2011年1月、NIPPON文学シリーズ第1弾「金閣寺」(演出:宮本亜門)で華々しく開場したKAAT神奈川芸術劇場。日本オリジナルで世界基準の舞台作品の創作をめざすべく、KAATではじまったクリエーションの第1作目「金閣寺」は、太平洋を越え2011年のリンカーン・センター・フェスティバルへの正式参加作品となりました。まさに芸術監督のビジョンが、全世界に向けて大きなはじめの一歩を踏んだのです。このNIPPON文学シリーズは、KAAT芸術監督の宮本亜門がこの劇場で打ち出している大きなクリエーションの柱の1つです。劇場を「我々はなぜ生きるのか、どのようにして生きるのか」を考える場にしたいという、宮本亜門が掲げているビジョン。日本文学を足がかりに、宮本亜門のビジョンを実現する作品づくりを進めてまいります。 劇場に足を運んでくださった皆様、さらには創作に関わっている私たちが、ともに時間と空間を共有しながら、明日の自分をより深く生きるための「よき時間」を体験することができる作品作りを目指します。
そして、宮本亜門はNIPPON文学シリーズの第3弾として、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)原作「耳なし芳一」を手がけます。
誰もが子どもの頃に「怖い話」「昔話」として触れたことがあるこの物語。伝説、幽霊話などとして伝わっていたお話を、小泉八雲が「怪談」で取り上げ、広く知られるところとなりました。この「耳なし芳一」の物語の持つ要素は、さまざまな作家、映画監督、あるいは劇作家が自身の作品の中に盛り込み、いろいろな形に変容されて、現代に引き継がれています。
「壇ノ浦」の戦いで滅びた平家の怨霊に届くその琵琶の音は、いったいどのように響いたのだろう。その音色が今の日本に響いたとしたら、私たちは何を感じるのだろうか。そして芳一という存在は・・・。
小泉八雲が愛した日本は、目に見えないものと共存しています。彼は、単に恐ろしさを伝えようとしたのではなく、目に見えないものへの畏怖と敬意を持ち、人々の心のひだに手を差し伸べています。
2012年4月のリーディング公演(KAAT・中スタジオ)を経て、今回2013年に本公演を迎える本作のプロダクション。小泉八雲が紡ぎだした言葉の世界を、現代に生きる私たちへ、宮本亜門がその演出で橋渡しします。世界が再び大きく激変する21世紀に入り、答えを出せない、あるいはまだ出したくない私たちに、「何か」のきっかけになる「響く」作品をお届けます。
山本裕典 安倍なつみ
橋本淳 花王おさむ 大西多摩恵
大駱駝艦 (若羽幸平 橋本まつり 鉾久奈緒美)
益岡徹
阿弥陀寺に芳一という盲目の琵琶法師が住んでいた。芳一は平家物語の弾き語りが得意で、特に壇ノ浦の段は「鬼神も涙を流す」と言われるほどの名手だった。
ある夜、寺の和尚が留守の時、突然一人の武士が現わる。芳一はその武士に請われて「高貴なお方」の屋敷に琵琶を弾きに行く。 壇ノ浦の戦いのくだりを演奏すると、皆熱心に聴き入り芸の巧みさを誉めそやす。芳一は七日七晩の演奏を頼まれ、夜ごと出かけるようになる。 和尚は目の悪い芳一が夜出かけていく事を不審に思い、寺男たちに後を付けさせた。 すると芳一は一人、平家一門の墓地の中におり、安徳天皇の墓前で無数の鬼火に囲まれて琵琶を弾き語っていたのだった。
事態を案じた和尚は、芳一の全身に般若心経を写し、武士が迎えに来ても返事をするな、と堅く言い含めて夜を待つことになった。 その夜、芳一が一人で座っていると、いつものように武士(平家の怨霊)が芳一を迎えに来たのだが・・・。 経文の書かれた芳一の体は、怨霊である武士には見えない。 やがて芳一の耳だけが闇に浮いているのを見つけ、「芳一がいないなら仕方がない。証拠に耳だけでも持って帰ろう」と耳をもぎ取って去っていく。
朝になって帰宅した和尚は、芳一の様子に驚き詫びるのだった。体に写経をした際、小僧が耳だけ書き漏らしてしまったのだ。 その後、怪我は手厚く治療される一方、この不思議な事件が世間に広まり、芳一は「耳なし芳一」と呼ばれるようになった。 琵琶の腕前も評判になり、何不自由なく暮らしたという。
「怪談」(Kwaidan)は、小泉八雲が著した怪奇文学作品集。1904年出版。
八雲の妻である節子から聞いた日本各地に伝わる伝説、幽霊話などを再話し、独自の解釈を加えて情緒豊かな文学作品としてよみがえらせた。17編の怪談を収めた「怪談」と3編のエッセイを収めた「虫界」の2部からなる。「耳なし芳一のはなし」は「怪談」に収録されている。