東日本大震災から約15カ月が過ぎたが、被災地はまだ何も変わっていない??。
被災した地域をホームとするベガルタ仙台の関口訓充は、復興に向けて継続した支援を訴える。継続……昨年に続き開催されるJリーグスペシャルマッチもその1つ。震災を経験したからこそ、この試合に出場したい。関口には特別な思いがある。
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――東日本大震災から約15カ月が過ぎました。思い出すのも辛い記憶だとは思いますが、当時のことを振り返ってもらえますか?
「震災直後は、本当に何が起きたのか理解できませんでした。道路は大きく波を打ち、電気やガス、水道とすべてのライフラインが止まりました。テレビも見られず、情報も得られない。夜になると辺りは真っ暗になり、近くの石油コンビナートが燃えている光りだけが見える……やっぱり、今もできることなら思い出したくはないですね」
――そうした状況の中、関口選手はどう行動されたのですか?
「あの困難の中で感じたのは人の温かさでした。震災直後は、食事も近くのスーパーに並び、決められた数しか購入することができないような状況でした。そうした中、公民館に行くと、僕がベガルタ仙台の選手であるということを知った人たちが、自分たちの食糧を分けてくれようとしたんです。その気持ちだけ受け取り、もらうことはしませんでしたが、自分のことだけでも大変な状況の中で、他人を気遣える優しさに触れたんです。そのとき、『自分には何ができるだろうか』と考えさせられました。プロのサッカー選手だからこそ、できることもあるんじゃないか。そこで考えたのが、メディアを通じて継続して現状を伝えていくことや、プレーすることで少しでも多くの人たちに勇気や感動を与えていくことではないかと強く思ったんです」
――チームとしてはどのような活動を行っているのでしょうか?
「震災直後は、瓦礫の除去であったり、家の片付けであったり、チームとしてできる限りの活動を行ってきました。時間が経ってからは身体を使った活動だけでなく、子どもたちの心のケアなど、精神面のサポートにも取り組んでいます。チーム云々ではなく、僕らも一人の人間として行動したいという気持ちが強かった。だから、チームが決めたことをやるだけでなく、僕ら選手からも意見を出し合い、いろいろな地域を訪問するなど、活動内容は相談しました。被災した地域のチームであるだけに、みんなの力、希望になりたいと思ったんです」
――震災後、サッカーの「力」をどのように感じましたか?
「震災を知った世界中のいろいろなリーグ、クラブ、そして選手から多くのメッセージやエールをもらいましたよね。サッカーというスポーツがつながっていること、人の心を動かせるということもまた知りました。本当にサッカーには『力』があるんだなと思いましたね」
――震災から約1カ月半後の4月23日にJリーグは再開しました。その日は、特別な気持ちで試合を迎えたことと思います。
「あのときは、『またサッカーができるんだ』という思いが込み上げてきましたね。それと同時に勇気や希望を与えるためにも、負けられないという思いもありました。だから、サッカーができることへの安堵と、勝たなければならないというプレッシャーの2つを感じていました。手倉森(誠)監督からは、『最後まで思い切ってやろう』という話があり、僕ら選手たちだけでも話し、『最後まで諦めずに戦おう』という強い気持ちで臨みました」
――その強い気持ちが、再開後に11戦無敗という結果を残し、チーム史上最高の4位という成績につながったのですか?
「4位という成績を収められたのは、技術や戦術というよりも気持ちが一番大きかったと思います。僕たちが諦めずにプレーしている姿を見て、何かを感じ、前を向いて生きていこうと思う人がいるかもしれない。そう感じてもらうため、僕らは最後まで戦い抜こうという思いでピッチに立っていました。シーズン終了まで、選手一人一人が自分の役割を全うし、走り抜いたからこそ、ベガルタ仙台にとって最高の成績である4位という順位でシーズンを終えられたんだと思います」
――今シーズンは、どういう気持ちで迎えましたか?
「昨シーズンは開幕戦を終えた後、震災が起き、それまで当たり前だったことが当たり前ではなくなりました。それだけに今シーズンの開幕前は、試合の日程が決まっても、それを当たり前だとは思わず、試合ができることに感謝しようという気持ちでいました」
――開幕戦はホームに鹿島アントラーズを迎えての一戦でした。
「本音を言えば、被災した地域のチーム同士、ともに開幕戦に勝利して、被災した人たちに勇気を与えたかったですね。それだけに少し複雑な気持ちではありましたが、僕らはホームで戦うだけに『負けられない』という思いは強かったです」
――今シーズンの開幕を迎えるにあたって、手倉森監督は、選手たちにどういった話をしたのでしょうか?
「試合のときに限ったことではないのですが、監督からは『シーズンを通して被災した地域のみんなのために戦おう』という話がありました。選手たちもその気持ちは常に持って戦っているので、やってやるという思いは強いですね」
――そうした思いが今シーズン、第13節を終えて、首位を走っている要因でもあるのですか?
「それはありますね。みんなのために戦うという思いが僕らの身体を突き動かしてくれる。今後も走れない、動けないと思っても、強いメンタルがきっと身体を動かしてくれると思います。今も定期的に仮設住宅などを訪れ、被災した方たちと話しをする機会をなるべく多く作っているのですが、そうした方たちから、負けるところを見たくないから、試合途中で負けていると、テレビを消してしまうという話を聞きました。だから、僕らは勝ち続けて、勇気を与え続けなければならないんです。まだまだ自分のことで大変だと思うのに、いつも僕らの心配をしてくれる。だからこそ、応援してくれる人たちの期待に応えたいですね」
――スパイクに「絆」の文字を刺繍しているのも、そうした思いからですか?
「そうですね。スパイクに漢字1文字を入れようと思い、いろいろと考えたとき、「絆」という言葉を思いつきました。これは、被災した人たちへの僕からのメッセージです。一人じゃないということを分かってもらいたかったんです。自分たちも多くの人たちに助けられ、支えられ、成り立っているように、みんなも一人じゃないということを伝えたいんです」
――震災から約15カ月が経ち、徐々に報道される機会も減り、被災地の現状を知る機会が少なくなってきているように思います。そうした状況だからこそ、関口選手から伝えたいことはありますか?
「被災地は、まだまだ変わっていません。苦しんでいる人、大変な思いをしている人は多く、解決されていない問題も山積みです。僕らが仮設住宅を訪問しても、集会所まで出て来られない人もいますし、まだ心から笑うことができないでいる人もいます。子どもが学校を休んで、親の替わりに買い物をしているようなこともある。震災から何も変わっていないことがあるということを、みんなに知ってもらいたいし、心に留めてもらいたい。だから、こういう機会を通じて、現状を伝えていきたい。復興には時間がかかります。ほんの少しのことでも構わないので、継続して力を貸してもらえたらうれしい。1つの力は小さくても、それが集まれば大きなものになる。自分も継続して支援を続けくので、みなさんにもぜひ、協力してもらえたらと思います」
――継続という意味では、昨年に続き、今年も7月21日に県立カシマサッカースタジアムにて、東日本大震災復興支援のJリーグスペシャルマッチが行われます。サポーター投票により出場選手は決定しますが、この試合への特別な思いはありますか?
「昨年に続き、Jリーグがこうした東日本大震災復興支援の試合を開催してくれることに感謝しています。この試合を見て、一人でも多くの子どもがサッカー選手になりたいと感じてもらえたらうれしいですし、サッカーをやっていない子どもも、僕らのプレーを見て、元気や勇気、そして生きる希望を持ってくれたらと思います」
――出場への意気込みはどうですか?
「出場できれば、全力でプレーするので、その姿を見て、楽しんでもらえたらと思います。自分がプレーすることで少しでも何かを伝えられたらと思っています」
取材・文:原田 大輔
撮影:佐野美樹
(プロフィール)
関口訓充
1985年12月26日生まれ。東京都出身。170cm/64kg。帝京高校卒業後、ベガルタ仙台へ入団。サイドを主戦場に得意のドリブルを武器に攻撃を彩り、仙台の快進撃を支えている。2010年に初めて日本代表に選出され、3試合を数える。