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'06年3月26日(日)、青山ベルコモンズにて記念すべき50回目のトークバトルが開催された。
金子達仁の代表的著書である『28年目のハーフタイム』から10年を経て語られた、アトランタ五輪日本代表の“真実”。熱いトークの模様を一部ご紹介します!

ぴあトークバトル スポーツ快楽主義2006 Vol.50 ANNIVERSARY
金子達仁×前園真聖
~『28年目のハーフタイム』の真実~

協力:
スポーツニッポン新聞社
 青山ベルコモンズ

青山ベルコモンズ クレイドールホール

前編

<ホスト>
金子達仁(スポーツライター)
'66年、神奈川県生まれ。法政大卒業後、「サッカーダイジェスト」記者を経て、'95年にフリーとなりスペインに移住。著書に「28年目のハーフタイム」「決戦前夜」「蹴球中毒」「惨敗」「21」「秋天の陽炎」などがある。

<ゲスト>
前園真聖(元サッカー日本代表)
'73年、鹿児島生まれ。'92年、鹿児島実業高校からJリーグ・横浜フリューゲルス(現横浜FC)に入団。'94年、日本代表に初選出。'96年の「アトランタオリンピック」では、予選時からチームの要として大活躍し、抜群の注目を集める。その後、東京V、サントス(ブラジル)、安養LG(韓国)などでプレーした後、2005年5月に引退を表明した。現在はサッカー解説者としての活動のほか、少年サッカーの普及活動につとめている。


司会:こんばんは。本日は「ぴあトークバトル」の記念すべき50回目、「ぴあトークバトル スポーツ快楽主義2006 VOL.50アニバーサリー 金子達仁×前園真聖~『28年目のハーフタイム』の真実」へご来場いただきありがとうございます。ナビゲーターの熊谷心です。どうぞよろしくお願いします。
会場:拍手
司会:今からちょうど10年前の1996年3月27日、アトランタオリンピック・アジア最終予選が終わった日は、我らが日本代表が本戦への出場権を手にした日でもあります。その本戦でブラジル代表を破ったマイアミの奇跡(1996年7月21日、アメリカ・マイアミ、日本1-0ブラジル)など、まだまだ記憶に新しいところだと思うんですが、そのアトランタオリンピック代表チームでは一体何があったのか。そのあたりを克明に記したスポーツドキュメンタリー『28年目のハーフタイム』に今日はスポットを当てて、「ぴあトークバトル」をお届けしていきたいと思います。ゲストはアトランタオリンピック日本代表チーム・キャプテンとしてチームを率いました前園真聖さん。「ぴあトークバトル」初代ホストであり、『28年目のハーフタイム』の著者、そして日本を代表するスポーツライター・金子達仁さん。お二人をお招きしてお送ります。あの日、あの時、日本代表に何があったのか。『28年目のハーフタイム』の真実とは何なのか。お二人の熱く、深いトークを皆さんにお楽しみいただきたいと思います。まず、本日のホストをご紹介します。スポーツライター・金子達仁さんです。
会場:拍手
司会:よろしくお願い致します。
金子:よろしくお願いします。
司会:お客さんも、粛々と固唾を呑んで見守っている感じですね。
金子:これから出てくる人を待ってね。
司会:いやいや、それだけではないんですが。「ぴあトークバトル」も足かけ6年、50回。スペシャルも含めて70回になるんですけど。
金子:えらいことやってますよね。当初はそれこそ渋谷のワールドスポーツカフェで。
司会:そうですね。今はもうなくなってしまった。
金子:そこで本当に僕、酔っぱらいながらやってたんですけどね。
司会:飲みながら、食べながら盛り上がってましたね。
金子:はい。渋谷のクラブで、オールナイトでやったこともありましたよね。あのときも終盤戦は、みんなかなりアルコールで脳が溶け出して。
司会:そうでしたね。お客さんもそういうテンションを楽しんでましたよね。この6年間の間には2002年に『FIFAワールドカップTM』もありまして。当たり前のように、トークバトル50回の中でもサッカーの話題が本当に多いんですね。
金子:多いですね。
司会:もう本当に圧倒的な割合を占めているんですけども。
金子:70年代、80年代のサッカーの現状を知る者としてはすごく喜ばしいことですね。日本のスポーツを語り合う場というのは、これからも「ぴあトークバトル」だと思いますね。
司会:初代ホストということで、大役をお務めになったわけなんですけれども。
金子:全然。ホストだとか、大役だとかいう概念がなかったですからね。
司会:そうですか。一番印象に残っているゲストというのは?
金子:印象に残ったゲスト……? 中西哲生(スポーツジャーナリスト、元川崎フロンターレ)じゃないことだけは間違いないんですけど。
司会:現在「トークバトル」のホストを務めております。
金子:僕はそれよりこれが終わった後、飲みに行ったことが印象に残っていますね。
司会:解放された感じのほうが。
金子:今日も、この裏にはビールが用意されていると信じて疑っていないんですけど。
司会:そういった意味では、それを目指して頑張っているという状況ですね。では、本日のゲストをお招きします。前園真聖さんです。
会場:拍手
前園:よろしくお願いします。
金子:またさぁ、裸足に赤い靴? ヤラしいよね、相変わらず。
前園:すみません。
金子:いやいやいや、いいよね、そういうところは。
司会:トークショーはいかがですか?
前園:久しぶりです、トークショーは。
司会:今日は特に『28年目のハーフタイム』の真実ということで、もう10年前のことになるんですけど。せっかくなので、ぜひこういったところを聞いてほしいとか、こういうことを話したいとか、もしあれば簡単に。
前園:あまりそのことを人前で語ることはなかったので、そういった意味ではこういうところで語るというのは非常にいい機会なんで、いろいろと話したいと思います。
司会:貴重な経験だと思いますので、皆さんもぜひお楽しみいただければと思います。それでは、ここからは金子さんにバトンタッチしてお願いします。
金子:太んない?
前園:太ってますか?
金子:いやいや、普通太るじゃない。プクプクと。
前園:太らないように、とりあえず体を動かしてます。
金子:一応頑張ってるの? ジムに行ったりとか?
前園:頑張ってます。
金子:頑張ってるんだ。
前園:はい。ちょこちょこっとサッカーやったり。
金子:だって、もともとけっこう太りやすいタイプじゃない?
前園:太りやすいですよ。オフの時には必ず4~5kg 太ります。
金子:今ず~っとオフなんだけど。
前園:そういった意味ではそうですね。だからホントなおさら太るんで、ジムに行ったりとか、家の近くを走ったりとか。気を遣ってます。
金子:走るのあんなに嫌がってたのにね。
前園:今は結構楽しく走ってるんで。
金子:結局1992年だよね、Jリーグに飛び込んだのが。
前園:はい。
金子:13年間。終わってみて、半年経ってどう?
前園:どうなんですかね。僕は結構、順調にというか、思い描いていた通りにゆっくりと来られているんで。そういった意味では、まあいいかなみたいな。
金子:人生のほぼ半分を、朝起きたらその日のトレーニングのことだったり、週末の試合のことだったりに思いを馳せなければならない、あるいは馳せることのできる生活を送ってきた。すぐ近くにやらなければいけないこと、目標があった毎日。今ちょっと違うでしょ。
前園:そうですね。生活のリズムも変わってきたし。ただ、目標が全然違うことになってきているというか、仕事が変わってきてるんで、新鮮さはありますよね。やっぱり毎日体を動かしてたので、まだちょっと違和感はありますけど。
金子:しゃべりのトレーニングの方はいかが?
前園:しゃべりはですね……まだ、これからだと思います。
金子:“ら抜き言葉”とか注意されるでしょ?
前園:されますね。結構気使うんですよね。
金子:日常的に嫁(八塩圭子、フリーアナウンサー)にそれを怒られてるからさ。
前園:そうですよね。
金子:じゃ、鹿児島実業高校1 年生の頃からちょっと振り返ってみましょうか。坊主頭の、気合の入った高校で。でもまだ全く、鹿実(鹿児島実業高校)のサッカーというものは全国的には認められていなかった時代。
前園:そうですね。高校サッカー選手権には出ていたんですけど。本当に1回戦、2回戦で負けるようなチームだったんで。
金子:そもそも、国見高校に行きたかったわけでしょ。
前園:そうなんですよ。国見に行きたかったです。
金子:似たような気合の入った学校で。
前園:でも、いろいろあって行けなかったですね。家族の住所もすべて向こうに住所変更しなきゃいけなくて。
金子:公立だからね。
前園:そうなんですよね。
金子:当時、国見は鹿実よりはちょっと上のところに……。
前園:……でしたね。
金子:ガッカリだった? ちょっと鹿実は?
前園:そんなことないですけどね。
金子:入ってみてどうでした?
前園:いや、大変でした。だいたい想像していたんですけど、でもやっぱり厳しかったですね。
金子:前園くんが1年生の時の3年生が片野坂(知宏、元大分トリニータ)君ぐらい?
前園:そうです。
金子:で、1年生のときに大宮で武南高校にズルな判定で1-2か何かで負けたんだよね、確か。
前園:よく覚えてますね。
金子:当時、高校サッカー担当だから。
前園:あ、そうか。
金子:松沢(隆司、鹿児島実業高校サッカー部総監督)さんが激怒してて。練習はやっぱり走ってばっかり?
前園:走ってばっかりです、本当に。すごい走りますよ。
金子:中学校の頃の前園真聖ってテクニシャンだったの? それとも気合派だったの?
前園:いや……
金子:九州の中学生って2つに分かれるじゃない。
前園:テクニシャンでしたね。走るのは基本的に好きじゃなかったんで。どっちかというとテクニシャンだったと思いますよ。
金子:同期に遠藤くんのお兄ちゃん(拓哉、鹿児島実業高校出身、遠藤彰弘~ヴィッセル神戸、遠藤保仁~ガンバ大阪の兄)がいて、藤山(竜仁、FC東京)君がいて。割とコマが揃ってた。
前園:そうですね。
金子:1年生の中で一番うまかった?
前園:どうなんですかね。でも、1年の時にその3人だけレギュラーだったんで、まぁそこそこだったんじゃないですか。
金子:その頃はまだ日本一になんて想像してなかった?
前園:してませんでしたね。「日本一になりたいな」とは思ってました。
金子:「なりたい」とは思っていた。
前園:でも、まず選手権に出るのが一つの目標だったんで。そのために鹿実に行って。
金子:2年生の時に鹿実自体が大ブレイクしたんだっけ?
前園:そうですね。準優勝ですか。
金子:初めての国立競技場です。
前園:いや~、嬉しかったですね。国立でやりたかったんで。開会式をやるじゃないですか、あの芝生の上で。まさか、そこに行けるとは思ってなかったですけど。
金子:その頃になると、Jリーグ発足といういう噂もちらほらと。
前園:そうですね。
金子:スカウトとか前園君のところに来たのはいつ頃?
前園:3年の新人戦とか、具体的な話になってきたのはインターハイとか。
金子:そんなに遅かったんだ。
前園:そうですね。直接会ったのはそれぐらいです。
金子:いくつぐらい?
前園:そんなにないです。3つか4つくらいだったと思います。
金子:それでも3つ4つはあったんだ。
前園:ええ一応。
金子:まぁでも、あの時の、あの3年生の代というのは、三重の人(小倉隆史、四日市中央工業高校出身、元ヴァンフォーレ甲府)が一番人気で、独占してたからね。
前園:そうそう。俺らの年はそうだった。
金子:で、春のフェスティバルはわりと調子よくて、インターハイは2回戦か何かで滝川第二高校にやられて。
前園:そうです。暑さで走れなかったです。あれ愛媛だったでしょう。
金子:違うって。
前園:宮崎だっけ? すごく熱くて、それでダメでしたね。
金子:あれ、静岡だったっけ? だってあの時の滝川第二は鹿実に勝って、準々決勝で小倉にごぼう抜きされて。それが藤枝のグラウンドだったから、静岡だ。
前園:そう。記憶力いいですね。さすが。
金子:そのあたりはね。去年あたりのこととかケロッと忘れちゃうんだけど。
前園:昨日の夜のことも忘れてるって言ってませんでした、さっき?
会場:笑い
金子:いいからそんな話は。で、3年生の時にオファーが来た。インターハイの頃。気持ちはプロ一色?
前園:プロ一色ですね。その前からプロでやりたいと思っていたんで。タイミングよく日本でJリーグがプロ化になるっていうんで、そういう気持ちは一つでした。
金子:横浜フリューゲルスを選んだ理由は?
前園:やっぱり加茂(周、元日産自動車監督、元横浜フリューゲルス監督、元日本代表監督)さんですね。
金子:直接口説かれた?
前園:はい。一番熱心にというか、直接高校まで来てくれて。
金子:「お前を木村和司(元横浜マリノス)にしてやる」って言われちゃった?
前園:それは、言ってなかったなぁ。
会場:笑い
金子:8人ぐらいから、そういう証言を聞いてるんだけど。
前園:それはなかったけど、でも僕も日産自動車はずっとテレビで見てたし。あそこまでのチームにした監督だったんで、その下でやれるのはすごく嬉しかったですね。
金子:で、横浜に出て来ました。初めての横浜は?
前園:いや~、都会でしたね。
金子:鹿児島も都会じゃない。
前園:あれに比べたら全然違うじゃないですか。天文館のあの通りだけじゃない。
金子:素晴らしいじゃない。俺「こむらさき」のラーメンにハマっちゃってるんだけど。
前園:おいしいですよね。
金子:でも、横浜は都会だった?
前園:そうですね。
金子:ちょうどその頃、スポーツ刈りに毛が生えたような髪型だよね。
前園:ええ。ちょっと伸ばし始めた頃かな。
金子:鹿児島にいたときからファッション誌とか見てた?
前園:見てないです。ファッション誌なんて見るヒマないし、興味もなかったですね。
金子:これね、自信を持って言えるけど、君がファッションに、クルマにこだわってなかったら、中田英寿の今はないと思う。
会場:笑い
金子:今頃もしかしたらアシックスのジャージで。
前園:それはあるかもしれないですね。
金子:間違いないと思うんだけど、それ。なんで目覚めちゃったの?
前園:何でですかね。
金子:同じ田舎の三重県から出てきた子なんかは、現在に至るまで目覚めないできてるわけじゃない。
前園:う~ん、そうですね。
金子:否めないでしょ、それは。
前園:何でですかね?
金子:誰の影響?
前園:影響はないですね。
金子:そういう人が、何で『Boon』とか見るようになっちゃったわけ?
前園:いや、だからやっぱり田舎者だったんで。「やっぱりカッコ良くしなきゃ」とか、最初はそういうところから入ったと思うんですね。雑誌とかすごく見て。
金子:別にカッコ良くしなくたって、Jリーガーはその頃はイケイケでしょ。
前園:いやぁ、どうなんでしょうね。やっぱりいろんな人に見られるんで、それなりにしっかりしなきゃと思って。
金子:で、『Boon』。
前園:その頃はそうでしたね、愛読書。
金子:かなりそっちの方にお金をつぎ込んだでしょ。
前園:そうですね。あの頃はすごい古着ブームだったんで、ワケのわからない破けたジーンズとかにお金かけてましたね。
金子:1年目ってそんなに出番もないというか。サテライトチームで、今、浦和レッズのコーチのゲルト(エンゲルス、元横浜フリューゲルス・コーチ)と一緒にやってるわけでしょ。
前園:そう、そうですよ。基本練習ばっかりやらされました。
金子:ゲルトの練習どうでした?
前園:ホントに基本練習ばっかりでした。
金子:つまんなかった?
前園:つまんないって言えば、つまんないですね。
金子:これは当時のフリューゲルスの選手に聞いても、評価が全く分かれるよね。「ためになった」っていう人と、「クソつまんなかった」っていう人と。
前園:僕はつまんない。でも、ためになる練習だと思いますよ。でも、どうなんだろうな。サイドパス、僕はその時にはやる必要ないと思っていたから。だから、つまんなかったかなという感じですね。
金子:どっちかというと、もちろんサッカーも一生懸命やっていたんだろうけど、それ以外のことに一生懸命なものがあって。今ひとつ集中できてなかった時期だよね、サッカーに。
前園:そうですね。まぁ、いろんな刺激もありましたから。
金子:刺激?
前園:いろんなね。サッカーだけじゃなくて、いろんな興味があるものがあったんで。
金子:そりゃ九州から出てきた18、19歳の男が持つ興味って言ったら、ひとつしかないでしょう。
前園:何ですか、それ?
金子:俺に言わせる? それが変わったのはアルゼンチンに留学してから?
前園:そうですね。だから結局、入った年ってJリーグ開幕の1年前で、ナビスコカップがあったときで。1回も僕はトップチームで出られなくて、「これはちょっとまずいな」と思って。自分の中では「出られるだろうな」という、ちょっと甘い考えでいたんで。
金子:実は、フリューゲルスは当時強いチームじゃなかったしね。
前園:なかったし、何か変えなきゃなっていうのがあって。
金子:焦りというのもあったんだろうか。というのは、同期で入った三重の怪物(小倉隆史、名古屋グランパス入団)がナビスコカップで活躍しているわけじゃない。
前園:焦りというよりも、本当にあの当時から素晴らしいプレイヤーだったから。うらやましいという気持ちもあったけど、活躍して当たり前だと思っていたから。そういった意味で焦りはなかったですね。
金子:その時点での面識は?
前園:ない。
金子:まだない。会話は?
前園:ない……かな。
金子:チームメイトに中田一三(元横浜フリューゲルス、小倉隆史と四日市中央工業高校同期)あたりがいて。
前園:そうそうそう。
金子:で、アルゼンチンに行ってみました。どうでした?
前園:やっぱり一度は行ってみたい国だったので。マラドーナが憧れの僕としては、行ってみてやっぱり上手いし、当たりは激しいし。「これはダメだな、今のままじゃダメだな」って。
金子:ということは、今を変えれば?
前園:というよりも、とりあえず「変わらなきゃ」というのがまずあって。そこでとにかく、「ここで通用しないと日本に帰っても出られないな」という。何て言うのかな。Jリーグ1年目の僕がもらっている給料よりも全然少ない奴らがトップチームの試合出て、目の色を変えて一生懸命やっているわけ。それを見たときに「これじゃダメだな」って。
金子:ただ、今その話を聞くと当たり前のように受け入れられる部分はあるんだけど。でも、あの当時、14年前にさかのぼってみると、まだ日本は『FIFAワールドカップ』はおろか、オリンピックにもずっと出ていない時代。日本が世界と繋がっていなかった時代じゃない。
前園:そうですね。
金子:アルゼンチンに行ったことで、前園くんの中で意識が世界に繋がったの?
前園:繋がったというよりも、「上手い選手はまだたくさんいるんだな」と正直思ったし、「まだまだだな」と言うのがそのときの実感です。
金子:言葉は?
前園:全然わからなかったです。
金子:辛くなかった?
前園:辛かったですね。3カ月ぐらいだったんですけど、辛かったです。
金子:でも3カ月だけでも、こういういい経験をしてきたわけだ。
前園:あれは本当によかったですね。
金子:3カ月ぶりに帰ってきて、フリューゲルスの練習に参加した。感覚的に何か自分の中で変わっている部分はあった?
前園:どうなんですかね。それから結果的にベンチに入って、少しずつ後半から出たりとか、試合に出られるようになってきたんで。結果として、出てきたというのはあると思います。
金子:その頃からサッカーが楽しくなってきた?
前園:楽しかったです。
金子:2年目からトップチームでも活躍するようになって。オリンピック代表チームが立ち上がったのはいつだっけ?
前園:21歳ぐらいの時じゃないですか。
金子:2年目の段階だと、まだユース代表だよね。日の丸、ユース代表って意識していた?
前園:意識はあんまりしてないですよ、僕。
金子:正直、あんまり縁のないところにはいたもんね。
前園:うん。だからそういう感覚です、どちらかというと。
金子:遠いところと。
前園:自分にはないなと思っていた。
金子:じゃあ、オリンピック代表で招集された時は嬉しかったでしょ。
前園:嬉しかったですね。僕と同期の選手たちと一緒にやれるという楽しみもあったし、嬉しかったです。
金子:で、そのときに小倉くんと初めて?
前園:うん。そうですね。
金子:いきなりウマが合っちゃった。
前園:そんな感じですね。
金子:でも、片やおしゃれさんになっている前園くん、片や全く興味のない小倉くんじゃないですか。
前園:そうですね。
金子:サッカーの話で仲良くなったの? どんな話するの?
前園:いや、だから「こうやっていこう」とか、練習の時から試合に向けていろんな話しましたよ。
金子:彼も当時オランダ・エクセルシオールへ留学を経験してるんだっけ?
前園:してますね。
金子:して帰ってきたんだね。いろいろ聞いた?
前園:聞きました。
金子:そのあたりはもう、後の前園くんの「海外に行きたい」という思いには影響あったの?
前園:ありますね。やっぱり話もしたし。僕自身も3カ月ですけど、アルゼンチンを経験してたんで。さっきの話じゃないですけど、世界と繋がってない、だけど自分では何とか世界に出てやってみたいという気持ちが少しずつ湧いてきました。
金子:オリンピック・アジア一次予選の時とか、成田空港でヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ1969)と一緒になって。オリンピック代表はファンが騒がなかったなんてこともあったじゃない。
前園:はい。
金子:どういうわけだか、あのオリンピック代表にはヴェルディの選手いなかったよね。
前園:途中まで山口貴之(サガン鳥栖、元ヴェルディ川崎)がいたんですけど、いないですね。
金子:ということで、スポットライトを浴びる経験のある選手があんまりいなかったわけだ。
前園:はい。
金子:スポットライトを浴びているヴェルディを見て、うらやましさ? それとも畜生?
前園:う~ん、どうなんだろう。うらやましかったというか、あの当時強かったし。すごく見ていても楽しいサッカーしていたし。「いいな、楽しそうだな」と思いながら見てました。
金子:そして、アジア一次予選が始まりました。タイとかとやったんだよね(1995年6 月14日、瑞穂陸上競技場、日本1-0 タイ)。
前園:そうです。
金子:でも結構、てこずったよね。
前園:そうですね。でも、一次予選はタイが一番強いと言われていたんで。だけどそこに勝てて、何とか一次予選は。
金子:「行ける」っていう自信は持っていた?
前園:一次予選? タイに勝った時に、まぁ行けるんじゃないかなと思いました。
金子:4年前の先輩たちが惜しかったと言えば惜しかったんだけど、結局力の差を見せつけられる形で1992年バルセロナオリンピック行きを逃したわけじゃない。予選が始まった段階で、アトランタというのは「行ける」と思っていた場所だったんでしょうか。それとも「行きたい」「行けるといいな」という場所?
前園:「行きたいな」と思っていました。
金子:まだ、「行ける」という確信はなかった?
前園:なかったですね。
金子:その、目標というよりも憧れであったり、夢に近かったオリンピックが前園くんの中で、極端に言うとサウジアラビア戦(1996年3月24日、マレーシア、日本2-1サウジアラビア)での飢えるような闘志に変わっていったきっかけは、どこにあったのでしょう。どこからあんなにオリンピックに執念を燃やすようになったの?
前園:何ですかね……
金子:一次予選の映像見てみても、選手達はそんなに必死じゃないのよ。むしろ緊張してるだけで。
前園:あのチームは多分もう、試合をやるごとに強くなって、チームワークが良くなってお互いが理解できて、ああいう結果になったと思うし。最初は自分たちの力というか、実力がどのくらいかもわからなかったし。やっぱり一次予選に勝って、少し自信を持って。二次予選に臨むと、少しずつ自信をつけて。
金子:一次予選と二次予選では、相手のレベルが全然違ったでしょ。
前園:違いますね。
金子:正直やっぱり、厳しい組み合わせでもあったじゃない。
前園:そうですね。だからもうあの時は本当に全ての試合、どっちが勝ってもおかしくないと言うか。
金子:全部が決勝戦みたいだったね。
前園:だから、本当にすごく相手のビデオも見て研究したし。サウジアラビア戦に限っては、ちょっと一段上かなと思いながら。それは多分みんな思っていたし。
金子:そして10年前の3月の二次予選の直前に、ハプニングというかアクシデントが。あの小倉くんのケガの時、前園くんはどこで見てた? 覚えてる?
前園:覚えてますよ。ちょうど3mぐらいの距離で。セットプレイで競り合って、僕はヘディングあんまりしないから、ちょっと離れてこぼれ球のところにいて見てました。
金子:やっちゃったというのすぐわかった?
前園:すぐ。膝が逆の字になって。
金子:言葉をかけるのも、なかなか難しいシチュエーションだと思うけど。そのときにどうした?
前園:その日、彼はそのまま病院に行って。会えたのが翌日か翌々日ぐらいで。部屋に行って話をして。
金子:小倉くんの顔はどうでした?
前園:あんまりまともに見られなかったですけど。でも、やっぱり本人が一番悔しいという表情は一瞬見ただけですぐわかったし。
金子:ところが結果的に、これまた新しい友だちを呼び込んじゃうわけでしょ、オグ(小倉隆史)のケガが。
前園:そういった意味ではそうですよね。その後に入ってきたわけだから。
金子:ここで入ってきた、山梨出身のアカ抜けないお兄ちゃん(中田英寿、イングランド・ボルトン)。第一印象はどうでした?
前園:第一印象、どうだろうなぁ。まじめで、スゴイかわいい後輩。
金子:かわいい後輩? どこが?
会場:笑い
前園:そのときは。
金子:そのときはね。
前園:そのときはそういう印象だったかな。
金子:金魚のフンのように、くっついて歩く生活が始まったわけでしょ。
前園:たまたまずっと同部屋だったんで。彼が一番下で入ってきたから、ずっと一緒だったというか。
金子:まだちょっと、おどおどしたところがあったわけ?
前園:あったかなぁ。基本的にマイペースというか、ゴーイングマイウェイなんで、彼は。そこは変わってない。
金子:かわいかった?
前園:そうですね。
金子:そして最終予選がいよいよ始まる。一番緊張したのはやっぱりサウジアラビア戦?  アジア最終予選2勝1敗だよね。で、準決勝でサウジアラビア戦。
前園:いや、負けてないよ。
金子:あれ、初戦どこだっけ?
前園:ええと、イラク戦(1996年3月16日、マレーシア、日本1-1イラク)で引き分けでしょ。
金子:引き分けか。
前園:イラク戦に出られなかったから。イエロカードの累積で。
金子:そうだ。
前園:1点決められて、それで城(彰二、横浜FC)が決めて引き分けですよ。
金子:第2戦は?
前園:え~と、オマーン戦(1996年3月18日、マレーシア、日本4-1オマーン)。
金子:ホント? ひとつ負けた印象があるんだけど。
前園:負けてない。負けてない。
金子:このとき俺、スペインに住んでて見てないわけよ。で、準決勝から中東の衛星放送で見られたんだけど。
前園:負けたのは最後の韓国戦(1996年3月27日、マレーシア、日本1-2韓国)だよ。
金子:燃え尽きちゃって?
前園:確か。
金子:そしてベスト4 に進出しました。あと一つ勝てば、28年ぶりのオリンピック。そのとき日本と韓国はワールドカップ開催を巡って争っていた。「これで負けたら……」と、周囲では騒いでたじゃない。ものすごくプレッシャーがのしかかっていたんじゃないかなと想像するんだけど。
前園:そのぐらいになったらプレッシャーはありましたね。でも集中していて、もうあまり覚えてないです。プレッシャーはあったと思うんだけど、試合になったら覚えてない。
金子:でも試合のことで覚えてるのは? 何かで読んだんだけど、リードしてからわざと転んだという話は?
前園:そうですね。試合のときは冷静にやってましたけど。
金子:誰に聞いても選手はサウジアラビアは格上だと。えらいこっちゃなと。
前園:ビデオを見たときにみんな黙っちゃって。やっぱりあのときのサウジアラビアは強かったし。ここが本当、勝負だろうなと思って。
金子:あのときの日本とサウジアラビアの力関係って、日本を10だとすると、サウジアラビアはどのくらいって見てた?
前園:日本が10とすると、サウジアラビアは15とか。
金子:相当差があるね。そんなチームを相手に、本当に狙い通りというか、夢通りの展開になって、リードして、時間が減っていく。プレイしていてどうでした? 
前園:早く終わってくれと思って。
金子:時計見まくり?
前園:見たなぁ。見えてましたね。残り10分切ってから見てたんじゃないかな。
金子:暑いし、バテバテでしょ、もう。
前園:湿度も高かったですね。結構限界に来てましたけどね。
金子:鹿実で鍛えた体力を持ってしても。
前園:全然ダメです。
金子:サイドバック中田英寿の奇跡的なクリアもあり。
前園:ありましたね。
金子:笛が鳴りました。その瞬間は?
前園:いや、嬉しかったですよ、本当に。
金子:爆発?
前園:爆発ですね。
金子:号泣?
前園:号泣はしてないんじゃないかな。
金子:写真を見ると、泣いてるのか笑ってるのかよくわかんないのよ。明らかに泣いてるゴールキーパーとかもいるんだけど。
会場:笑い
前園:能活(川口、ジュビロ磐田)ね。自分は泣いてはいないと思うけどな。
金子:2年下のセンターフォワード(城彰二)とかもボロ泣きじゃない。
前園:確かに。でも泣いてないと思う、多分。
金子:でも「ケッ」というわけじゃないでしょ。山梨の子と違って。
前園:こみ上げてくるものはありましたけど。まだ次があると思っていました。
金子:次があると思っていた、その時点で。それは本大会じゃなくて韓国戦?
前園:韓国戦。
金子:じゃ、前園くんの中では切れていなかったの、韓国戦?
前園:切れてない……微妙なところです。次があるのはわかってたし、だけど全然感覚が違うチームでしたね。僕もやっぱり動きがもう全然。
金子:ちょっとお腹いっぱいになっちゃっていた?
前園:はい。動けなかったです。
金子:サウジアラビアは本当に強いチームだったからね。
前園:ええ。
金子:その夜は祝杯とかなかったの? オリンピック出場を決めて。
前園:特にないです。
金子:端から見ると、ふぬけになってしまったような韓国戦。帰国したら浦島太郎の気分じゃなかった? 多分、今回のWBC(ワールドベースボールクラシック)の日本代表選手たちもそんな気分を味わったんじゃないかなと思うんだけど。
前園:まさにそんな感じでしたね。あんなに人が集まっているとも思わなかったし、それほど注目されているとは思わなかったです。
金子:みんなヴェルディの方しか見ていなかったのに、1 年半経ってみたら。
前園:そうですね。びっくりしました。でも嬉しかったですよ、やっぱり。それだけ見てててもらえて、知ってもらえるというのはすごく嬉しかったです。
金子:それが重荷になり始めたのは?
前園:う~ん……オリンピック本大会の前ぐらいからです。
金子:何が変わってきた?
前園:やっぱりその、今まではそんなに取材されることもなかったし、普段の練習から全て。私生活もそうなんですけど。
金子:よく書かれてたもんね。
前園:その辺からやっぱりちょっと。何かイヤでしたね。
金子:ストレスが溜まって溜まって溜まって、あふれ始めた感じ?
前園:まぁ、それも仕方がないというか。それもプロとしての仕事というのもわかっていたんですけど、どこかでストレスが溜まっていきましたね。
金子:海外でプレイしたいという欲求はもちろん持っていたと思うけど、あの頃の前園君って、日本から離れたいという思いがすごくあったような気がする。
前園:あったかもしれないですね。それはまぁ、そういうチャンスを自分のものにして、オリンピックの後に、という具体的な目標を自分で決めてましたね、そのとき。
金子:マレーシアでの最終予選のとき、本当に日本中を感動させるようなチームだったのが、少しずつおかしくなってくる。僕はあのチームで前園君に対して距離を持っていた人たちから、まずたくさん話を聞いて本を書いてしまったわけなんですが、前園君の側からするとチームがおかしくなり始めたのはどのへん? 1996年5月のチュニジア遠征あたり?
前園:予選が終わって、また集まるじゃないですか。最初がそのチュニジア遠征だったのかな。その前後ぐらいから、予選突破した時と、また集まった時にちょっと雰囲気が違ったから。それは多少感じてました。
金子:男の嫉妬みたいなのを感じなかった?
前園:どうなんだろうなぁ……そこまでは意識してなかったですけど。でもやっぱり、僕もやりにくいものがちょっとあったし。
金子:今までと違って、何かしっくり行かない。
前園:それはありましたね。その辺からちょっとバランスが狂い始めているのはありました。


後編へつづく

取材・構成:CREW
撮影:新関雅士