ほろ酔いコンサートは意外な場所からスタートした!?
- ――まずほろ酔いコンサートがスタートした経緯をお伺いしたいのですが。
- 加藤「経緯は、知床旅情が大ヒットした年(1971年)に「そのまま国民歌手みたいなのにならないでくれ!」って言われて(笑)」
- ――え!新聞記者の方に言われたんですか!?(笑)
- 加藤「お前ははみ出し野郎でいいんだ!はみ出せ!って(笑)で、日劇ミュージックホールという、当時はストリップ小屋だったんだけど、そこの支配人がちょっと変わった人で、アンダーグラウンドなアーティストとか前衛の演劇人とかを演出家としてその小屋に呼んだりするような方だったんですね」
- ――当時は斬新ですよね。
- 加藤「うん、そうなんです。その支配人と、さっきの新聞記者たちと、私が飲み友達だったのね。それでその日のショーがハネた(終わった)後、みんなでそこで飲んでいたんだけど。その延長線上で、そこで1971年の年末にライブをやったのがスタートですね」
- ――お酒を呑むというコンセプトは最初からあったんですか?
- 加藤「それはたまたまなんです。当時私が大関のCMをやっていて」
- ――(笑)なるほど。
- 加藤「ただ素面でやるのもつまんないから、樽酒を出してもらおうと思って。最初はお客さんに振舞っていたんだけど、みんな凄い酔っ払っちゃって、もう悲惨なくらい!」
- ――(笑)
- 加藤「(笑)でも今思い出すと、その時のお客さんは女性はひとりもいなかったわね。やっぱり夜中で、ストリップ小屋で、お酒付きっていうのは、来づらいかもね(笑)。でも私自身、お酒を呑んでというのは初めてだったから・・・あ、お酒自体は普段から呑んでたのよ?(笑)」
- ――(笑)
- 加藤「でもライブ中に呑んだ事はなかったから・・・でも呑んでやってみて思ったことは、何で今までやらなかったんだろう!ってこと!(笑)」
- ――(笑)凄い後悔したわけですね。
- 加藤「こういうコンサートこそ最高だわね、と思ったんだけど、その翌年に私が結婚して、歌手活動を休止したんです。その休止前最後に開催したのが日比谷野音のコンサートとほろ酔いコンサートだったのね。それで歌手活動を再開したときに、またほろ酔いコンサートも再スタートさせたので、そこから数えて今年で東京は41年目」
- ――物凄い歴史を感じるお話ですね。加藤さんにとって、通常のライブとほろ酔いコンサートの違いって何だと思われますか?
- 加藤「さっき言ったみたいに、はみ出せるって事ですね。でも大きくは通常のライブと変わらないかな。普段も私はナチュラルなので。それで言うとお客さんの方が通常とは違うかもしれないですね。最初の頃はネクタイを締めてきたお客さんがいたら「まず、ネクタイを取ってちょうだい!」って言ったりとか(笑)」
- ――ステキなライブですね(笑)
- 加藤「でも最近は私と同年代の方はノーネクタイの仕事をしている方が多いので、ちょうど良くなってきたかもしれないですね(笑)」
- ――(笑)あと、僕がほろ酔いコンサートで素晴らしいなと思った事が、学生席が用意されている事です。
- 加藤「それは大きな私のラブコールですね」
- ――そうですね。加藤さんの熱心なファンのみではなく、幅広い層に自身のライブを見て欲しい、という加藤さんの思いがこの学生席だけで分かる気がします。
- 加藤「うん、私としてはもう「おいでよ!いらっしゃいよ!」っていう感じなんだけど。例えばフジロックに出演したりするのもそうなんですが、20代、30代の人にも向けてやりたいなと言う気持ちはありますね。だから学生席といっても、私としては20代ぐらいまで年齢を引き上げてもいいと思ってる位で(笑)」