宮沢りえと世界的演出家ルヴォーが「昔の日々」を語り合う
- ――デヴィッド・ルヴォーという演出家がいる。20代の若き頃から時代の寵児として名を馳せ、ストレートプレイ、ミュージカル問わずその才を発揮。映画版もヒットしたミュージカル「NINE」でアントニオ・バンデラス、「ロミオとジュリエット」でオーランド・ブルームといった、日本でもおなじみの映画スターも、彼の演出を受けている。
- 宮沢:あの作品ではまず最初に、しっかりとディスカッションをしました。1行ごとにデヴィッドから、『なぜこの台詞を言ったんだと思う?』と尋ねられたのだけど、私はそれに対してすぐ答えられなかった。1行ずつに対して自分の思いを持っていなかったことが恥ずかしくて悔しくて、その日帰ってから必死に模索しました。そうしてディスカッションが、深いものになっていけた気がします。
- そしてルヴォーは、日本との関係が密な演出家でもある。1988年に初来日し、93年にはシアタープロジェクト・東京(T.P.T.)の芸術監督に就任。日本人の優れた俳優たちで世界に通じる演劇を絶え間なく作り出してきた、日本の演劇界にとってもキーパーソンの一人だ。その彼が、ミュージカル「ルドルフ ザ・ラスト・キス」以来、日本で2年ぶりに演出する作品が、ノーベル賞作家ハロルド・ピンター作「昔の日々」。
- 宮沢:あの作品ではまず最初に、しっかりとディスカッションをしました。1行ごとにデヴィッドから、『なぜこの台詞を言ったんだと思う?』と尋ねられたのだけど、私はそれに対してすぐ答えられなかった。1行ずつに対して自分の思いを持っていなかったことが恥ずかしくて悔しくて、その日帰ってから必死に模索しました。そうしてディスカッションが、深いものになっていけた気がします。
- ルヴォーが日本で手掛けた傑作のひとつ、イプセン作「人形の家」(2008年)でまさに“開眼”というべき名演を見せた女優・宮沢りえとルヴォーが久々に再会。「人形の家」の思い出から「昔の日々」の重要なキーワード“記憶”の話まで、リスペクトし合う演出家と女優が語る……。
- 宮沢:あの作品ではまず最初に、しっかりとディスカッションをしました。1行ごとにデヴィッドから、『なぜこの台詞を言ったんだと思う?』と尋ねられたのだけど、私はそれに対してすぐ答えられなかった。1行ずつに対して自分の思いを持っていなかったことが恥ずかしくて悔しくて、その日帰ってから必死に模索しました。そうしてディスカッションが、深いものになっていけた気がします。
- 口火を切った話題はやはり、2人にとっての“昔の日々”、「人形の家」の思い出。
- 宮沢:あの作品ではまず最初に、しっかりとディスカッションをしました。1行ごとにデヴィッドから、『なぜこの台詞を言ったんだと思う?』と尋ねられたのだけど、私はそれに対してすぐ答えられなかった。1行ずつに対して自分の思いを持っていなかったことが恥ずかしくて悔しくて、その日帰ってから必死に模索しました。そうしてディスカッションが、深いものになっていけた気がします。
- 宮沢はもちろん、ルヴォーの最新作「昔の日々」にも興味津々。堀部圭亮、若村麻由美、麻実れいという熟練のキャストで上演されるミステリアスな三人芝居だ。「どんなお話?」と尋ねる彼女にルヴォーは、「不思議なお話。人間の記憶ってあてにならないものであるという話でもある」と語り始めた。
- ルヴォー:夫婦と妻の旧友の女性がひとつの部屋で過去の話をするんだけど、それぞれの話が異なる。その過去が過去のままに留まらず、現在に過去が侵食してきたり……。
- ルヴォーは過去にピンターの3作品を手掛け、生前の彼とも交流があった。「昔の日々」は、ピンター本人がルヴォーによる演出を熱望していたという作品。
- ルヴォー:ピンターは、大きな人生やテーマを非常に少ない言葉や最低限の表現方法で伝える作家ですが、この戯曲では特にその傾向が強い。そしてその手法は、例えば伝統的な能の中にも存在するものなので、彼の戯曲は日本で表現することで浮かび上がってくるものがより多いと感じます。西洋でやる『昔の日々』をそのまま持ってくるのではなく、現代の日本でこの作品を浮かび上がらせたらどうなるかというのが、今回やはりやってみたいことです。
- ――共にした作品こそ「人形の家」一作だが、彼女を「私にとって最高の女優の一人」と絶賛するルヴォー。終わり際、ルヴォーは宮沢にピンターのもうひとつの代表作「背信」への出演を薦め、「もしやるとしたら僕としかやっちゃダメ」とクギを刺した。ある夫婦関係の始まりから破綻までを時間をさかのぼる形で描いた「背信」は、既に何度か演出しているルヴォー曰く「実に美しい戯曲」。近い将来、ピンターの劇世界で2人のコラボレーションが再び実現するかもしれない!