――まず、お2人の近況を教えてください。
北澤「ワールドカップ(以下、W杯)まであと1年ということで、南アフリカに行ってコンフェデレーションズカップを見てきました。なぜ今回、南アフリカでW杯が開催されるのかという背景も知りたいと思って行きました。現役時代からサッカーの普及のために国内だけでなく海外でも様々な活動をしています。日本は2002年にW杯を開催したという財産がありますから、それを伝えていく責任があると思います」
藤井「僕はFリーグの開幕に向けて、シーズンを通して戦える体作りをしている段階です。新しいチームで分からないことも多いですけど、たくさんのお客さんに見に来てもらえるように準備しています」
北澤「それだよね、今回のテーマ(笑)。全然フットサルのこと言わなかったね」
藤井「『何か難しいこと言ってるなぁ』と思った(笑)。北澤さんは現役の頃から、普及活動をしていてすごいと思う。自分もそういう気持ちはあるけど、今はプレーで精一杯ですね」
――北澤さんはフットサル日本代表でプレーしたこともあるそうですね。
北澤「僕の隠された経歴だね(笑)。まあ、それは冗談だけど。一時はフットサルの道に進もうかと思ったくらいです」
――ホンダFC時代ですか?
北澤「そうです。当時、ホンダで8人制サッカーの大会で優勝して、それで日本代表としてオランダで行われた第1回世界選手権(1989年)に出場しました」
――世界選手権も8人制で行われたんですか?
北澤「いや5人制です。ルールは今のフットサルと同じなんだけど、競技名は“ファイブアサイドフットボール”です。奥寺さん(現横浜FC取締役会長)がコーチをしてくれて、現地に行ってから専門的なトレーニングをしましたが、他のチームはみんな(フットサルの)専門チームでまったく歯が立ちませんでした。奥寺さんはドイツにいた時に室内でのプレーも経験していたそうです」
――参加してみていかがでしたか?
北澤「試合前に他のチームの試合を見たら、(フットサルの)戦術的な動きが凄くて『全然違うぞ、このままじゃ戦えないぞ』とみんなで言っていました。結局、チームは3連敗だったんですが、ベルギーともうひとつどこかのチームから獲得のオファーがきました。奥寺さんに相談したら『サッカーでもっと色々と経験してからでも遅くない』と言われて、はやる気持ちを抑えきれなかったんだけど、何とか思いとどまりました」
――人生が変わっていたかもしれませんね。
北澤「そうですね。でも、その大会をきっかけに時間とスペースの無い中でのプレーとかポジショニングや判断力が身に付いて、試合にコンスタントに出られるようになりました。それにサッカーの代表に選ばれる前だったから、その大会で日の丸の誇りや代表の重みを学びました。ちょうど、昭和天皇が崩御された時で日の丸が半旗になって、他の国の選手たちから敬礼や黙祷をされました」
――北澤さんのサッカー選手としての原点はフットサルかもしれませんね。
北澤「それは間違いないですね」
――藤井さんよりフットサルとの付き合いが長いというのは意外な気がします。
北澤「そう、実はフットサルでも僕のほうが先輩だね(笑)」
藤井「それいつも言われる。『おれのほうが先輩だ』って」
北澤「かっこつけた言い方かもしれないけど、最初からいた人間として、その経験を伝えていくのは使命だと思っています」
――藤井さんがフットサルを始めたきっかけを教えて下さい。
藤井「高校を卒業後に専門学校でサッカーをやっていたんですが、体が小さいからサッカーを続けていく上で新しい発想を採り入れたいと思って始めました。それまで、フットサルは国によってローカルルールがありましたが、ちょうど僕が始めた頃にFIFA(国際サッカー連盟)でルールが整備されて、第1回の全日本フットサル選手権(1996年)に出場しました」
――初めて出場した全日本選手権はいかがでしたか?
藤井「最初は正直、どんな大会かよく理解していなくて、関西地区の予選に出た時も全国まで続く大会とは思っていませんでした。全日本で優勝しても自分の中では、まだフットサルはサッカーのトレーニングの為と思っていました」
――フットサルに専念しようと思ったのはなぜですか?
藤井「代表に選ばれたことが大きいですね。それでボールの持ち方とかトゥーキックの蹴り方を教えてもらって、奥が深いなと思うようになって。サッカーを始めたころは『トゥーキックはやるな』と言われてたから、蹴り方を教わった時はすごく新鮮でした。あと日本代表でブラジルと対戦した時は凄い衝撃を受けて、世界と戦えるのもフットサルの良いところだと思ってハマリましたね」
――ラモスさんとも一緒にプレーしてますよね。
北澤「え? ラモス瑠偉?」
藤井「はい。第1回アジア選手権(1999年)で一緒にプレーしました。その時はフットサル選手として変なプライドというかこだわりがあって、ずっとサッカーをやってた人にフットサルが分かるはずないと思ってました。それが例えラモスさんであっても、素直に言うことを受け入れられなかった。その時、ラモスさんが言ってたプロ意識とかを理解できていれば、日本代表としてもっと早く良い結果を残せてたと思います」
――北澤さんは今でもフットサルをプレーする機会はありますか?
北澤「健太たちとよくやるんだけど、全身がつりそうになる(笑)。フットサルは気軽にプレーできて間口が広いけど、トップレベルは専門的でもの凄く高度なテクニックが要求される。自分がいたスペースから移動して、また戻ってそのスペースを使うなんてサッカーには無い発想だよね。マークが少しずれるとすぐにパスを通されるし、Fリーガーのテクニックは凄い!」
藤井「よく言われるのは『意外と激しいスポーツ』ということ(笑)」
――JリーガーがフットサルでFリーガーと勝負してもかなわないと思いますか?
北澤「そう思います。みんなパス回しとかに注目するけど、Fリーグの選手たちはディフェンス力も高いですから。フットサルならではの大事なポイントを理解しているから、ゴールを奪うことは難しいと思います」
藤井「フットサルは一歩先を読んでプレーすることが大切。フィジカルで負けるかもしれないけど、そういう部分では負けないと思います」
――年々、一般のフットサルプレーヤーも増えています。
北澤「フットサルをプレーすることはサッカー選手を目指すジュニア世代にも好影響があります。Fリーグができて、健太たちが頑張っている影響があると思うんですけど、『この子、フットサル向きだな』と思う子もいるし、サッカーとフットサルで相乗効果がある。僕らの頃は選べなかったから、JリーグとFリーグを選べる日本は素晴らしい!」
藤井「子供の頃に、フットサルで状況判断やテクニックを磨けば、サッカーの道に進んでも必ず生きてくると思います」
――お2人はガッタスの監督とコーチをされていますが、指導する際に大事にしていることはありますか?
北澤「フットサルをプレーするということは、押し付けられたものではなく、自分たちの想いを形にすることだと思っています。ゴールを決めた時の喜びや、決められた時の悔しさを感じて欲しいと思います。技術的なことに関しては、健太に任せてます」
藤井「僕も難しいことは言いません。まずはゴールした時の喜び、プレーする楽しさを感じて欲しいと思っています。まず楽しむことが上達につながると思います」
――Fリーグを観戦する時の注目すべきところはどこでしょう?
北澤「展開の速さと興奮度の高さだね」
藤井「サッカーで一番白熱するのがペナルティエリア内の攻防だと思うんですけど、それを常にやってるのがフットサル。スリリングなところを見てもらいたいですね」
北澤「バルサ(FCバルセロナ)のペナルティエリア内でのプレーのようなね」
藤井「毎回(バルサのように)うまくはいかないけど、それを目指したいですね」
北澤「あと感心するのが、ボールの持ち方や運び方が計算されていること。踏み出す足の一歩でプレーに違いが出る」
藤井「そこまで深く考えてないけどなぁ。逆にサッカーを見て、サッカーの発想を取り戻さなきゃと思うこともある。狭いスペースでプレーすることばかり考えて、長い距離を走ることを忘れがちになりますね」
――北澤さんが現役の頃、Fリーグがあったら挑戦していたと思いますか?
北澤「もちろん! いや、今でもチャンスがあれば…。実際には難しいけど、遊びでボールを蹴る時でも、Fリーグのようなトップレベルのフットサルを念頭に置いてやるとプレーの質が上がるんじゃないんですかね。みんなもフットサルをプレーする時は、自分なりの楽しみ方でいいと思うんだけど、Fリーグを見に行ったら、そのイメージを自分のチームに持ち帰ってもらいたいですね」
――Fリーグにはどんな印象を持ってますか?
北澤「リーグができて、1年目、2年目と観客が増えて順調に成長しているように見えるけど、下部組織ができていないとか、成長過程の部分もありますね」
――藤井さんはFリーグが開幕した時に喜びはありましたか?
藤井「フットサルを始めた頃に一緒にやっていた仲間たちのことを思い起こすと、感慨深いものはあります。でも、これは終着点ではないし、ただリーグができただけでプロリーグにもなっていない。もっとたくさんの人たちに見に来てもらえるように頑張りたいですね」
――Fリーグを盛り上げるために、北澤さんにはもっとフットサルについて発言していただきたいです。
北澤「足りない? 大仁さん(FリーグCOO)といつも話しているんだけどなぁ(笑)」
藤井「Fリーグができてまだ3年だから、北澤さんのようにサッカーで経験のある方々に頼ってばかりではなく歴史を自分たちで作っていくことも大事だと思います。もちろん、北澤さんには色々と勉強させてもらっています。さっきのラモスさんの話じゃないけど、すべてを吸収したいと思います」
――今後、Fリーグに期待することはありますか?
北澤「もっと盛り上がりが必要ですね。たくさんの観客の前でプレーすれば、選手たちも燃えるしね。ぜひ開幕節のセントラル開催をたくさんの人に見てもらいたい。全国各地のチームが一気に見られるわけだから、それをきっかけにして、それぞれにスタイルがあるから気になるチームを見つけてもらいたいです」
――今季からエスポラーダ北海道と府中アスレティックFCが参入します。
藤井「どちらもフットサルが盛んな地域。新しいチームとの対戦ということでシーズンの楽しみが増えました」
――北澤さんから藤井さんにエールをお願いします。
北澤「僕の地元、町田に移籍したんですよね。当然、町田を応援しますよ! 町田にとって、経験のある健太が来たというのは大きい。本当は僕が選手としてプレーできれば良かったんだけど(笑)。健太に託します!」
――藤井さん、今季にかける意気込みをお願いします。
藤井「『藤井健太が入ったから見ていて楽しいし、勝てるチームになった』と言われたい。それで優勝につながっていけば最高。優勝するために若手の多いチームに色々と伝えていきたいし、子供たちに『藤井健太を見に行きたい』と言われるようになりたい」
北澤「そういうのすごく大事だよね。僕も現役時代、自分がどれだけ観客を呼べるかと思ってた。そういう想いが重なることで魅力あるチームになるし、魅力あるゲームができる。今季の健太には、大いに期待しています」
取材・構成:有野博幸 撮影:松岡健三郎
北澤豪・藤井健太
北澤豪
藤井健太
●北澤豪
'68年、東京都生まれ。修徳高校から本田技研を経て1991年読売クラブ(現・東京ヴェルディ)へ移籍。Jリーグ初年度の1993年と1994年の優勝メンバー。日本代表としてもフランス「W杯」出場に貢献した。2003年引退。現在は日本サッカー協会特任理事兼国際委員としてサッカーの発展・普及につとめている。
●藤井健太
'76年、奈良県生まれ。奈良育英高校で楢崎正剛(名古屋グランパス)らと共に高校選手権でベスト4に進出。ルネス学園甲賀に進学し、第1回全日本選手権で優勝し、日本代表へも選出され、キャプテンも務めた。ASPA FC、MAG'S FUTSAL CLUB(現シュライカー大阪)、PREDATOR URAYASU FUTSAL CLUB(現バルドラール浦安)でタイトルを次々と獲得。2009年にペスカドーラ町田に移籍。165cm/62kg