言葉もわからないまま耐えた、サバイバルの日々
- ──5月末に、母国のエジプト・カイロで『大砂嵐杯』というご自分の冠のついた相撲大会が開催され、大盛況だったという話を聞きました。
- すごくうれしかったですね。エジプトで一番有名なスポーツはサッカーで、相撲は全然有名じゃないからね。ほとんどの人は知らないんじゃないかな。
- ──エジプトのアマチュア相撲の代表に交じって、実弟のターレクさん(18歳)も出場しました。
- そう。1回寄り切りで勝った(満面の笑み)。でも、本人は「兄は日本で相撲をやっているけど、自分には関係ない」と言っていたみたい。彼は勉強の方が好きだから。
- ──『大砂嵐杯』は現地の大砂嵐ファンクラブが主催した大会だったけど、第2回大会の予定はありますか?
- それはHOPE(期待したい)。この間は初めての大会だったけどお客さんもいっぱい来たので、後援会の人たちもビックリしていました。
- ──アラブ初の力士として現地でも大きく報道されているというニュースを耳にします。来日してから2年半、ここまでの道のりは長かった? それとも短かった?
- う~ん、それは難しい質問ですね。長くもあり、短くもあったと言えば正しい答えになるかもしれません。稽古をいっぱいやっていたので、時間を忘れてしまったこともあった。でも、もっと稽古をたくさんしないと。
- ──来日当初は慣れぬ日本語でのコミュニケーションにも苦労した?
- 相撲の世界は日本語しかないからね。最初は何を言われてもわからなかったので、自分はハイハイと答えていただけでした。『お前、俺の言っていることがわかっているのか?』『ハイ!』みたいなやりとりばかり(苦笑)。半年くらい経ったら、ようやく自分から挨拶できるようになりました。いまは相手が喋っていることの80%は理解できる。自分から喋るのはまだ難しいけど。
- ──来日したら、それまでやっていたアマチュア相撲と大相撲の違いを痛感しましたか?
- そうですね。エジプトでは稽古も1カ月に1~2回。それも1回に1時間くらいしかやらない。四股を50回、腰下ろしを50回、そしてちょっとだけ取組をやったら終わりという感じでしたからね。初めて日本の稽古をやった時には途中で疲れてしまい、ついていくことすらできなかった。そんなハードな稽古はやった経験がなかったので、最後は太股の筋肉が切れてしまいました。振り返ってみると、ヤバかったですね(苦笑)。
- ──ただ、耐えるのみ?
- そうですね。序二段にも負けていたので、悔しかったですね。エジプトと比べたら環境が何もかも違っていたので、サバイバル(生き残る)しかないと心に誓いました。
- ──部屋制度という大相撲独特の仕組みに慣れるのにも時間がかかった?
- いまは個室ですけど、最初は大部屋でしたからね。それも、サバイバル(微笑)。頑張るしかなかったですね。