった。
金子:どの段階で前園君は、自分自身は決勝トーナメントに行けないと知ったの?
前園:試合中の状況はベンチから随時伝わってたし。逆転したときも残り少ない時間で、それでもあと3点ぐらい取れなきゃいけないというのはわかってたし。常にその状況はもうわかっていた。
金子:ナイジェリア戦が終わったときに感じたのが怒りだったとすると、ハンガリー戦が終わったときに感じたのは?
前園:う~ん……「もうオリンピック終わったな」と。
金子:脱力感? 
前園:ええ。「やっと終わったな」と。 
金子:その日の夜、ささやかな打ち上げが開かれ、前園君の方から西野さんに寄っていったの?
前園:そうですね。
金子:正直な話、溝を感じてたでしょ。
前園:感じてましたね、はい。
金子:でも、そこで西野さんの所に行ったのはやっぱり「ありがとう」の気持ちで?
前園:もちろんそうですね。あのままそういう形で終わるのはイヤだったし、テーブルは監督やスタッフと分かれるじゃないですか。食事した後は自由だから、みんな帰る人は帰るし。でも、オリンピック代表の最初の頃から西野さんがずっとやってきて、そういった思いもあったし。一言お礼を言わなきゃなと思って。
金子:大人だねぇ。そんなエピソードを聞いちゃったら『28年目のハーフタイム』書けなかったと思う。
前園:でも、本当にナイジェリア戦とかいろいろあったけど、西野さんを含めて山本さんも、長いスパンでやってきたじゃないですか。そういった感謝の気持ちもあったし。
金子:で、帰国して、1 カ月後の『Number』という雑誌。世間を騒がすことになるインタビューが掲載されるわけです。
前園:騒がせましたか?
金子:かなりね。それ、次原(悦子、サニーサイドアップ社長)さんから聞かされたんだよね。
前園:
そうです。
金子:俺が聞くのも何なんだけど、どんな気持ちでした?
前園:う~ん、複雑というか。
金子:痛かったでしょ。
前園:まぁそうですね。そのときは。
金子:あのオリンピックの後、サッカーを楽しいと思った瞬間ってどれくらいありました? 
前園:どうだろう。もう終わった瞬間には、オリンピックを含めて世界に出たいって確信してたんで。海外でやらなきゃ自分も伸びないし、今必要なことはそれだと思っていたから、そのことしか考えてなかったです。帰ってきても、フリューゲルスでプレイしていても、そのことしか考えてなかった。その年の終わりには海外移籍。そう自分に頭の中でしがみついてました。
金子:具体的にも話は進んでいたわけだよね(1996/1997 年シーズン末、スペイン・セビージャとの交渉が直前で白紙撤回)。なぜスペインだったんだろう?
前園:何でですかね。やっぱりスペインのサッカー……
金子:当時まだスペインのサッカーに注目している人は……
前園:いないですね。
金子:みんな「セリエA、セリエA」って大騒ぎして。
前園:でもやっぱり、僕にとってはスペインのサッカーはすごく魅力的で。今はあれだけ注目されているけど、スタイル的にはそんなに昔と変わらないし、ボールを上手くつないで、テクニックがあって。
金子:何より「点を取りに行こう」という姿勢。
前園:そう。ゴール前でも素晴らしいイマジネーションがあるというのは、スペインだからだと思うし。
金子:その夢が無情にも壊れてしまったことで、やっぱり前園君の中で何か切れちゃったんだろうか?
前園:う~ん、それはありますね。そういう思いでプレイしていて、具体的に本当に最後の最後まで話が進んでいたから、自分でも行けると思ってたし。
金子:すごく残念だった?
前園:残念というより、悔しかったですね、あのときは。
金子:そうこうしているうちに、1998年『FIFAワールドカップTM』フランス大会の予選が始まる。誰もが前園君が中心になってやっていくと思っていた。『FIFAワールドカップTM』に懸ける思いというのはどうだったんだろう?
前園:やっぱり出たいけど……
金子:それよりもヨーロッパに移籍するという夢の方が当時は大きかった?
前園:全然大きいです。オリンピックが終わってから、『FAFAワールドカップTM』というのは全然頭になかった。
金子:そうだったんだ。
前園:全くないです。
金子:見てはいたよね。
前園:もちろん見てました。
金子:ジョホールバル(1997年11月16日、『FIFAワールドカップTM』フランス大会予選、マレーシア・ジョホールバル、日本3-2 イラン)をテレビで見ていて、自分がそこにいない悔しさみたいなのは、そのときの前園君にはなかったわけだ。
前園:もちろんあります。だけど、やっぱり海外というのが離れなかったですね。
金子:ジョホールバルが終わってしばらくすると、一躍時代の寵児となった、すっかりおしゃれさんになった少年(中田英寿)がですね、「ゾノ( 前園) を代表に」とあちこちでアピールするようになった。どんな気持ちでそれを聞いてました?
前園:う~ん、複雑でしたね。嬉しいのもあったけど、そのときちょうどフリューゲルスからヴェルディに移籍した年だったので。
金子:冷たい目にさらされてね。
前園:あいつが言っていることは本当に嬉しかったけど、それよりも自分のプレイができていないもどかしさもあったし。複雑でしたね、それは。
金子:自分のプレイができていない原因はどこにありました? あの頃にちょうど『Number』で、それこそ中田英寿が「一度ゾノと会わなきゃダメだ」って一生懸命に間を取り持ってくれて、インタビューさせてもらって。「ギラギラした目を取り戻したい」って言ってたよね。
前園:はい。だからやっぱり、サッカーが楽しくなかったですよね、とにかく。ずっと楽しくやってたわけじゃないけど。もちろん練習は苦しいし。でも、やっぱりサッカーが楽しくなかったです。楽しくないなりに、無理に「やらなきゃな」っていう感じだったですね。
金子:その後、本心から楽しくやれた瞬間っていうのは訪れたんだろうか。
前園:う~ん。楽しいときもありますね、一瞬一瞬は。でも、本当に満足するというか、体の、心の底から楽しいと思ったことはないです。
金子:じゃあ、前園真聖にとってのそういう最後の試合というのはサウジアラビア戦になるんだろうか、やっぱり?
前園:そうですね。もう、オリンピックもちょっと違うかな。
金子:今もし、一度だけ人生を好きな瞬間からやり直していいという薬をもらったら、どこで使います?
前園:もし使えたら? どうかなぁ……金子:国見に入学する?
前園:そこまでは戻りたくないなぁ。
会場:笑い
金子:国見もまた練習キツかったからね。
前園:どうだろうなぁ……やっぱりオリンピック前かな。本大会の前ぐらいかな。
金子:そこに戻って、あのときできなかった何をしますか。
前園:本当にあのチームはいいチームだったし、もちろんその後、代表とかもいろいろあったけど。本当に僕の中では素晴らしいチームだったから、そのまんまオリンピックを戦いたかったし、それでその後に海外に移籍できれば。その後どうなったかわからないけど、戻るとしたら、や直すとしたらそこがいいですね。
金子:あの時の前園君の立場って、ちょうどWBCの大会が始まった頃のイチロー(シアトル・マリナーズ)君にも似た立場だったんじゃないかなという気がするのね。ちょっと他の選手からすると遠い。でも、結局イチローくんは降りてきたじゃない。当時23歳の前園真聖が、それをやるのは酷なんだけど、それができていたらまた全然違ったのかもしれないね。
前園:はい。本当に自分のことで一杯一杯だったし、あの頃は。必要以上に持ち上げられてる自分も何かよくわかんなかったですね。フワフワしてた感じですよね。だけどやっぱりしっかりやらなきゃいけないっていう。
金子:ストレスはどんどん花粉症のように溜まっていき。
前園:溜まってましたね。それがやっぱり、マスコミに逆に、悪い方に取られたりとか。
金子:一度はまっちゃうと、わかっていても抜けられないよね。
前園:そうですね。
金子:で、今やマスコミの側に入られた前園選手ですが、これはこれで楽しいですか?
前園:楽しいですね。
金子:今、本当に楽しそうな顔して言ってくれたね。
前園:楽しいですね、思ったよりも。
金子:番組が終わった後の女子アナとの合コンが楽しいとか、そういうんじゃなくて?
前園:1回もないです、まだ。
金子:そういうことにしたるわ。
前園:でも、楽しいけど変な感じですね。代表に取材に行っても能活とかいるし、マコとかもいたし。向こうも何かヘンな感じで質問を受けてて。それはそれで結構面白かったですよ。今度は今までと違った形で話もできるし。そういう面白さはありますね。
金子:緊張はあんまりしない方?
前園:いやぁ、しますね。
金子:アメリカ戦(2006年2月10日、アメリカ・サンフランシスコ、日本2-3アメリカ)がデビューだよね? そうか、高校サッカーでも喋ってるか。
前園:そうですね。はい。
金子:日本代表の『FIFAワールドカップTM』ドイツ大会はどうですか。
前園:いや~、厳しいことは厳しいですよね。
金子:決勝トーナメントに行けそう?
前園:う~ん、どうなんだろう。
金子:100万円を賭けないといけないとしたら?
前園:何でそこで100万円なんですか?
金子:僕にとってパッとイメージできる大金っていう感じ。
前園:う~ん、個々の選手が力を出して、普段通りの力をフルに出せれば行ける可能性はあると思う。ただ、それが全員できるかなというのは感じるけど。
金子:『アトランタオリンピック』の時に、チームのシンボルとして、周囲に相談相手というか、愚痴をこぼす相手のいなかった、ストレスを溜め込むしかなかった経験を持つ人間として、今の日本代表における中田君の存在を見てどう思いますか。
前園:やっぱり同じものはあると思う。
金子:辛そうだよね。
前園:彼も多少立場があると思うし、大変だと思う。
金子:その立場になった者じゃないとわからないでしょ、それは。
前園:そうですね。やっぱり考えているというか、彼の思っていることは他の選手と違うところにあると思うし、彼もなかなか妥協できる選手じゃないし。すごく大変だと思う。
見ていてもわかるし。
金子:結果的にどれだけ助けになったかわからないけど、でもあのときの前園君にとって、プレイできなかったとはいえ、小倉君との電話でのホットラインは、いくらかの息抜きの場というか、ストレスを抜いてくれる場でもあったと思うけど。
前園:ええ。そこしか頼るっていうか、なかったし。
金子:で、今はゾノがその役割をする時なんじゃないのって思うけど。
前園:そうですね。本当に、ヒデに5~6年会ってなくて。やりとりはメールだけ。
金子:ヒデのホームページを見てると、悲鳴に思えてきちゃうんだよ、俺は。日本代表の現状について。
前園:だから、日本代表の試合の後は必ずメールしてるんだけど。
金子:悲鳴だよね。嘆いてますね。
前園:それはずっと変わらないから。2006年5月に『キリンカップサッカー』で会えるのをちょっと楽しみにしてるんですけど。
金子:インタビュアーとして。
前園:はい。
金子:それ、おもろいなぁ。
前園:そうでしょ。
金子:どう切り出す? 第一声。
前園:そこが難しいよね。難しいというか、照れるし、あとカメラが回ってるでしょ、当たり前だけど。それが難しいですよね。こういう立場になるとね。
金子:でも、じゃ普通のアナウンサーの方がインタビュアーとして行くようなわけにはいかないじゃない。意味ないし、それじゃ。
前園:普通のことを聞いても多分、意味ないと思うから。
金子:当たり障りはないんだけど面白くなきゃいけない。
前園:そうですね。何かちょっと考えておきます。
金子:『キリンカップサッカー』の放送は日本テレビだっけ? 
前園:はい。僕は多分、テレビ東京の仕事で行くと思います。
金子:『FIFAワールドカップTM』ドイツ大会は行くの?
前園:行きますよ。
金子:フランクフルトにアパート借りてますから、いつでもいらしていただければ。
前園:あ、そうですか?
金子:酒、食いものを用意して。
前園:わ~、飲まされそう。
金子:今回、高田延彦さんはいないから。
前園:じゃ大丈夫だ。よかった。
金子:一度、前園君と飲んでるときに高田さんが乱入し、僕は途中でバックレたんですが前園君は5時まで拉致され……
会場:笑い
前園:噂は聞いてた。体育会系で、ガッツリと朝までというのは聞いてたんで。
金子:モノマネバーとか行ったんでしょ? ワケわかんない。
前園:いや~、底なしですね。
金子:本人に言わせると相当弱くなったらしいけどね。
前園:いや~、まずいですよ。
金子:九州男児にしても。
前園:もう全然ついていけないです。
金子:でも頑張ってたじゃない。
前園:でも途中、水とか入れてたんですよ。水を飲んでたんだけど、見てるんですよ、やっぱり。周りが見えてる。見られていて。
金子:あの視野の広さがヒクソン(グレーシー) とやった時にあったら……って高田さんも嘆いてるんだけど。
前園:アスリートでした。
金子:ねぇ。最近また元気だからつきあってあげてよ。そろそろ会場の方から、せっかくの機会ですから前園君に質問があったら。その前に、まず女性のお客さんに代わって聞いておかなくてはならないのは、結婚の予定は?
前園:俺ですか?
金子:俺が結婚してどうするんだよ。
前園:いや、ないですね。
金子:だそうです。
客1 :前園さんの引退を聞いたとき、ものすごくショックを受けたんですが。今ここだから言えるという部分で、引退直前にいくつかオファーもあったかと思いますけど、できれば具体的なチーム名を教えていただければと思います。
金子:言っちゃえ、言っちゃえ。
前園:そうですね、まぁそんなにたくさんはなくて、僕と一緒にプレイした人が監督になられて、そういう人に声をかけてもらったことはあります、はい。
客2 :『アトランタオリンピック』のときも監督とうまく合わなくてチームが壊れちゃったみたいな話がありましたが、今の中田選手も代表で同じだと思うんですけど、監督が違えばチームが壊れかけていることも修復できるんではないかと個人的には思うんです。前園さんが思うに、自分がいたチームの中で一番好きだった監督はどなたか。今、日本代表はジーコ監督ですが、中田選手とくっつけるためにこの人がいいんじゃないかという提案があったら教えてください。
金子:全員が嫌いと言うわけにいかないでしょう、今までの監督。
前園:そうですね。嫌いというのはないんですけど、やっぱりどんな一流の選手でも、監督と合う合わないっていうのはすごくあって、いまスペインのバルセロナで活躍しているロナウジーニョ(ブラジル代表)だって、フランスのパリ・サンジェルマンでは全く駄目だったっていうのもあるし。
金子:鹿実の松沢さん?
前園:松沢監督は監督というより、本当にお父さんみたいな感じなんで。
金子:ボッコボコに。
前園:ボッコボコに。スパルタで。
金子:じゃ、松沢さんがお父さんだとしたら、監督は?
前園:う~ん。僕はやっぱり西野さんですよ。それはもう、オリンピックのときはいろいろあったんですけど、選手の能力を一番うまく使う監督は西野さんだと思いますね。それが今に繋がっているんじゃないかと思います。それと日本代表の監督……どうなんでしょうね?
金子:オイオイ、俺に振るなよ。
前園:どうなんだろうなぁ、難しいなぁ。
金子:監督としての能力はともかくとして、今の方は人柄はぴったり合ってるよね、ヤツと。「彼が監督じゃなかったら日本代表に行ってない」って言ってますから。ただ、監督としての能力というのはかなり……と僕は個人的に思う。
前園:そういう感じですね。はい。
金子:あのさぁ、それズルくない? 今、俺が言ったの。
前園:僕が言いたかったこと言ってくれて。
金子:いやいやいや、それじゃ、テレ東で生きていけないと思う。
前園:いけないですか? 代表監督は僕は個人的には、『FIFAワールドカップTM』もそうですけど、そろそろ日本人の監督にやって欲しいという気持ちはあるんですけど。それこそ西野さんですよ。1回やってもらいたいです。はい。
客3 :海外を転々とされて、ゴイアスから韓国まで回られましたが、そのときのサッカー選手としての目標と、ブラジルから韓国までの間に、前園さんが人間としてどういう経験をしてきたのかが知りたいです。
前園:海外に行くと、もちろんサッカーもそうですけど向こうで生活するわけで、環境もそうだし、文化、言葉の問題もあって、そういうものが僕自身、今こういう立場になって、これから役立ってくると思うんですね。先週スペインに行って、ロベルト・カルロスにインタビューを取ってきた時も、ブラジルに行ってたので僕はポルトガル語を喋れるんで、そういう話もできた。彼も『アトランタオリンピック』のことを覚えていて、「本当に今日のように覚えている」と言ってたんですけど。世界を転々として、その中で人脈も作れて、サッカーを辞めてもそういう人たちと話ができて、向こうも自分のことを覚えていてくれる。そういうことがこれから、すごく役立ってくると思う。僕はそういう風に思っています。
金子:あと、間違いなく言えるのは、韓国に行って、徹底した儒教の精神の中で生きてきたことで、大変に言葉遣いが丁寧になられました。実際そうなんですか?
前園:そうですね。本当に上下関係というのがしっかりしているので。目上の方を敬う。その辺は、なかなか日本のサッカー界ではあまり……それがいいのか悪いのかわからないですけど、その辺は改めて勉強になりました。
客4 :クアラルンプールの試合を生で観戦させていただいて、今日は楽しみに来ました。『アトランタオリンピック』ではオーバーエイジを使わずに本戦まで行きましたが、先ほどの前園さんのお話を聞いて、精神的に頼れる存在ということで、もしかしてオーバーエイジの選手が入っていた方がよかったのではないかと思うことはありますか?
前園:僕自身はそういう風に思ったことはないですけど。確かに誰か、例えばカズさん(三浦知良、横浜FC)さんとかがいた場合は、そこで話ができて、頼れる部分もあったと思うんですけど。でも、あのときのチームは自分もほかの選手も監督も含めて、「このチームで行く」という気持ちが一つだったので、結果的にはそういう風になりましたけど、それはそれで良かったと思います。
客5 :記憶が定かではないんですが、ファルカン監督(元日本代表監督)のときに代表にいらっしゃいましたよね。あのとき韓国に負けたんですけど(1994年10月11日、広島アジア大会、広島スタジアム、日本2-3韓国)、あのアグレッシブさは今まで見たことがなくて、すごく感動したんですね。ファルカン監督はあれで辞めたんですけど、前園さんの個人的な意見では、あのチームで続けていった方が良かったと思いますか。
前園:そうですね。まぁ半年ちょっとで、あれに負けて結局、監督更迭という形になったんですけど。あのチームで始まって、アジア大会ですぐに終わっちゃったんで、そういう意味ではもう少し長いスパンでできれば、また違った形になったんじゃないかなと思います。ただまだあのときは、日本のサッカーもサッカー協会も含めて、そういったことがまだ目標とか、長いスパンで考えていくことをしてなかったと思うんで。僕個人としては、
ファルカンとはもう少し長い形でやれたらと思っていました。彼が現役のときのプレイも見てるし、すごく勉強になったことも多かったんで。
司会:いかがですか前園さん、あっという間に時間が過ぎてしまいましたが。
前園:楽しかったです。なかなかこういう機会がなかったんで、金子さんとこういう話ができて、皆さんに聞いてもらえて非常にいい時間を過ごさせてもらいました。
司会:金子さんとも昔とは全然違う気持ちで?
前園:そうですね。お酒はあんまりですけど、先輩なんで勉強させてもらいます。
司会:金子さんも、どうぞひとこと。
金子:もちろん楽しかったんですが、僕としては一つだけ不満がありまして。というのは、まだ前園君にとってピッチでプレイする「お別れ試合」ができてない。これは僕だけではどうにもできないことなので、皆さんの力で前園真聖、それからもう1人、小倉隆史の「ありがとう試合」ができたら。
会場:拍手
金子:日本サッカー協会が企画するんじゃなくて、ファンの声で実現できたら。ドイツでの『FIFAワールドカップTM』が終わったあたりでもやれたらすごく嬉しい、ぜひやりたいと思っています。あと何年かすると、きっと太るんですよ。今がラストチャンスですから。
前園:太らないように頑張ります。
司会:ということで、お別れ試合に期待をしていいですね、前園さん?
金子:これは前園君がどうこうというよりも、本当にファンの方がどれだけ声を上げてくださるかだと思うんですよ。お上がやってくれるのを待ってたら、いつまで経っても実現しない。だからファンの手で立ち上げて、ファンによる前園真聖の引退試合をできるぐらいの力は日本のサッカーファンは持ってるぞというところを見せてあげたいなと思います。
司会:その声が大きくなって届くように期待したいと思います。ということで、本日のゲストは前園真聖さん、そしてホストは金子達仁さんをお迎えしてお送りしました。お二人ともどうもありがとうございました。
会場:拍手
司会:さて、2 時間お送りして参りました「ぴあトークバトル」、50回目の記念すべき夜でしたけど、皆さんいかがでしたでしょうか。この後もトークバトルは51回目も52回目もどんどん続いていく予定です。次回に関して詳細は未定ですが、ホームページの@ぴあ、それから雑誌「Weeklyぴあ」で告知させていただきますので、ぜひご確認をいただければと思います。また今年は今日も話題に出ました、ワールドカップイヤーです。Jリーグもスタートして、もうヒートアップしていくばかり。そして、今週水曜日からは『ヤマザキナビスコカップ』もスタートします。チケットのお求めはぜひ@ぴあサッカーでチェックしていただければと思います。本当に記念すべき夜に皆さんおつきあいいただきまして、どうもありがとうございました。本日ここまでのお相手は熊谷心でした。またいつかお会いしたいと思います。ありがとうございました。
会場:拍手

取材・構成:CREW
撮影:新関雅士