ヴィオレッタのピュアな「光」と強烈な「魂の欲求」を描きたい
- ――新制作『椿姫』の演出をなさるブサールさんですが、『椿姫』以前に日本にいらしたことはありますか?
- いえ、初めての日本訪問です。非常に嬉しく思っています。新国立劇場から演出をオファーされたのは突然だったのでとても驚きましたが、同時に大変光栄に思いました。今回の『椿姫』は自分自身にとってチャレンジだと感じていて、とても興奮しています。
- ――これまでに『椿姫』の演出をしたことは?
- 今回が初めてです。『椿姫』は私が10歳の頃から観ていたオペラで、演出家にとって誰もが通るべき作品ですから、この機会を与えてくださった新国立劇場にとても感謝しています。私自身にとっても、今が『椿姫』を演出するのにちょうど良い時期だと思っています。私は今回、「ヴェルディが本当に描きたかった世界とは何か」を考え、それを引き出す演出をやってみたいと思っています。『椿姫』できっとなにか新しいことができると信じています。
- ――「ヴェルディが本当に描きたかった世界」とは?
- 『椿姫』はヴェルディの生きていた時代、つまり当時の「現代」の出来事を一人の人物を通じて描いたヴェルディにとって初めての作品です。創作にあたりヴェルディはとても苦労しました。当時、現代を題材にしたオペラは御法度だったのです。現代を描くことは、社会を批判することになり、人々が隠しておきたい世界を露呈することになります。ですので『椿姫』は非常にスキャンダラスな作品でした。ヴェルディは『椿姫』が現代作品であることに最後までこだわりますが、しかし、初演したヴェネツィアのフェニーチェ歌劇場は、結局は舞台設定を18世紀に変えてしまいました。
実はヴェルディは以前に、自分のオペラには絶対に娼婦を立たせないと断言していたのですが、にもかかわらず『椿姫』を創りました。それはつまり、ヴェルディは『椿姫』の中で娼婦を描きたかったのではなく、彼女の純粋さや情熱を描きたかったからだと私は考えています。 - ――ヴィオレッタのモデルは実在の高級娼婦マリー・デュプレシですが、高級娼婦という立場は当時どのようなものだったのでしょうか。
- 1835年から45年頃のパリは狂乱の時代であり、ある意味、みんなが娼婦を求めていた時代でした。マリー・デュプレシはパリの裏社会に君臨した女王で、彼女が愛人となった相手は、大富豪や偉大な芸術家、作家であり、そのなかにはフランツ・リストもいました。彼女が亡くなって三年後、アレクサンドル・デュマ・フィスが小説『椿姫』を書き、さらに戯曲を完成させて芝居が上演されると、パリ中の人が劇場に殺到したのです。彼女は決して「可哀そうな娼婦」ではありません。社会の中で認められていた存在なのですよ。
- ――気になる演出ですが、どのようになる予定でしょうか。
- ヴィオレッタは豪華絢爛な生活をしていましたが、彼女の心の内面を深く掘り下げていくと、とても複雑な部分があります。そしてヴェルディの音楽を聴くと、彼女のピュアな部分に光を感じます。光は、彼女が持っていた希望であり、純粋さに向けられた情熱ではないかと解釈しました。ですので、私の演出では、彼女のそんな光を描きたいと思っています。
「ピュア」な空間に物語のエッセンスが表れる、その感覚をお客様にお伝えしたいので、特別な舞台装置はありません。それよりも、ヴィオレッタという人物を、その時代のパリの象徴として描きたいと思っています。また、舞台上にはピアノを置きます。マリー・デュプレシがパリの女王に君臨したのはピアノのおかげと言われています。つまり彼女のピアノが男性たちを魅了したのです。デュマ・フィスの記述に、彼女は当時流行していたウェーバーの『舞踏への勧誘』を弾きこなそうと頑張るけれど、なかなか上手く弾けない、という話が出てきますが、彼女らしさが最も表れたエピソードだと思いますね。彼女はノルマンディーの田舎の非常に貧しい家の出身で、全く教育は受けておらず、パリに出てから読み書きや様々な社交界の流儀、そして音楽を勉強して、パリの頂点に上り詰めたので す。ヴィオレッタの心には、パリの裏社交界で輝く女性になりたい、という程度の薄い希望ではなく、もっと魂の奥底から求める強い思いがあったと思います。私は「魂の欲求」と呼んでいますが、それを描こうと思っています。 - ――ブサールさんのこれまでの演出では照明がとても印象的ですが、『椿姫』でも照明が重要な役割を担いますか。
- はい。照明は、通常は舞台を照らすものですが、私は、音楽を照らすものだと考えています。音楽に色をつける、音楽に光を灯す、そのための照明です。音楽が色で語り掛けるような照明をいつも心掛けていて、『椿姫』でもそうしたいと思っています。