インタビュー

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日本の戦後、その大きな転換期となった1950、60、70年代それぞれを、市井に生きる人々の目線から描き出す、新国立劇場に鄭義信が過去に書き下ろした三作の一挙再演が今春に決定した。自身のルーツを見つめながら、普遍的な人間の営みを活写する『焼肉ドラゴン』『たとえば野に咲く花のように』『パーマ屋スミレ』。その再創造という大仕事を前にした鄭が、今想うこととは?

インタビュー

――2015年は『GS近松商店』や『杏仁豆腐のココロ』など、鄭さんのこれまでの作品が、様々な形で再創造、再演された一年でした。
僕自身、思ってもみなかったことで本当に有り難いと思っています。時を経て作品を再びお客様に観ていただけることは、作品だけでなく、僕自身をも見直す機会になる。その経験を経て、今回の三作上演があるわけで、徹底的な自分再点検ができそうですよね。
――新国立劇場で反響を呼んだ三作を連続上演すると聞いたときのお気持ちは?
話自体はもう数年前にあったことで、「随分先のことだな」と思っていたんですよね。今は急に眼前に迫ったような感覚で、光栄だと思う反面、「また、あの格闘の日々が始まるのか……」と覚悟を促されている気もしています(笑)。  「三部作」と呼ばれていますが、最初に書いた『たとえば野に咲く花のように』(2007年)は、「三つの悲劇―ギリシャから」というギリシャ悲劇の翻案に三人の劇作家が取り組むという新国立劇場の企画のために書いたもの。演出も鈴木裕美さんでした。だから、続く『焼肉ドラゴン』(08、11年)、『パーマ屋スミレ』(12年)と合わせて「三部作」と呼ばれるようになるとは、僕自身思ってもいなかったんです。
――でも結果的には10年ごとのスパンで、日本の大きな転機を見つめる三作になった。そこには必然があるようにも思えます。
そうかも知れません。でも『たとえば~』ではアンドロマケ(ギリシア神話のトロイ戦争に関する登場人物。トロイの総大将ヘクトルの妻だったが、敗戦後は敵国の戦利品となり、敵方の将軍アキレウスの息子の妻にさせられた)の物語をベースに、戦後の傷も生々しい時代に再生を模索する人々を、『焼肉~』では高度成長期の真っ只中、僕自身が育った関西の、在日コリアンたちの暮らしを描こうと考えてはいましたが、その時点では三部作の構想はなかった。最後の『パーマ屋~』にたどり着いたとき、やっと全体を俯瞰で見て、自分でも「この三作で“時代の流れ”のようなものを書こうとしていたのか」と気づいた次第です。  そもそも悲劇を題材にしたにも関わらず、『たとえば~』はどうにも悲劇っぽくならなかった。僕のタチなんでしょうけれどね。それが『パーマ屋~』を書いて、初めて自分でも「こういうことが日本の悲劇なのかも」と思えた。それまで石炭に依存してきた日本のエネルギー政策が大きく転換し、そこで生きる人々を切り捨てた様を描いた作品でしたから。本当に、いろいろと発見させてくれた三作だと、振り返ってみてつくづく思います。
――三作はいずれも、鄭さんの作品に繰り返し登場する社会の底辺近くにいながら、懸命に生きる人々を活写しています。それぞれ前回の創作、上演時で記憶に残ることはありますか?
やはり再演を重ね、韓国公演も実現した『焼肉~』は思い入れの強い作品です。日本では、ある種のノスタルジーを抱いて年齢が高めの観客が支持してくださったのに対し、韓国では若者から大きな反響があった。国や政治に翻弄され、離散していく劇中の家族に、韓国で今まさに問題となっている家族の崩壊という社会現象を重ねて観てくれたんです。その逆転現象は興味深いものでした。それに、初演に出演していた劇団時代からの先輩・朱源実が、再演は病気のため降板し、その後亡くなったというつらい出来事もありました。  『パーマ屋~』は執筆段階で苦労した作品。その頃僕は韓国で、以前書いた音楽劇『ネズミの涙』を、劇団美醜(ミチュウ)の若手と一緒につくる稽古中でした。戯曲の残り3分の1くらいのところでピタリと筆が止まって。悲劇的な展開とラストを書くことに、心のどこかで迷いや抵抗があったんだと思います。東日本大震災以来、劇中で人が死ぬ作品はしばらく書いていませんでしたし。でも当時の、激しい「時代の流れ」を描くためには、なんらかの犠牲がどうしても必要だと腹をくくった。結果、別離や旅立ちを希望として表現することが多い僕の作品には珍しく、「留まる決断」を下すヒロインが生まれたんです。 悲劇としっかり向き合い、それを乗り越えた先にしか見えない「希望」もあると、『パーマ屋~』を書きながら気づかされました。
――今回の上演に際し、戯曲の加筆や演出プランの変更など、現時点で考えていることはありますか?
『焼肉~』と『たとえば~』はほぼ全員新しい方になりました。『パーマ屋~』も一部キャストは変わりますので、演じる俳優さん寄りに微調整はしていきますが、戯曲の大きな変更はないと思います。変更するあて書き的な部分も、主としてギャグでしょう(笑)。俳優が変われば、必ずそこに新たな化学反応が生まれるはず。演劇は人と人との関係性、その繋がりから生まれるものですから。だから演出家の僕が新しくするというより、作品が勝手に新しくなっていく、その作用に身を委ねていこうかなと、今は考えています。  特に一番手の『焼肉~』は、韓国人キャストも含め、初めてご一緒する方も多いので、何が起こるか興味津々です。ただ日本と韓国、両方で非常に愛された作品なので、非常に思い入れの強いお客様も多いようで、その方たちが新しい『焼肉~』をどう受け止めてくださるかには、少しドキドキしますね。
――改めて並べてみると、70年近く前の日本を描きながら、現在に続く社会的な問題をどの作品も内包しているように思えます。
確かに。『たとえば~』では戦争協力者のことなど、タブーとされている戦争の話も書いているので、今読み返すと有事立法関連で喧々諤々の日本を映す、非常に現代的な意味を帯びているとも感じられる。『パーマ屋~』は何度も繰り返す負の歴史を描いているので、飛躍が大きいかも知れないけれど、沖縄の基地問題などを重ねて見てもらえるんじゃないか、と。『焼肉~』は言うまでもなく僕自身のルーツであり、この国が時代時代の都合で切り捨てて来た「棄民」たちのドラマで、同じように国民を踏みにじるような政治が、日々行われていますから。
――鄭さんは歴史の、日の差さぬ部分で生きる人々を演劇を通して記録し続けて来ましたが、30年近い活動のなかで、ご自身の作品や、描きたいと思う題材に変化はあったのでしょうか?
僕の劇作家としてのデビュー作は、黒テント時代に書いた『愛しのメディア』(86年)ですが、これは日本に不法入国した女たちが、マラソンランナーの男に自分たちの希望を重ねていくという物語でした。在日コリアンというマイノリティ出身の僕自身の、「個の物語」として書いたつもりでしたが、振り返ってみると多分に当時の時代に左右されている部分があった。創作の源には、その時々の自分の哀しみや怒り、喜びがあったとしても、それを作品に反映させようとすると、時代は無視できないものとして立ちはだかる。そのうえ、僕の出自はこの国の歴史や政治と切り離せないもの。そんな風に考えると、書きたいもの・書こうと思うものは変わらなくても、そこに時代時代の影響が自ずと加わり、作品の見え方・伝わり方が変わっていく、というのが実際なのかなと思います。  歴史認識などと大上段に構えるのは僕には似合わないけれど、歴史の主筋からこぼれ、置き去りにされた人々を描くことは、僕にしかできない仕事だと思う。演劇界の隙間産業として(笑)、今後もこのスタンスは変わらないと思います。

取材・文:尾上そら
撮影:源賀津己

INFORMATION

  • ■「三つの名舞台-鄭義信 三部作-」〈特別割引通し券〉
  • 3月11日(金) ~ 3月26日(土) 新国立劇場 小劇場 (東京都)
  • ※チケットは、新国立劇場演劇「焼肉ドラゴン」「たとえば野に咲く花のように」「パーマ屋スミレ」3公演セットの特別割引通し券となります。
  • ■「三つの名舞台-鄭義信 三部作-」Vol.1『焼肉ドラゴン』
  • 3月7日(月) ~ 3月27日(日) 新国立劇場 小劇場 (東京都)
  • ■「三つの名舞台-鄭義信 三部作-」Vol.2『たとえば野に咲く花のように』
  • 4月6日(水) ~ 4月24日(日) 新国立劇場 小劇場 (東京都)
  • ■「三つの名舞台-鄭義信 三部作-」Vol.3『パーマ屋スミレ』
  • 5月17日(火) ~ 6月5日(日) 新国立劇場 小劇場 (東京都)
  • ※兵庫、福岡公演あり