インタビュー

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伝説のトークライブが復活する。古舘伊知郎が生の舞台で2時間以上もノンストップでしゃべり倒す、そのライブの名は『トーキングブルース』。10年前、彼が『報道ステーション』でのキャスターの仕事を選ぶと同時に封印されていたそのライブが、一夜限りの復活を果たすのである。なぜ、2014年のいまだったのか? 気になる内容は? あの番組が終わったあとの深夜のテレビ朝日で、あの番組とはひと味違う古舘伊知郎が語り始めた。

『報道ステーション』を通して得られた実感

――まずは、10年前の古舘さんの心境から教えてください。なぜ、すべての仕事をリセットしてまで『報道ステーション』に挑戦しようと思ったのでしょう?
自分のことだからおかしな話なんだけど、ハッキリしないんですよね、当時の気持ちが。状況としては恵まれていました。バラエティ番組やスポーツ実況もあったし、ましてや、自分のライフワークだと思っている『トーキングブルース』というライブも毎年やれていた。なのに、なんでだろうと思うんですけど、本能的なものだったんでしょうね。やりたいことをやらせてもらっている、という実感がある一方で、何か新しいことにチャレンジしたい、しなければいけないという強い思いもあった。アナウンサーなのに、報道は手つかずでしたから。
――10年前のインタビューでは「番組ではなく、自分のスタイルをぶち壊す」とも語っています。成功しましたか?
いえ、毎日が青息吐息でした。僕は『報道ステーション』が始まってからの3年間、ニュース番組なのに「こんばんは」って言わなかったんですよ。
――なぜですか?
前任の久米(宏)さんは、「こんばんは。ニュースステーションです」とやってらした。わざと黙ったりしてスリリングな空気を醸し出す天才だったそんな人ですら、視聴者との関係性における最低限の礼儀として「こんばんは」は言っていた。でも僕は、スポーツ実況の時代から「みなさん、こんばんは」と言ったことが1度もなかったんです。プロレスの実況は「高松のこの源平合戦の古戦場に夕日がかかり……」だし、F1の実況は「アイルトン・セナ。モナコ・マイスター。いま陽炎の中から……」ってところから始まるわけです。それで、『報道ステーション』でも「こんばんは」を3年間言わなかったんです。実況席にいるわけじゃないのにね(笑)。しかも、3年が経ってから「こんばんは」と言うようになったら、すっごく気が楽になったんですよ。ということは、まったくもって自分のスタイルなんてぶっ壊してなかったんでしょうね。
――なるほど(笑)。では、逆に『報道ステーション』の仕事から得たものとは?
それについて明確に言えるほど、報道の仕事のなんたるかをわかってはいません。でも、ひとつだけ思うのは、人間を勉強させてもらっているということ。『トーキングブルース』の“ブルース”にもつながる部分なんですけど、これはもう、人間勉強にほかならない。この感覚は、『報道ステーション』を通して得られた実感だと思います。

生の舞台である『トーキングブルース』をスタートさせようとした理由

――質問を26年前へ。その頃既にテレビの世界で活躍していた古舘さんは、なぜ、生の舞台である『トーキングブルース』をスタートさせようと思ったのでしょう?
「いい時だけのテレビ局」という名文句がすべてを語っている気がするんですけど、それが当たり前だと思うんですね。テレビという世界はいい時だけで当たり前で、いわゆる旬な人々というのは入れ替わっていくもの。でも、そうは言っても、局アナからフリーになった時期は不安で仕方がなかったですから、しゃべり手としての自分の核はこれだというものをどうしても見つけたかった。その不安が始まりだと思います。その頃、おぼろげで曖昧模糊としつつも感じていたのは、自分は人前で明るく振る舞うのが好きで、軽薄なしゃべりで人を楽しませるのが好きで、その延長線上でテレビ局のアナウンサーになれた。ただ、それが自分という人間のすべてかというとやっぱりそんなことはなくて。
--レコードで言えば、B面がある?
そうです。人間には建前と本音がある。当たり前です。でも、建前と本音が決壊してしまう瞬間があって、そこに人間の切なさや悲しみや葛藤がある。ほうっておくと僕は、そういうジメジメとした瞬間のほうが好きだったりする。そういう趣向性が僕のB面なのでしょう。だったら、里帰りをしなきゃいけないだろうと。ふだんは楽しいほうがいいに決まってるから住民票はA面に移しているけど、そもそもの本籍はB面じゃないかって。自分の本籍的な感覚を生の舞台で表現しているのが『トーキングブルース』だと思います。もちろん、切なさや悲しみだけじゃなくて、可笑しさや笑いも表現していきたいとも思っています。喜怒哀楽が全部詰まっているものだと僕は思うので。
――では、11年ぶりに『トーキングブルース』を復活させる理由はなんだったのでしょう?
いままでは、自分にとって手つかずな分野に挑戦してみたいと『報道ステーション』を始めておいて、「本籍なんで」と『トーキングブルース』をやらせてもらうのは、なにかが間違っているんじゃないかという思いが、どうしてもありました。あと、その準備をする余裕がなかったというのも正直なところです。それが、『報道ステーション』がスタートして10年がたったいまというのは、自分がフリーになって30年という節目の年でもあって、今年の12月には60歳になる。このタイミングなら封印を解いてもいいかもしれないと思えたんです。
――『トーキングブルース』には、「お経」「脳」「言葉」などのテーマがありました。今回のテーマは決まっているのでしょうか?
いえ、テーマはないし、タイトルもとくに付けていません。以前は、台本を作って2時間半練り込んで……ということもしていたんですけど、今回はそうじゃないだろうと。

なぜ古舘伊知郎はしゃべり続けるのか?

――少しばかり細部への質問を。ご自身で分析する「古舘印」のトークとは、どのような部分だと感じていますか?
「たとえざるを得ない」ところかもしれません。人物や現象をまったく別な何かにたとえるという行為は悪いことではない。楽しんでもらえてきた気もする。でも、これが『トーキングブルース』でのしゃべりとなると、「もうたとえはいいから!」と自分にダメ出しする自分がいるんですよ。
――そのダメ出しの主旨とは?
たとえることで本質がするっと抜け落ちてしまってるんじゃないか。そうじゃなくて、短い言葉で本質をずばっと言いあてろよって。だから、ものすごいライブタイトルを付けちゃったもんだなぁと思います。ブルースですから。奥深すぎておののくしかない。しゃべればしゃべるほどつらくなる。「お前は今日のしゃべりでブルースできたのか?」という自問自答もまた、常にあるわけで。
――つらい部分もあるのに、なぜ古舘伊知郎はしゃべり続けるのでしょう?
しゃべることを取ったら、僕は消えてなくなってしまうからじゃないですかね。人間という社会的動物は全部が言葉で構成されてると思うんですね。「言葉じゃないんだよ」というのも言葉だし「とても言葉じゃ言い表せない」というのも言葉だし。「言葉じゃないんだよね」と言いながら、一度言語化して悩んで、悩んだあげくに「ま、いっか」なんて言葉にしたあとでぼうっとできるのが人間だと思うんです。そんな人間のなかでも、僕は、言葉を自己の中だけにとどめておけずに発言し続けているわけですよね。いまは、ありがたいことに、それを聞いてくれる人がいるから仕事として成立している。でも、それが成立しなくなったとしたら……。しゃべる仕事から引退しろと言われたら死んじゃうとさえ思ってしまう。おそらく、「舌先がウォール街」なんでしょう。ディーラなのか、トレーダーなのか。危ないってわかってるのに、博打的な金融の世界から足を洗えない人がいるように、僕はしゃべることをやめられないのだと思います(笑)。

PROFILE

古舘 伊知郎
立教大学を卒業後、1977(昭和52)年テレビ朝日アナウンサーとして入社。
実況で独特の『古舘節』を確立し、絶大なる支持を集めた。
1984(昭和59)年にフリーとなり、3年連続で『NHK紅白歌合戦』の司会を務めるなど、NHKと民放全局で司会を務めた。
単独トークライブ『トーキングブルース』は、1988(昭和63)年から16年連続で上演。

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