――昨年は震災の影響でTHE BOOMのニューアルバム『よっちゃばれ』が発売延期、そして予定されていたツアーの内容も大きな変更を余儀なくされるという事態となりましたが、宮沢さんにとって2011年はどんな年でしたか?
「音楽家として20年以上やってきましたけれど、自分も、そして音楽も、ああいうことが起きると非常に無力だなぁと感じました。しかしその後しばらくして、みんなが音楽を聴いて勇気を持ったり、僕自身も歌を歌うことによって勇気づけられたりして、例年以上に本当にいい歌が日本中に流れた年だったと思うんですね。ヒット曲だけが流れるのではなくて、古い歌であってもジャンルを超えて、いい歌が街に流れたように思います。ですから音楽家として、音楽の無力さと、その逆の計り知れないエネルギーというか可能性というか、その両方を体感した1年でした」
――予定されていたツアーはバンド編成からタイトルまで変更して臨まれましたが、「THE BOOM平成二十三年 春夏公演『光』」は、どんなツアーでしたか?
「一時は中止も考えたんです。あのときは明日どうなるのかさえも誰にもわからない状況でしたから。そんな中でコンサート・ツアーを何ヶ月間もやるということが想像できなかったんですね。原発がこんなことになって、エネルギー供給もどうなっていくんだろう?という中でしたから、微々たるものかもしれないけれど電力を抑えたコンサートにしようとか話し合って、それで“やろう!”って決めて。ツアーは震災直後の4月から始まった訳ですけれども、直後だからこそ届ける歌があるかもしれないということで選曲を練り直しました。地震後の日本の推移と共にツアーも進んでいったので、状況も刻一刻と変わっていきました。仙台で予定していたコンサートの会場が使えるようになったという嬉しいニュースが途中で入ってきたりとか。そういう中でお客さんの心も推移していったと思うんですよね。ときにはちょっと安堵したり、不安になったり。そんな皆さんの心の動きと共に全国をまわれたというのは、やっぱりやってよかったし、なによりもTHE BOOMのファンの人たち、音楽ファンの人たちと近いところで再会できたという喜び、単純にそういう喜びがありました。東北も仙台だけでしたけど行くことができましたし。終わってみれば、本当にやってよかったなと思いましたね」
――8月には地元である山梨県でフリー・コンサートも開催されました。
「メンバー3人の地元の山梨で、皆さんが参加できるような、お祭り的な要素を含んだコンサートをしようというのは、山梨県庁の方々も一緒に、震災前から話し合いをしていたんですよ。でもその後、その内容も含めてもう一度検討し直して、復興支援のチャリティーを目的としたフリーコンサートとして開催することにしました。内容としてはツアー『光』の内容も踏まえつつ、『よっちゃばれ』という新しいアルバムをやっぱり地元で聴いて欲しかったので、その中から数曲でしたが初披露して。『光』の要素があり、そこに本来はこういうステージをやりたかったんですよ、という内容も盛り込みました」
――アルバム『よっちゃばれ』も11月にようやくリリースされました。
「発売が無期延期になったときいたときは、正直もう目の前が真っ暗になりました。やっぱり作り手としては作りたてを味わってほしいって思うじゃないですか。コンセプト作りも含めて曲作りに関しては当初の発売予定の一年以上も前から始めていましたから。しかも震災が起きたのが発売直前でしたから、アルバム・プロモーションもほぼやり終えていた状況でしたし。でも数日経って考えてみたら、今、急いで世に出しても誰の耳にも届かないかも知れないし、「日本」をテーマにしたアルバムなので、復興していく中で皆さんを少しでも元気づけることが出来るかも知れない、そういう曲もあるかも知れないな、と思って。3月後半に発売予定だった作品の出荷を中止するというレコード会社の方針でしたから4月以降で出せなくはなかったんですけど、だったらむしろ、もう少し皆さんが落ち着いて音楽を楽しもうって思える心になるまで待った方がいいなって思いました。それで11月発売という判断をして。でも、少し頭を冷やして11月くらいにアルバムを聴くと、自分で作った作品なのに、出来上がったときに聴いていたものとは違うんですよね。楽曲の1曲1曲も違って聴こえるし、歌詞も違う意味合いにとれたりとか。8ヵ月も空いちゃいましたけど、今ではよかったと思ってます」
――12月にはTHE BOOM歳末御礼公演『平成よっちゃばれ』がフル・バージョンのバンド編成で開催されました。
「去年の年の瀬は日本中が “早く2011年を終えて12年を迎えたい”という雰囲気でしたよね。リセットじゃないけど“切り替えたい”っていうか。でも僕は、そうは言ってもまだまだ課題は山積み、と思っていたので、ちょっと複雑な時期ではありました。今年を早く忘れちゃおうという気には、とてもじゃないけどなれなかったし。でも横浜、東京、大阪と3公演、そのときだけは不安を忘れて、楽しく笑顔で涙あり笑いあり、踊ったり歌ったりする時間を作りたいなと思いました。一年間みんな頑張ってきたし、“ハレの日”というか、このときだけは楽しくっていうふうに。すごくいいコンサートだったと思います」
――10月に沖縄県で開催された大きなイベントの応援ソング&課題曲に採用された「シンカヌチャー」(宮沢和史+DIAMANTES+シンカヌチャー)も手掛けられましたね。
「5年に1度のタイミングで開催される『世界のウチナーンチュ大会』というイベントがあるんですが、有志が集まって、事前に“曲を作ろう”って勝手に盛り上がったんですよ。具体的には平田大一くんという沖縄のミュージカル“組踊”の分野で功績のある人と、DIAMANTESのアルベルト城間くんと、僕と3人で会って。平田大一くんは小浜島(八重山諸島)出身で、アルベルト城間くんはご両親も含めて沖縄系で国籍はペルー人。僕は山梨県出身の人間で、でも沖縄を20年以上愛してきている。それぞれ違う立場の3人が熱くディスカッションして、僕がその内容を持ち帰って曲を作ったんです。“シンカ”っていうのは“一族”という意味で、シンカヌチャーとは“仲間達”。『世界エイサー大会2011』の課題曲、『第5回 世界のウチナーンチュ大会』の応援ソングということで、10月にふたつのイベントを合体したグランドフィナーレがあったんですけど、そこで演奏させていただきました。それで、“CDはないのか?”という声もきこえてきたので今回シングルとして作品化しました(2012年1月に沖縄限定でリリースされた。)」
――そして2012年は宮沢さんのソロ・コンサート「寄り道」を展開されるそうですね。
「もう始めてから7年くらいになります。最初はほんとに軽い気持ちで。僕は元々子供の頃、弾き語りで音楽を始めた人間なんで、バンド活動の合間に、集まってくれたお客さんと近いところで話しでもしながら、弾き語って。普通のコンサートでは話さないような、曲のできた経緯なんかもしゃべったりして。気楽に自宅にきてもらうような感覚で演るっていう。普段バンドではなかなか行きにくい地域にも行けるしね。そんなことで「寄り道」というくらい“ふらっ”と行くよっていうスタンスだったんですけれど。去年、震災後にTHE BOOMのツアーで全国をまわってみたけど、さらに、もっと、各地まわってみたいと思ったんです。この目でいろいろ観てみたいし、皆さんの声を聞きたいし、元気な姿を見せたい、見たい。そういう想いも強まってきていまして。で、全県をまわってみようかなって。そこで見たもの、感じたことが多分、次の僕の作品の土台になるような予感もしています。2012年の日本をこの目で自分に焼き付けたいっていう想いですね。『よっちゃばれ』というアルバムを創って、その次の自分の音楽的なテーマを探す旅でもあるような気がしています」
――今回は「寄り道四十七次~花鳥風月~」というタイトルだとか。
「“ふらっと寄り道だよ”というスタンスは忘れたくないんですが、でもいつも以上に気合いを入れて準備をして、そして“のんびり”演ろうかと思っています。内容も弾き語りだけに留まらず、僕ひとりで演るコンサートが基本ですけれど、ただひとりでギター1本で歌うのではなく、誰もやってないような弾き語りコンサートにしたいという意欲を持っていたり、『よっちゃばれ』発売後は全国をまわることができませんでしたから、新しい曲も聴いてもらいたいし。弾き語りのスタイルにはなりますが。ピアニストの鶴来正基さんが参加してくれるパターンや、プラス他のミュージシャンが入ってくるパターンもあったり。あとはゲストを迎えたり、特別な企画があったりとか。その4つで“花鳥風月”とつけたんです。ひとりで弾き語りという形にとらわれず、思いついたことは何でも4つの形の中で一年間やっていこうと思っています」