『報道ステーション』を通して得られた実感
- ――まずは、10年前の古舘さんの心境から教えてください。なぜ、すべての仕事をリセットしてまで『報道ステーション』に挑戦しようと思ったのでしょう?
- 自分のことだからおかしな話なんだけど、ハッキリしないんですよね、当時の気持ちが。状況としては恵まれていました。バラエティ番組やスポーツ実況もあったし、ましてや、自分のライフワークだと思っている『トーキングブルース』というライブも毎年やれていた。なのに、なんでだろうと思うんですけど、本能的なものだったんでしょうね。やりたいことをやらせてもらっている、という実感がある一方で、何か新しいことにチャレンジしたい、しなければいけないという強い思いもあった。アナウンサーなのに、報道は手つかずでしたから。
- ――10年前のインタビューでは「番組ではなく、自分のスタイルをぶち壊す」とも語っています。成功しましたか?
- いえ、毎日が青息吐息でした。僕は『報道ステーション』が始まってからの3年間、ニュース番組なのに「こんばんは」って言わなかったんですよ。
- ――なぜですか?
- 前任の久米(宏)さんは、「こんばんは。ニュースステーションです」とやってらした。わざと黙ったりしてスリリングな空気を醸し出す天才だったそんな人ですら、視聴者との関係性における最低限の礼儀として「こんばんは」は言っていた。でも僕は、スポーツ実況の時代から「みなさん、こんばんは」と言ったことが1度もなかったんです。プロレスの実況は「高松のこの源平合戦の古戦場に夕日がかかり……」だし、F1の実況は「アイルトン・セナ。モナコ・マイスター。いま陽炎の中から……」ってところから始まるわけです。それで、『報道ステーション』でも「こんばんは」を3年間言わなかったんです。実況席にいるわけじゃないのにね(笑)。しかも、3年が経ってから「こんばんは」と言うようになったら、すっごく気が楽になったんですよ。ということは、まったくもって自分のスタイルなんてぶっ壊してなかったんでしょうね。
- ――なるほど(笑)。では、逆に『報道ステーション』の仕事から得たものとは?
- それについて明確に言えるほど、報道の仕事のなんたるかをわかってはいません。でも、ひとつだけ思うのは、人間を勉強させてもらっているということ。『トーキングブルース』の“ブルース”にもつながる部分なんですけど、これはもう、人間勉強にほかならない。この感覚は、『報道ステーション』を通して得られた実感だと思います。