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チケットぴあインタビュー

名波浩

名波浩

今シーズン、Jリーグ昇格20周年を迎えたジュビロ磐田。8月3日(土)に行われる新ヤマハスタジアムこけらおとしに続き、23日(金)には、アクトシティ浜松で名波浩プロデュース~Jリーグ昇格20周年記念トークショー~が開催される。翌24日(土)・FC東京戦の前に行われる「名波浩アドバイザー全面プロデュース ZENZA-MATCH」のイベントプロデューサーである名波浩氏に記念イベント、関塚新監督に代わり、新たなスタートを切るジュビロ磐田について訊いた。
――8月24日(土)にヤマハスタジアムで開催されるJ1第22節ジュビロ磐田対FC東京戦の試合前に、名波さんがプロデュースする『ZENZA-MATCH』が行われるということですが、どういった経緯で企画されたのですか?

「春先にジュビロ磐田のスタッフと、今年はJリーグ昇格20周年の記念イベントがたくさんあるという話になったんです。8月3日のJ1第19節名古屋グランパス戦では新ヤマハスタジアムのこけら落としをやると。その中で8月はイベント強化月間にしたいということで、24日のホームゲームでは、『名波プロデュースで何かできませんか?』というのが始まりでした」

――プロデューサーとして、このイベントは企画されているんですね?

「プロデューサーなんて格好のいいものじゃないですね(笑)。世間一般的にプロデューサーと言えば、他にディレクターだったりADだったり、多くの動いてくれるスタッフがいて、統括的な立場でしょ? でも、オレは違う(笑)。1から10まで全部自分でやっているんですよ。みんなに電話して、お願いして……人脈のすべてをフル稼働している。結構、しんどいですよ(笑)。(藤田)俊哉の送別試合が終わってからは、本当にこのイベントに全精力を注いでいるって感じです」

――それだけ名波さんのアイデアや思いが詰まっているということですね?

「このイベントは、『ZENZA-MATCH』の前後も含め、3日間をトータルで考えています。試合前日には前夜祭的な位置付けで、トークショーを行います。そして当日の試合、その翌日にはボランティア活動。ボランティア活動に関しては磐田市に協力をお願いしています。ただ試合をするだけではなく、中山(雅史)さんをはじめ、いろいろな人たちに前後でも協力してもらおうと考えているんです」

――前日に行われるトークショーでは、名波さんをはじめ、中山雅史さん、藤田俊哉さん、福西崇史さん、鈴木秀人さんと、豪華なメンバーが揃うそうですね?

「2010年に、自分の引退試合の前日にも、中山さん、俊哉、あとサプライズゲストとしてマコ(田中誠)の4人でトークショーをやったんです。そのとき、自分の中でかなり盛り上がった印象があって。それに20周年の歴史を振り返る映像を盛り込んだら、もっと喜んでもらえるんじゃないかって考えたんです。しかも前回は、MCはアナウンサーの方にお願いしたのですが、今回は自分がMCも務めます。この4人なら、自分がMCをやったほうが、よりいじれるかなと(笑)」

――中山さん、藤田さんはあまり過去のことを覚えていないタイプとのことですが、福西さん、鈴木さんはどうですか?

「フク(福西崇史)はどうかなあ。ヒデ(鈴木秀人)は、このメンバーの中では結構、覚えているほうだと思います。俊哉はほんと、ひどいからね。ずば抜けて覚えていないから(笑)」

――そのためにも映像があると効果的ですよね。

「オレらにとっても、来てくれる人にとっても、過去の映像なので懐かしんでくれると思います。中には初見の人もいるかもしれませんが、昔からジュビロには、こうした“イズム”がある中でプレーしていたんだということを感じてもらいたい。大袈裟かもしれないけど、それが今のジュビロの力になればうれしいし、我々5人も昔話に花を咲かせつつ、今のチームにエールを送れればと思っています」

――公式戦前に行われる『ZENZA-MATCH』にもそうした意味合いはありますか?

「今回、OBに出場のお願いをしたとき、みんな二つ返事で了承してくれました。勝矢(寿延)さんは、この試合の主旨を話したらOKしてくれて、2カ月前から走り込むって言ってくれた。試合は30分ハーフなので、みんなに最低でも30分はやってもらうからって伝えてあります。観客の皆さんには、昔はこういうスタイルでプレーしていたというのを感じてもらうとともに、1年に1回か2回しか会わないメンバーでも、パッと集まって、いわゆる“阿吽の呼吸”と言われるプレーができるところを見せたい。オレらはそういう超越したグループだったと思うし、そのイズムというのは、1994年にJリーグに昇格したときから強いと言われていたときまでは、常にそれを追い求めて時代を駆け抜けていった。今のジュビロがそのゴールに近づいているかといったら、正直、『?』が付く。大きなクラブ理念とともに、オン・ザ・ピッチのクラブ理念というものも継承していってほしいというのが、今回、試合に出場してくれるOBたちの思いでもある。そういったものをこの試合で少しでも伝えられたら、見せられたらと思っています」

――出場メンバーも続々と発表されていますが、見どころは?

「出場依頼も自分でお願いしたので、前後半のメンバーも自分で決めさせてもらいました。『Jubilo Legends』のほうで今、言えるとしたら、黄金の中盤に、あのベテラン選手が加わることですかね。全部言ってしまうと、楽しみがなくなってしまうので、今はこれくらいにしておきます」

――対戦する『STAR CRACKS』の見どころや対戦する楽しみはありますか?

「出場してくれる人の中で、実はJOYくんとはまだ一度も会ったことがないんです。相当やるという話は聞いているので、対戦するのは楽しみですね。ガクさん(GAKU-MC)は俊哉の送別試合でゴールを決めているし、ペナルティのワッキーは今回も身体を作ってくるって言っていたので、やってくれるはず」

――今シーズンのジュビロ磐田についても話を聞かせてください。リーグの中断期間前に関塚隆監督の就任が発表され、新たなスタートを切ります。

「関さん(関塚監督)が監督になり、戦い方も変わると思うので、選手が順応してうまく表現してほしいですね。あとは関さんと話したときにも言っていたけど、今まで、組織に縛られたプレーを余儀なくされていた選手がいたと思うので、そういった選手たちにのびのび、自由にプレーしてもらいたい。個人的に名前を挙げれば、山田大記、小林裕紀、あと前田遼一もそうだろうね。攻撃のところで、自由という新しいスパイスを散りばめることで点が取れるようになれば、相手よりも上回れるようになる。今季は優勝を目指してスタートしたけど、現状、17位と厳しい位置にいる。とにかく今季は残留。幸運なことにJリーグは残留争いをした翌年に優勝を狙いますと言っても、誰も笑わないリーグ。その土台作りとして、今季は残留を目標に戦っていくべきだと思いますね」

――中断期間があったことは、ジュビロにとってチャンスでもありますよね。

「新しいものをやり出す中で、中断期間があったことが良かったのは間違いない。でも、それまでの試合をフィードバックして考えていくやり方もあったかもしれない。それはクラブのやり方なので、個人的に意見は言えないですけど。一つ私的な意見を言うとすれば、自分も監督をやりたかった。そこまでの思いはある。再開後、関さんが監督になり、ボールをつなぐことを大事にもし、関さんがやろうとしている前への速さも出てくると思う。その使い分けが大事になってくる。あとは選手が同じ方向を向くべき。それは残留に向かってという大きなものもあるけれど、試合中にこの時間帯をどう使う、ここはセーフティーに行くといった試合内での方向性もそう。とにかく、すべてを研ぎ澄ましてほしい」

――名波さんがプレーしたジュビロのいわゆる黄金期においても、いい時期もあれば、おそらく悪い時期もありましたよね。そのときの違いとは?

「サッカーのストレスはサッカーで解消するという雰囲気がチームにはあった。メンバーに入れなかったり、スタメンで出られなかったり、ミスをしてイライラしていても、それを何かのせいにするのではなく、次のトレーニング、次のゲームで解消しようというグループだった。今の選手たちにも漠然と練習に来て、漠然と帰るような集団にはなってほしくない。関さんが来て、上が変わったんだから、自分たちも変わるタイミングだと思う。例えば、急に声を出すようになったと、周りから言われるのが嫌なのかもしれないけど、このタイミングで変わったっていいと思う。最初は言われるかもしれないけど、そのうち、それが当たり前になる。大人しい山本康裕が声を出すとか、あまり話をしない宮崎智彦が先頭を走り出すとか。オレらのときの9番(中山)、10番(藤田)はそういうことを示してくれる選手だった。対照的な2人に見えるけど、本当によくチームのことを考えている2人だった」

――選手たちが変わることで、現在17位という順位を脱出できると?

「そう。相変わらずJリーグは、ホームとアウェイのアドバンテージがあまりないので、アウェイだからというのはなく一戦必勝で戦える。それは下位チームにとってJリーグのいいところとして戦えばいい。ただし、絶対はない。去年のガンバ大阪を見れば、それは分かるはず。まさかジュビロがってよく言われるけど、絶対はない。それを選手たちも理解していく必要はある。山田にも、前田にも、そのことは言った。絶対は何もないぞって」

(プロフィール)
名波浩
ななみひろし。1972年、静岡県生まれ。清水商業高、順天堂大を経て1995年にジュビロ磐田入り。華麗なパスサッカーの中心人物としてベストイレブン4回受賞。1999年にはイタリア・ヴェネツィアへ移籍。磐田へ復帰後、セレッソ大阪、東京ヴェルディへ移籍し、2008年磐田でのラストシーズンを過ごし、現役引退。1998年ワールドカップ出場。国際Aマッチ67試合9得点、J1リーグ314試合34得点。

取材・構成:原田大輔 撮影:新関雅士