――意外にも明治座には初登場だそうですね。
出演は初めてですけれど、歴史のある劇場ですからね。子どものころ、先代の(市川)猿之助のおじさん(現・猿翁)がよく明治座で芝居をなさってらしたので、観せていただいた思い出があります。『伊達の十役』なんかをよく覚えてますね。
――獅童さんにとって、やはり歌舞伎はホームグラウンドという感覚ですか。
そうですね、自分が育ってきた場所ですから。現代劇のお芝居や映画もさせていただきますけど、すべての基本は歌舞伎で学んだことなので。表現方法は変わっても、根底にあるものは一緒なんです。テレビでしか僕を知らない方が歌舞伎を観てくださると「やっぱり歌舞伎の人なんだ」なんて言ってくださいますけど、歌舞伎では現代劇をやっている中村獅童とはまったく違う、「歌舞伎役者・中村獅童」が存在しないといけない。よく言うんですが、やっぱり歌舞伎は自分にとって「魂のふるさと」ですね。
――その魂のふるさとで、昼夜3演目に主演とフル回転です。歌舞伎の公演で中心を担われることには格別の思いが?
それは非常にありがたいことですけれど、あまり意識しないほうがいいかなと(笑)。
――昼の部では『瞼の母』の番場の忠太郎役。幼い頃に生き別れになった母親を追い求める、長谷川伸の人情ものです。

『瞼の母』
忠太郎役は3年前に博多座でさせていただいて、巡業も含めると今回で3度目です。これは歌舞伎の中でも「書き物」と言われるジャンルで、言葉がわかりやすいんですよ。映画にも舞台にもなっている時代劇の名作ですね。忠太郎は(萬屋)錦之介の叔父も当たり役と言われていた役柄で、僕にとっては亡くなられた(中村)勘三郎のお兄さんにお稽古していただいた、思い出深い演目なんです。勘三郎のお兄さんが勘九郎時代に歌舞伎座で忠太郎をおやりになった時に、僕は弟分の半次郎という役をさせていただいたんです。台詞がたくさんある役は初めてだったので、歌舞伎の中でもリアリティのある「書き物」ならではの芝居を稽古していただきました。実際に僕が忠太郎をさせていただく時には、小日向のご自宅でお稽古していただいたんです。勘三郎のお兄さんは「忠太郎みたいな役は獅童に合うよ」とおっしゃってくださいましたし、錦之介の叔父への思い入れもあって、今回、ぜひさせていただきたいなと思いまして。
――勘三郎さんからは役柄についてどんなお話がありましたか。
やはり母親を想うという気持ちが一番大事だ、と。長谷川伸先生の作品はご自身の経験もあると思いますが、母と子の作品が多いんです。中でもこの作品はストレートに、生き別れになった母親を恋い焦がれる物語。とにかくハートでやる、ということですね。勘三郎のお兄さんは僕がどんな役をさせていただく時にも「心が大事だ」ということをおっしゃっていました。教わったことを大切に、自分なりの忠太郎像にできればと思っています。
――夜の部はまず歌舞伎十八番の『毛抜』です。
これも実は亡くなられた(市川)團十郎のお兄さんに教わったんです。若手中心の浅草歌舞伎で10年近く前に初めてさせていただいたんですが、勘三郎のお兄さんと共に、残念ながらもういらっしゃらないお二方への思いも込めて、させていただきたいなと。
――シュールでいかにも歌舞伎らしい演目ですね。お姫様がかかってしまった難病のナゾを、獅童さん演じる粂寺弾正(くめでらだんじょう)がスッキリ解決!
本当に「ザ・歌舞伎」と言いたくなる演目ですね。リアルに考えたらおかしいことばかりで、いい意味で歌舞伎が持っているバカバカしさが満載なんです。そもそも「髪の毛が逆立つ」というお姫様の難病がおかしいし、話のカギを握る毛抜が異常にデカイとか、言い出したら切りがない(笑)。もうね、“大人計画”の方がこれを見たらすぐパロディにするんじゃないかって思うくらい。僕もそんなポップでシュールなところが大好きで、浅草歌舞伎の時も、若い人たちにぜひ観てもらいたいと思ってさせていただいたんですよ。「若い方たちも観て楽しめる演目を」ということはいつも考えていますね。
――歌舞伎の「入口」にはピッタリですね。弾正は男女関係なくちょっかいを出しますし。
そう、男にもセクハラするんです(笑)。スケベで出来すぎてない人というのが現代劇にも通じるものがありますよね。ちょっとひょうきんな二枚目半のところもありつつ、次々にトリックを解明していく。今でもドラマにありそうな主人公のパターンだと思います。
――團十郎さんから教わられたのはどういった部分でしたか。
傍目には大して動いてないし大変そうに見えないんですが、台詞の量が膨大なので、ものすごくキツいんだよ、ということをおっしゃっていました。台詞と台詞の間の句読点の部分のどこで息を吸うかも、すごく重要な演目なんです。実際に衣裳を着けて舞台に立つと、思っていた以上に大変でした。最後はバーッとまくしたててしゃべるので、決まったところでちゃんと息を吸えていないと、最後まで台詞が言えなくなってしまう。ある種の台詞劇でもあるんです。ただ、初めて観る方は台詞の意味が100%は分からなくても、ストーリーは簡単なので楽しんでいただけると思います。

『毛抜』
――夜の部の最後は『権三と助十』です。『瞼の母』と同じく、歌舞伎としてはわりと新しい作品ですね。
これもいわゆる「書き物」で、大正時代に書かれた岡本綺堂の世話物です。おかしみのあるわかりやすい話ですから、楽しんでいただけるんじゃないかな。
――かごかきの権三と助十が住んでいる長屋で、昔の強盗事件の真犯人探しが始まります。
長屋の人間がワーッと大勢集まる場面もありますし、群集劇でもあるんですよ。ただ、一番気をつけないといけないのは、こういう芝居は現代劇っぽくなってしまうとダメなんです。歌舞伎の世話物というのは、リアルさはあっても、「歌舞伎味がないといけない」とよく言われます。だから若い時というのは、あまりチャレンジできないんですよね。まずは型のある時代物から教わって、だんだん自分の味がつかめてきた頃に、こうした世話物をやるようなる。順序があるんです。今回のように若手のメンバーで、しかもほとんどみんな初役というのは珍しいかもしれない。僕も初めてなので大きなチャレンジですね。
――これもどなたかに教わられるんですか?
実は(坂東)三津五郎のお兄さんが病気療養の発表をされる前の日に、全然知らずにご相談にお伺いしたんです。お兄さんは権三も助十も両方おやりになっているし、芝居のこともよくおわかりになってらっしゃるから。ただ、そんな状況だったので、急きょその場で芝居の勘どころのお話や、役柄のアドバイスをしていただきました。これから稽古しながらみんなと相談することも出て来ると思いますけど、お兄さんがおっしゃったことをしっかり肝に命じてさせていただきたいと思っています。
――歌舞伎の世話物はテレビの時代劇と同じような感覚で台詞もわかりやすいし、わりと観やすいなぁと思ってしまうんですが、演じる方にとってはなかなか手ごわいんですね。
そうなんですよ。時代物の経験をきちんと積んでおかないと、さっきもお話ししたように「歌舞伎味がないね」と言われてしまう。『瞼の母』にしても、長谷川伸先生ならではの「謳って」言わなきゃいけない台詞があるんです。そこをスラスラ〜っと流して言ってしまったら、長谷川伸先生特有の言い回しの味わいがなくなってしまいます。『権三と助十』は今回の演目の中でも、実は一番難しいかもしれないですね。でも、みんなで力を合わせて、活気あるいい舞台にしたいと思っています。
――獅童さんご出演以外の演目だと、昼は市川右近さんと市川笑也さんの『鳴神』、尾上松也さんの『供奴』。夜は右近さんと市川弘太郎さんの『連獅子』。人気演目が並びますね。
『毛抜』や『鳴神』のように「ザ・歌舞伎」といえる歌舞伎十八番ものがあり、『供奴』『連獅子』という舞踊があり、『瞼の母』『権三と助十』という「書き物」の世話物があり。歌舞伎のさまざまなジャンルの演目を楽しんでいただけるんじゃないかな、と。
――楽しみです。さて、昨年ご自身は40代を迎えられましたが、改めて感慨はありますか。
気持ちは20代も30代も40代も変わらないですけど、自分がこれまで経験してきたものを土台に、歌舞伎においても40代のうちに新たなチャレンジをしてみたいと思っています。それが新作という形になるかはわからないですけれど。とにかく充実した時間を過ごしたいですね。
取材・文:市川安紀
プロフィール
1972年、東京都生まれ。祖父は昭和の名女形と謳われた三世中村時蔵、その三男三喜雄の長男。映画俳優の故・萬屋錦之介、中村嘉葎雄は叔父にあたる。81年、歌舞伎座で二代目中村獅童を名乗り初舞台。2002年、映画『ピンポン』のドラゴン役で注目を集め、以降、映像でも活躍する。近年の出演作に、映画『硫黄島からの手紙』『レッドクリフPARTⅠ&Ⅱ』『ガッチャマン』『天心』、NHK大河ドラマ『八重の桜』、NHKEテレ『歴史にドキリ』、舞台『淋しいのはお前だけじゃない』『YAMATO 大和三銃士』など。歌舞伎俳優としても意欲的に活動を続け、近年では『仮名手本忠臣蔵』の桃井若狭之助と斧定九郎、『天日坊』の地雷太郎などで高い評価を得ている。屋号は萬屋(よろずや)。