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チケットぴあインタビュー

福田正博 vol.1

福田正博 vol.1

現役時代、浦和レッズのフォワードとして活躍、日本人で初めてJリーグの得点王に輝いた福田正博氏。今年記念すべき20周年を迎えた浦和レッズに対し、現役時代の話を交えながら語ってくれた。
――福田さんは三菱重工サッカー部、三菱自動車サッカー部を経て浦和レッズに加入されました。当時、三菱は東京に本拠地を置くチームでしたが、プロ化に際して浦和に移転することになりましたが、当時の想いをお聞かせください。

「正直に言うと、なぜ埼玉?と言う気持ちはありましたね(笑)。ただ、浦和という街がサッカーどころであり、サッカーに対する熱が高いことは知っていました。当時はJリーグができることだけは決まっていましたが、三菱が参加できるのかはまだわからなかったし、浦和に決まったのも本当に急な話でした。本当に目まぐるしく色んなことが動いた時期だったと思います」

――浦和レッズはJリーグ初年度と2年目、かなり厳しい成績に終わりました。その理由はどこにあったのでしょうか?

「三菱自体が、プロ化に向けて立ち後れていたのは事実だと思います。読売クラブ(現東京ヴェルディ)や日産自動車(現横浜F・マリノス)など、Jリーグの発足が決まる前からプロフェッショナルなクラブ運営をしていたところと比較すると、三菱はプロになるという意識は低かったと思いますし、それが初年度の成績に現れてしまったのかと思います」

――福田さんご自身は、95年に日本人初の得点王に輝きました。オジェック監督の下、チームも過去2年の成績を払拭するような躍進を見せました。

「オジェック監督は混乱していた現場の役割を整理してくれました。選手もそれぞれ自分の役割が明確になり、責任も明確になった。それが組織としての強さに繋がっていったと思いますし、結果的に、それが僕の得点王にも繋がったのだと思います。やっていたサッカーはとても現実的なものでしたが、勝てないチームが守備から入っていくのは定石ですし、そういう意味でも当時の浦和レッズにフィットした監督だったと思います」

――99年、浦和レッズはJ2に降格してしまいます。なぜ浦和レッズは降格してしまったのでしょうか?

「迷走していたのは間違いないですね。当時は原監督だったのですが、成績不振によりア・デモス監督に代わりました。ただ、その交代のときも監督が決まる前に原監督が解任され、途中に行われたミニキャンプは監督不在で行われるなど、後手に回っていた感じは否めません。一番厳しかったのは、当時延長Vゴールという制度があったことです。実際、セカンドステージに4試合連続Vゴール負けという結果がありました。今のように引き分けがあれば、あのメンバーで降格することはなかったと思います」

――浦和レッズは2002年にオフト監督を招き、福田さんはそこで現役最後のシーズンを迎え、引退されました。

「目先の結果にとらわれることなく、5年後10年後を見据えた土台作りをしようというクラブの意志を感じました。また、オフト監督は僕を上手く使ってくれて、最終的に引導を渡してくれました。クラブが良い方向を向いていると感じられましたし、明確な役割をもらえたので、高いモチベーションを持って戦うことができたシーズンでした。精一杯やれることをやった、という気持ちですね」

――その後クラブは、ギド・ブッフバルトを監督に迎え、一気に強豪への道をひた走りました。

「2003年に初タイトルとなるナビスコカップ優勝を果たし、2004年にはギド・ブッフバルト監督が来て、セカンドステージを制しました。結果としては、オフト監督から良い形で引き継ぎができたと思います。クラブは、より勝つことに主眼を置いたと思います。勝つために何をしなければならないのか、というところから逆算して積極的に投資していきました。優勝するためには何が必要なのか、今何をするべきなのか、というのが明確になって、クラブとして一つの方向に向きやすい状況になっていたと思います」

――この期間、浦和レッズは主要タイトル(Jリーグ、ナビスコカップ、天皇杯、ACL)の内5つのタイトルを手にしましたが、2008年から極端に成績が下降してしまいました。

「急激に選手を集めて強くすると、落ち方も急激になるという側面はあると思います。維持するためには、選手に対する投資を続けていかなければならないですし、それを維持できなかった部分はありますね。そこに組織の難しさがあると思います。やり方は間違っていなかったと思いますが、あの強さを維持するには、相当の資金力が必要になるとも思います」

――福田さんの現役生活は、浦和レッズ20周年の内、前半の10年ということになります。選手として10年、そしてコーチとして3年と計13年間クラブに在籍されました。浦和レッズには、今後どのようなクラブを目指していって欲しいですか?

「個人的な意見としては、Jリーグ全体のことを考えた上で、浦和レッズがどこを目指すのかということを考えて欲しいですね。結果として、それがクラブの利益にも繋がっていくと思います。そこまで大きくはないとは言え、資金力では他のクラブよりも大きなものを持っている訳ですから、やはり勝つことにはこだわって欲しいです。埼玉スタジアムという大きな器を使う以上、そこにたくさんのサポーターを招くためには、常に優勝争いに絡んでいくのは重要なことだと思います。以前、長友佑都選手と話をしたんですが、彼の所属するインテル(セリエA・イタリア)は、常に勝つことが求められていますし、どんなに良い内容のサッカーをしたところで、負ければ大きな批判が集まると話していました。また、常に大きなプレッシャーの中でプレーしているので、そのプレッシャーと上手く付き合う術を身につけないと、いくら上手くてもビッグクラブでプレーすることはできません、とも話していました。日本の中でもそうした強いプレッシャーの掛かるクラブがあるべきだと思いますし、そういう環境でプレーすることが、日本代表が国を懸けて戦う時にも生きてくると思います。今のJリーグにはそういうクラブが見当たらないので、浦和がそこを目指してくれれば良いなと思いますね。そのチームのユニフォームを着ることがステータスになるようなクラブがJリーグにあれば良いですし、それに一番近いのは浦和レッズだと思います」

――今年はミハイロ・ペトロヴィッチ監督を迎えて、新たなスタイルにチャレンジしています。現段階での評価はいかがですか?

「上手くいっていると思います。ただ、今年に関しては日本代表選手を二人補強している (阿部勇樹をイングランド2部・レスターシティFCから完全移籍で獲得。槙野智章をドイツ1部・1.FCケルンからレンタル移籍で獲得) 、ということを理解しておく必要はあると思います。今年はある程度、ペトロヴィッチ監督の意向に沿った形で、それも代表選手を二人補強したということが、勝ち点に大きな影響を与えていると思います。時間の掛かるサッカーだと思っていただけに、彼らの加入なくして前半戦の成績はあり得ないと思います」

――ペトロヴィッチ監督のサッカーは、非常に特徴的なスタイルですね。

「かなり独特なスタイルで戦っています。一番良いなと感じるのは、選手たちが非常に伸び伸びとやれていて、精神的にフレッシュな状態で試合に臨めているところです。もちろん全員がそうだとは言いませんが、上手くチームをマネジメントしているなと感じています。プロのチームは、勝つことが全てです。勝たなければチームは上手く回らないですし、浦和のようにサポーターの多いクラブは、プレッシャーが強いのでよりその傾向は強くなります。ペトロヴィッチ監督は、その部分を理解しながら、サンフレッチェ広島のときとは多少アプローチを変えつつ上手く戦っていると思います」

――スタジアムで見る際に、面白いと感じられるのはどんなところでしょうか?

「最も特徴的なのは陣形ですね。相手がボールを持っているときは5-4-1の陣形となり、自陣に人を割いて厚く守ります。ある程度相手に攻撃させて、引き込んでおいた上でそこからカウンターアタックを仕掛けていきます。カウンターの精度も非常に高いですし、今年の浦和の大きな魅力になっています。また、カウンターが仕掛けられないときは、ディフェンスラインから時間を掛けてビルドアップしていきます」

――ビルドアップも特徴的ですね。

「ディフェンスラインでボールを持つと、今度は4-1-5と言えるような陣形を採ります。前線にサイドアタッカーを含めた5人の選手が並び、本来ボランチである阿部勇樹がディフェンスラインに下がって4バックの形となり、アンカーのところに鈴木啓太が入ります。最後尾に位置する阿部と永田充が、前線に張り出したサイドアタッカーに斜めのロングボールを入れたり、中央の3トップ気味の選手へ鋭い縦パスを入れたりして、攻撃を形作っていきます。この4-1-5と言える陣形はなかなか目にすることができないものです。テレビでは映らない部分もたくさんありますから、是非スタジアムで見て欲しいサッカーですね。ペトロヴィッチ監督のサッカーは、画面に映らないところに多くの特徴があります。そこを見て欲しいです」

――後半戦、キーマンになりそうな選手は誰でしょう。

「原口元気には頑張って欲しいですね。前半戦はかなり選手を固定して戦ってきましたが、原口をはじめとした若い選手には頑張ってもらいたい。今年はあまりチャンスをもらえていませんが、彼らが突き上げていかないと、チームは活性化されません。原口以外にも、小島秀仁や濱田水輝、高橋峻希など、怪我をしている山田直輝も含めてポテンシャルを持った若い選手が在籍しているので、彼らが少しずつでも試合に絡んで来られるようになれば良いと思います」

取材・文:浦山利史
撮影:鈴木俊介


(プロフィール)
福田正博
ふくだまさひろ。1966年生まれ。神奈川県出身。中央大学を経て、1989年に三菱重工サッカー部(現浦和レッズ)に加入。95年のJリーグで50試合に出場し32ゴールを挙げ、日本人初のJリーグ得点王に輝く。“ミスターレッズ”と呼ばれ、サポーターから愛された。2002年の現役引退後、JFAアンバサダーに就任。2008年~2010年に浦和のコーチを務め、2011年よりサッカー解説者として活動をしている。Jリーグ通算228試合93ゴール 日本代表45試合9得点 2006年・JFA公認S級コーチ取得