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ぴあトークバトル スポーツ快楽主義2009 VOL.68
「福西崇史スペシャル」
【 開催日/会場 】 6月1日(月)有楽町朝日ホール
協賛:コカ・コーラZERO
2008シーズンを最後に引退された福西崇史が「ぴあトークバトル」トークバトルに登場。ジュビロ磐田在籍時にも出演経験があり、
今回は約5年ぶりの出演になる。プライベートでも仲の良い北澤豪氏にお越しいただき、
現役生活のエピソード、引退への決断、引退後のヴィジョンなどを2時間たっぷり語っていただいた。

<ホスト>
西岡明彦(スポーツコメンテーター)
1970年愛知県生まれ。'92年広島ホームテレビ入社。入社後、高校野球・プロ野球中継の実況を担当。'98年に退社し渡英。'99年に帰国し、名古屋テレビ放送でSKY sports(現J SPORTS)のプレミアリーグの実況からフリーとしてスタート。スポーツコメンテーターとしてサッカー実況を担当。'04年には株式会社フットメディアを設立し、スポーツ選手・アナウンサー・雑誌編集者のマネジメント業務を行っている。

<ゲスト>
福西崇史(元サッカー日本代表)
1976年愛媛県生まれ。新居浜工高を経て'95年にジュビロ磐田入団。もともとはFWながらドゥンガ(現ブラジル代表監督)に育て上げられ、日本屈指のボランチに成長した。'07年にはFC東京、翌年は東京ヴェルディに移籍し、'08年に引退。日本代表としても'04年アジアカップ優勝、'02年日韓W杯、'06年ドイツW杯に出場。攻守に渡って貢献した。

北澤豪(財団法人日本サッカー協会特任理事兼国際委員)
1968年東京都生まれ。修徳高校から本田技研を経て1991年読売クラブ(現・東京ヴェルディ)へ移籍。Jリーグ初年度の1993年と1994年の優勝メンバー。日本代表としてもフランスW杯出場に貢献した。2003年に引退。現在は「NEWS ZERO」(日本テレビ系)に出演する他、日本サッカー協会特任理事兼国際委員としてサッカーの発展・普及につとめている。


前編
司会:「ぴあトークバトル vol.68 福西崇史スペシャル!」。このイベントは、Jリーグオフィシャルスポンサー、日本コカ・コーラ株式会社の協賛でお送りいたします。みなさまこんばんは。お待たせいたしました。本日はご来場いただき、誠にありがとうございます。本日のイベントナビゲーターを務めさせていただきます、細田阿也です。よろしくお願いいたします。
会場:拍手
司会:ありがとうございます。それでは、本日の進行役、ホスト役をご紹介しましょう。スポーツコメンテーターとして、サッカー情報番組などでご活躍中です。西岡明彦さんです。盛大な拍手をお願いします。
会場:拍手
司会:よろしくお願いします。
西岡:お願いします。女性の方が多いですね。
司会:そこは、やっぱり。
西岡:福西崇史ですからね。
司会:ですから、ですから。西岡さんとご一緒するのも初ですので。
西岡:そうですね、お初で。今日はちょっと盛り上げて、ジュビロ(磐田)の話をたくさんね。
司会:えぇ、聞きたいですね。みなさんも楽しみにしていらっしゃるかと思います。今日はよろしくお願いいたします。
西岡:はい、お願いします。
司会:それでは本日のゲストをご紹介しましょう。まずは北澤豪さん、そしてお待ちかねですよね? 福西崇史さんです!
会場:拍手
西岡:手を振りながらの登場でしたが・・・らしくない登場の仕方ですよね? 今のね。
司会:なんかね。フラッシュの嵐ですね。はい、みなさんお願いします。
西岡:北澤さん、よろしくお願いします。
北澤:よろしくお願いします。
西岡:もう、今日の雰囲気は北澤さんが決めるといっても過言ではないくらい。
司会:はい。
北澤:凄いですね。
司会:ねぇ!
北澤:ほとんど女性ですか。
西岡:そうですね、「ぴあトークバトル」にはもう何回もご出演させていただいてますが、大半が男性の、それもコアなサッカーファンを前にトークを展開していますけど、こういうトークバトルは珍しいんじゃないですか?
司会:どうです、北澤さん?
北澤:いや~、何が頭にくるかって、スペシャルでしょ?
司会:はい、「福西崇史スペシャル」です。
北澤:福西崇史スペシャルだよ? オレ、スペシャルやったことがないんだよ。
西岡:北澤豪スペシャルはなかったですか?
北澤:なかったよ。
西岡:「どうなる?! サッカー日本代表」とか、そういうのばかりですよね。
北澤:辞めてからも凄いサッカーには関わっていましたけど、スペシャルはなかったですからね。
福西:今日はみなさん、サッカーを知っていらっしゃいますからね。
北澤:いや、もちろんサッカーのこと、知ってると思うよ。
福西:僕のためにありがとうございます。
会場:拍手
福西:こんなに集まってくださって。
司会:それではですね、これから90分間、もういきますか? いかないですか? 大丈夫ですか? いきましょうか。はい、みなさんどうぞよろしくお願いします。みなさま、どうぞお座りくださいませ。それでは、西岡さんお願いします。
福西:みんなの顔が見えないですよ。カメラしか見えないですもん。
西岡:凄いですね~。はい、ということで今回は「福西崇史スペシャル」。引退を決意されて、発表されてからこうやってファンのみなさんの前で実際にお話する機会というのは、おそらく初めてじゃないですか?
福西:初めてですね。
西岡:もうすっかりサッカー解説の活動を始めちゃって。最近結構、ご一緒するんですよ。
福西:そうですね。
西岡:もう解説者になっちゃって。
福西:もう、しゃべりたくて。
西岡:しゃべりたくなちゃったの?
福西:しゃべりたいです。
西岡:北澤さん、現役時代はそういう雰囲気はまったくなかったですよね、福西崇史という選手は。
北澤:しゃべる・・・
西岡:しゃべるんですか?
北澤:うーん、言葉は少ないかな、普段も。
西岡:ですよね。北澤さんは引退されてテレビの世界はアリかなと思ったら、そのままスムーズにいかれましたけど。福西さんは辞められてどうするのかなと思ったら、解説になっているんですよ。
北澤:そうそう。未だに僕、福西崇史がどんな人間か知らないですから。
西岡:アレ? そもそもお2人の関係を。付き合いが長いんですよね。
北澤:2人の関係・・・ま、ご近所だったという。
西岡:ご近所さんということが最初なんですか?
北澤:あのね、お互い家族でハワイ旅行に行って。あ、ハワイ旅行じゃなくて…結婚式に来たのが一番最初・・・
福西:北澤さんの結婚式に行きました。
西岡:呼ばれたんですか?
福西:出させてもらいましたね、共通の友人がいて。
西岡:共通の友人がいるということで。じゃ、その頃はまだそんなに親しくはなかったんですか?
福西:もう凄く仲が良くて。
北澤:そんなことないですよ。
会場:笑い
北澤:僕にしてみたら、ポジションが重なるプレイヤーと友だちになることはしなかったみたいで。
会場:笑い
北澤:対戦相手にもなりますし、イヤじゃないですか。あんまり友達にはなりたくなかったんだけれども、共通の友人がいて。
福西:だから、1回も電話とってくれなかったですよね。
会場:笑い
北澤:でも昨日、共通の知人のお父さんが亡くなられてしまって、僕ら浜松に行って帰ってきたばかりなんですよ。
西岡:一緒に?
北澤:いや、彼は新幹線で、僕は車で。
西岡:結構、浜松つながりなんですね?
北澤:そうですね。
西岡:北澤さんが本田技研のプレイヤーのときに浜松にいて。福西さんが高校を卒業されてジュビロに行って・・・
福西:浜松にいました。
西岡:最初の出会いって覚えてます?
福西:・・・
北澤:・・・
会場:笑い
福西:最初は、スタメンで初めて試合に出たとき。
西岡:1年目ですよね?
福西:はい。北澤さんがトイメンだったんですよ。
西岡:ほう! 試合で当たったんですか。
福西:そのとき初めて。そのときはまだ友人じゃないですよ、敵同士だったし。だけど、共通の知人を通じて、「あのときの北澤さんだね」って。「こんにちは」って。
西岡:どんな「こんにちは」なの?
会場:笑い
北澤:わっかんないね。
西岡:それが今やもう、すっかりタメ口みたいになって。
福西:申し訳ない。
北澤:だって、敬語を使ったことないですからね、だいたいね。それが、フク(福西崇史)の距離感を縮めるいいところなんですけどね、よく言えばね。
福西:ま、失礼だっていう。
西岡:先輩に比較的可愛がられるタイプ?
福西:そうですね、可愛がられてきましたね。
西岡:そういうやっぱり、キャラの持ち主なんですか?
北澤:なんなんだろうね。年上っていうか、年上の友達が凄く多いし、やっぱり。共通の知人というのが僕の12歳上なので、フクからしたら20歳くらい違うんですよ。
福西:20歳上ですね。
西岡:若いお父さんくらい。お付き合いをしていたらたどり着いた。
福西:はい。
北澤:年齢層に幅があるので、広い付き合いができるタイプですよね。
西岡:そんな付き合いをじゃぁ、もう十数年。
福西:そうですね。だから浜松の話をしたと思ったら、すぐ東京の話になったり、おもしろいですよ。僕ね、すぐに言っちゃいますから。あそこの浜松の、なんとかがとか。東京のあそこの方がいいよとか、それより浜松のあそこの方がいいとかって。
西岡:そうですか。で、世代交代で。まぁ、北澤さんが日本代表で活躍された後に、そのポジションに福西さんが入るという共通項もありつつ、プレイヤーとしては少し、こうライバル意識も北澤さんとしては持ちつつみたいな。
北澤:僕にはライバルっていうのはあんまりいなかったんですけど。けど、代表のところで、フクががんばってくれていることに対しては、凄くやっぱり観方も違うし。凄く仲のいい人が代表でプレーしてると、やっぱり違うじゃないですか。身内じゃないけど、身内みたいな人が出ていると、思い入れは凄くありますね。特に2002年(日韓ワールドカップ、2002年5月31日~6月31日)か。なんでここまで仲良くさせてもらってるかっていうと、僕はワールドカップに結局、出られなかったんです。で、ちょっとイヤがってた部分もあったんですが、2002年のワールドカップに行く気はなかったんですけど、招待してくれたのがフクなんです。
西岡:観たくなかった?
北澤:観たくなかったけど、子どもが観たいって言ってるのもあって、フクが招待してくれて。
西岡:それはどことやったときの?
福西:ロシア戦(2002年6月9日横浜国際総合競技場、日本1-0ロシア)ですね。
西岡:ロシア、へー。
北澤:あれがなければ僕は、日本代表のことを否定的に観続けていたかもしれないけど。フクがそういうことをしてくれたのが、僕にとっては大きかった。大きなきっかけでしたね。
西岡:なんとなく、まだ自分のなかで日本代表とかワールドカップに対して・・・
北澤:そう。
西岡:それがもう完全に、雪解け? そこからもうサポート、応援する立場になった?
北澤:そうですね。人生のなかでは、そういう関わりっていうのが・・・そういうことをしてくれるのが一番、僕のなかで大きな存在でもあるし。
西岡:そういう葛藤があったということですが、福西さんとしては?
福西:よくわかんない。
西岡:98年のあの騒動(ワールドカップ直前での代表落ち)があって、それ以来、日本代表に対しては・・・
北澤:悔しかったし。
西岡:悔しいですし、ワールドカップなんてへたしたら観たくもないと思っているかもしれないですね。そこでチケットを送ったという。
福西:はい、もう日頃お世話になっているし、できたら僕が、ま、出ていなかったですけど。
西岡:アレ?
会場:笑い
福西:ロシア戦、最後出ましたけど。「スタメンだったら、ぜひ僕を観に来てください」とかってチケットを送りましたけどね。「観てください」って。応援していただいたんですけど。
北澤:出られて、よかったじゃん。子どもたちもフクと同じ15番のユニフォームを着て観てたし。
西岡:そう考えたらね。
北澤:選手同士っていうことよりも、そういうつながりの方が僕にとっては強いですね。
西岡:なかなか他のチームのライバルの選手と、少し現役もかぶっている選手と親しくする機会ってそうないですよね、どうですか?
福西:どうですかね。でも、僕は北澤さんを、もうキーちゃんと呼ばせてもらいますけど、もう本当に尊敬していて。悩みを聞いてもらったり、「こう思うんですけど、どうですか?」って。アドバイスをもらったり、いろいろ。たまに相談してるのに、違うことを言われたり、「こうすりゃいいんだよ」って軽く言われたりもしますが。僕が真剣に言ってるから、逆に軽く流してくれたのかもしれないですけど。2人して、真剣な話をしても重くなっちゃうから。凄い気を遣ってもらっています。
北澤:ね、そういう話をするけど結局、聞いてないもん、オレの言うこと。
会場:笑い
福西:いやいや。
西岡:とりあえず意見だけを聞こうと。
北澤:だいたい、答えは決まってるんだよ。
福西:聞いてますって。そういうのを含めて自分で決める。
北澤:いろいろなことから、「こうもあるな、あぁもあるな」と言いながらも、だいたい最後は自分で決めてるから。本当にひとつのアイデアとして思われているんだけど。それがわかってもとりあえず、話だけは聞こうと。
西岡:だいたいそうですよね、先輩から意見を伺って、それもひとつの参考意見として。
福西:大きな経験をした人の話はずっともう、プレイヤーのときから話を聞きにいってました。
西岡:プレイヤー福西崇史というのは、北澤さん、どんな選手でしたか?
北澤:日本にはいないタイプでしょうね。
会場:笑い
福西:どういった意味で?
西岡:日本にはいないタイプ。
北澤:いやいや、だってこれだけフィジカルで体が大きくて、足が速くて。それでいて、ボールタッチが繊細でしょ。ギリギリまでボールをコントロールしますし、ギリギリまでパスを通そうと耐えられるし。あれ、ディテールまで凝ってるものの大きさとギャップっていうのがそんなにないんじゃないかなと思いますね。
福西:そうっすか?
西岡:どうですか?
福西:そうじゃないですね。
西岡:違いますか。
北澤:違うらしい。
福西:そんなんじゃないと思いますけどね。努力すればできると思うんですよ。だってジュビロに入ったとき、ついていけなかったし。
西岡:1年目ですか?
福西:はい。ついていけなかったし、足を引っ張ってばかりでしたし。
西岡:それでも試合に。オフト監督(ハンス、元ジュビロ磐田監督)でしたよね?
福西:そうです。使ってもらうなんてもう。本当にもうサテライトっていう2軍でもメンバーにも入らなくて、試合にも出られない。もうこのままじゃ終わるな、家に帰ろうかな。次、大学に行こうかな、こんなままならって。
北澤:随分早いね。
福西:きっかけで本当に。ちょっとしたオフがあって、オフが明けたら「おまえ、ボランチやれ」って言われて。「やる気はあるのかと」。そしたらそんなね、僕はフォワードでは通用しないんじゃないかって思っているときですから、「ボランチやれ」って言われて、「いいえ」なんて言わないじゃないですか。「やります」って。やりますって言ったのはいいけど、最初に何をしたらいいのかわからない。
北澤:でも、ゴンちゃん(中山雅史)が大型ストライカーがやってくるって結構ビビってたらしいじゃん。
会場:笑い
西岡:凄いのがきたよと。
福西:そりゃね。
北澤:凄いのがくるって。
西岡:そしたら途中でポジションが変わったから、ラッキーって。
会場:笑い
西岡:今でも中山さんが現役でいられるのは、福西さんがポジションを変えたから。
北澤:そう。
西岡:さ、そんななかで壁を感じたんですか?
福西:そうですね。ボランチになってから、本当にボールタッチするとか、本当にボール触る回数もなかったので。フォワードのときはもうシュート、シュートで蹴ることしかなかったけれども、中盤になってからボールタッチって大事だし、トラップも大事だし、360度意識しを変えて練習しましたよ。
北澤:ボランチになってからだよね。
福西:そうですね。
西岡:凄い。ポジションを変えてわずかその数ヶ月後、いきなりプロのチャンスをもらっちゃうっていうのは、臨機応変なところが凄いですね。
福西:なんでって言われても、僕もわからないですよ。
北澤:こういうところがね、わかんないんですよね。器用なのか、なんか大胆なのかよくわからない。
西岡:今でもわからないって発言をする。
北澤:わかってると思うんだよね。
会場:笑い
西岡:わかってるの?
北澤:じゃないとできないじゃん。
福西:わかんないですよ。本当に、プロになったきっかけというのも、みなさんご存知かと思いますけど、対戦相手に凄いのがいた。対戦相手が強いわけだから、全然ボールに触ってないし、そんなに攻撃するわけでもないじゃないですか、攻められっぱなしだから。なのに、「試しに福西、練習にこないか」って。僕、そんなに何もしてないんですけど。わかんないんです。聞いたら、ペース配分が広いっていうのは言われましたけど、自分のなかではわかっていなかったから。そんなどのくらいの間を取る、何がペース配分なんだろうって。何を言ってるのかなって。
北澤:わかんねぇのか?
福西:わかんなくないですか?
北澤:あぁ。
福西:自分にとっては普通なわけじゃないですか、やってることは。だから、そうなんだよって言われたって、「いつも通りの福西ですけど」みたいな。
会場:笑い
西岡:普段通りですけどって。
北澤:冷静なわけ? そのなんか言ってる自分は冷静にそのコメントをしてるわけ? 「普段通りの福西ですけど」って。
福西:普段通りだから。だから、凄いねって言われても、「あ、いつも通り」。
北澤:何を言われたら喜ぶの?
会場:笑い
福西:褒められたら凄く嬉しい。
北澤:嬉しいんだ。
福西:嬉しい、もの凄く嬉しい。
福西:褒められると、「ありがとうございます~」って。
西岡:それはない! たぶんない!
会場:笑い
北澤:何をどう言ったら喜ぶのかなっていうのがね、未だにわからない。
福西:違います。褒めてくれません。気を遣って話してくれていますけど、やっぱり「いいゾ、いいゾ」とは言わないじゃないですか。
北澤:だって喜ばないしさ。
会場:笑い
福西:いやいやいやいや。
西岡:褒めても喜ばない。
福西:凄い喜んでる。
西岡:なんか欲がないというか。じゃ、「プロで勝負!」とかってそんなでもなかったの?
福西:いや、でもプロになるときは、自分にとっては凄いチャレンジでしたよ。もうエリートで選手権に出たとか、そういうのがなかったから、そんな世界に僕が行って大丈夫かなと。
西岡:愛媛県内で凄く注目されたりとかは?
福西:そうですね、愛媛県内では。
西岡:では、注目されていた。それでスカウトが来て。
福西:サテライトの練習に行ったらついていけない。大丈夫かなって。やらなきゃいけないなって。
西岡:でも、それでも来ないかって誘ってくれたんですよね。
福西:そうですね。だから、チャレンジでしたね、自分のなかでは。やってみようって。
北澤:やっぱりあれかな、愛媛から出たら磐田は都会だった?
会場:笑い
福西:それも大きなところで・・・同じくらいかな。
会場:笑い
北澤:そうなの?
福西:それがよかったの。
西岡:あ、なじみやすい環境で。
福西:本当になじみやすかったですね。
北澤:何もかも違うと大変だもん。
福西:ま、移動距離はやっぱり遠かったですよ、新幹線はなかったし、飛行機で行ったら失礼だし。なんで、ホームシックですか。
北澤:あったの?
福西:はい、あの茶畑とか田園をずーっと見ながら「ひとりで行くのか」って。ただ、でも磐田の街がよくて、自分に合って、住みやすくて。そういう部分でのストレスとかはなかったので、本当にサッカーに打ち込めましたね。
西岡:やっぱり東京から浜松に行くって、相当なカルチャーショックですよね。
北澤:ね、何もかも違うよりは、何か安心できるものがあるとね。
福西:そうですね。だから、プライベートはいつもの生活って感じなんですけど。だけどサッカーの部分では多少ストレスもあって。スタメンっていうのは僕も自分で考えて悩んで。でも生活の部分でいつも通りできたから、そこで切り替えられてまた、サッカーに打ち込むというのは大事ですよ。環境は大事。
北澤:僕はほら、本田技研にいたじゃないですか。東京から行ったとき、慣れなかったですもんね、環境に。あの、自衛隊の飛行機が飛んでる音とか、風とか気温とか。
西岡:海が近いし。
北澤:寂しくなる気持ちが凄くて、どっちもダメだった。仕事もダメだし。
西岡:寂しいし。
北澤:うん。
西岡:やっぱりその我々もそうですけど、生活環境というのは、スポーツ選手にとって大事ですね。
福西:もの凄く大事だと思います。
西岡:ジュビロっていうのが自分に合った土地だった。
福西:そうですね。
北澤:この情報はジュビロのスカウティングの人たちには必要かもしれないですね。
西岡:そうですね。
北澤:ちょっと都会からとか。
西岡:どこから引っぱっていこうかと。
北澤:ちょっと同じ所からとか。
西岡:そういうのは確かに必要でしょうね。もう1年目からチャンスをもらって。
福西:はい。
西岡:で、すぐにもうジュビロのそれこそ黄金時代が来るわけじゃないですか。
福西:はい。
西岡:もうタイトル取りまくり。
福西:でも、それまでのジュビロはどうだったのかって見ると、苦しんだし、勝てなかったしね。
北澤:そう?
福西:勝てなかったですよ。
西岡:記録をご紹介しましょうか。
北澤:みなさんは、知ってますもんね。
西岡:そうですね。
北澤:本当にジュビロはわかんないな。最初の年、Jリーグに加入できなかったので。
福西:出遅れましたよね。
北澤:ゴンちゃんが日本代表に入ってきたけど。Jリーグのみんなでいつもごはんを食べてたりしてるじゃないですか。でも、ゴンちゃんだけ試合だからいないなって言われましたよ。
福西:Jリーグじゃなかったら。
北澤:かなり苦しんでましたよ。1年後でしたっけ? 2年後だっけ?
福西:1年後です、Jリーグになったのは。
西岡:福西さんが試合に出られたのは95年。初めて優勝したのが97年。その時代はどちらかというと、ヴェルディ(川崎)時代。ヴェルディ黄金期ですよね。
福西:高校時代かな、観てましたよ。キーちゃん、こう髪をなびかせて。
会場:笑い
福西:「うぉー! マジなのか、こんなん!」って。 その選手と今や話ができるなんて。
西岡:「凄いな、初代野人だ!」みたいな。
福西:僕は田舎者で、こういう人がいなかったわけですよ。
西岡:「長髪、アレ?」みたいな世界だったんだよね。
福西:僕、フリット(ルート、元オランダ代表)に憧れたんです。あの髪とか、背が高くてダイナミックで、凄い憧れてたんですけど。ヴェルディも、もう凄い人ばっかりで。そんな人とお話できると思うと嬉しくてしょうがなかったですけど、それが伝わってなかったってことだよね。
会場:笑い
西岡:97年から毎年のようにステージ優勝。
福西:はい。
西岡:ヴェルディには勝てなかったですか。
北澤:うん。けど、対戦する楽しさは凄くあった。なんか、やっぱりこだわっている部分があって、技術のことだったりとか。ちょっとアントラーズ(鹿島)と対戦するときとは違う意識で、おもしろい。
福西:話を聞くと、ハーフタイムとかもう相手チームがどんよりしてるって言ってましたね、磐田とやると。もう好き放題にボールを回されて疲れちゃって、「後半もかぁ」っていう感じらしいですね。
西岡:で、逆にそれをやっていた福西選手は楽しくてしょうがない。
福西:楽しくてしょうがない。別にミーティングいらないでしょっていうくらい。もうこのままで後半いけるよっていう、そんな感じでしたよ。
北澤:楽しそうだったね。
福西:楽しかったですよ、あのとき。
北澤:ボールを回されるのって結構、悔しいんですよね。こっちが回してたのに取られるとね。
西岡:でも、チーム内の競争もありレベルが高いなって感じながらやってた?
福西:やってましたよ。最初はやっぱりついていけなくて、藤田さん(俊哉、ロアッソ熊本)、ドゥンガ(カルロス・カエタノ・ブレドルン・ヴェーリー、ブラジル代表監督)、奥大介(元ジュビロ磐田)、高原さん(直泰、浦和レッドダイヤモンズ)が回していくわけですよ、敵のボールを取ってとか。最初は出てなかったですけど、スキラッチ(サルヴァトーレ、元ジュビロ磐田)とか中山。ま、中山さんはね、その最後の5分だけだったりとか。
会場:笑い
西岡:回したから最後、ドーンと行けと。
福西:観てるとね、やっぱりなんか入りずらいんですよ、僕が最初。入ったら邪魔するんじゃないかって。ここに来て、行って「オイ、くれ」って言おうかなって思っても、すぐやめちゃったり。サーって行かれて。「回してる、回してる」って後ろで観てた。
西岡:絡みたくないっていうときもあるもんね。
福西:絡めない、絡みずらいというか。自信もね、やっぱりこのなかに入って自分が足を引っぱったらどうしようって思っちゃうとサーって。わかるのかな、やっぱり欲しくないっていうの。
会場:笑い
北澤:あのメンバーならわかると思うよ。
西岡:あ、ボールが欲しくないとか。
福西:そしたらね、出てると僕も少しそれに入れるようになってきた。で、若い選手を観たら欲しくないんだなってわかりました。
西岡:そういう空気を出してる。
福西:うん。昔のオレみたいだなって。じゃ、やめてやるよ、サーって。
西岡:出さないでね。
福西:「通ってきた道だよ~」って。
会場:笑い
西岡:そこに自然と入れるようになったというか、自分もその一員だなって感じるようになったのはどれくらいですか?
福西:そうですね。98年とか99年ですかね。97年に優勝したっていってもそんなに僕は貢献もしてないし。自分が貢献して、納得いくようなプレーをした覚えがないので。
西岡:そうですか。
福西:そうですね。99年にエスパレス(清水)は強かったですけど、自分のなかでは自信が出てきた時期です。
西岡:その頃のプレーって、北澤さん覚えていますか?
北澤:99年も優勝?
福西:はい。エスパルスを破って。
北澤:そっか。第2ステージ取って、そのままの勢いで取ったね。
西岡:クラブ選手権(アジア、1999年10月9日ジュビロ磐田スタジアム、ジュビロ磐田8-0インド、モフン・バガン)も獲ったんですよね?
北澤:あ~、強かったね。
福西:強かったですね。
会場:笑い
福西:出てくればいいのにね、ココにね。そしたら「あ~」みたいな。
会場:笑い
西岡:99年くらいから日本代表に呼ばれるようになったんですよね?
福西:衝撃でしたよね。代表に選ばれたら、「選ばれた」ってマスコミが言ってくれるんですよ。嬉しいけど、井原さん(正巳、柏レイソルコーチ)とかいて、あー心配だなって。
西岡:自信がないんだ?
福西:自信がない。もう本当に入って、プレーをしてても、代表っていう意識までなかった。だから、トルシエ(フィリップ、FC琉球総監督)に怒られてね。「帰れ!」って言われて、「わかりました」って。
西岡:わかりました!
福西:そういう言い方じゃないですけど、僕は「やります」って2回も言ったんです。でも、「もう帰れ」って。3回目はちょっとプライドもあって、3回目に「やります」っていうのは言いたくなかった。
西岡:帰ったりしました? 本当に。
福西:で、ロッカールームに行って、「帰ります」と。「バスは?」って聞いたんですけど、「バスがない」と。
会場:笑い
福西:宿舎に帰りますって言ってもバスがない。で、スタッフの人がトルシエはワザとやってて、走っていれば戻してくれるよって言われて、走りました。そしたらコーチが走ってきて、あの当時は山本コーチ(昌邦、元ジュビロ磐田監督)。オレが入れてやるからって。
北澤:できてんだね、そこで。
福西:ワザとだったのか、見せしめは見せしめでしたよね、たぶんね。僕のこういうダラダラ感というか。
会場:笑い
福西:ダラダラ感をシャッキっと・・・ここ笑うところですよ。
会場:笑い
福西:ま、シャキっとしろとよく言われてたんですけど、それがトルシエのときは、格好の的だったんじゃないかと思うんですけど。「真剣にやれ!」って。真剣にやってるんですけどね。代表に来て、チャラチャラしてるヤツなんかいないですよ。必死でやってるのに。
会場:笑い
福西:「必死でやってます!」って言って。
西岡:「感じない!」って。
北澤:でも、トルシエってよくそうやって、ぶつけてたよね。
福西:そうですね、ワザとやってたのか。
西岡:そういう選手を何人かこう時期を観て、やったりはしてましたよ。今日のオマエはダメだみたいなことは、みんなの前でやって見せしめにする。
福西:そうそう、みんなの前で必ずやりましたね。
西岡:あれ慣れてきちゃうと、「次は誰だ?」みたいな感じになっちゃう?
福西:周りの選手はそうなんですよ、「アイツかわいそう」って。
会場:笑い
福西:で、みんなの前で怒られた後、「今度はオマエの番だよ」と。「オレは最初に怒られたから」って。
西岡:トルシエが就任して、最初の合宿だったの?
福西:最初でしたね。
西岡:衝撃でしたね。
福西:凄い、衝撃。「帰れ!」なんて。磐田のときも、1回サテライトでみんなオフってなって。仕事はオフに、すぐなるじゃないですか。でも、みんな1軍になろうと必死ですよ。やるじゃないですか、朝練からやって。でも、オレは「ちょっと眠かったもんで」って。練習のときに「やる気あんのか」って言われたことがあって。そのときはちょっと自分も悪かったから、「やります、やります」って。でも1回トルシエに言われたら、自分を一生懸命観せてましたね。ちょっとプライドがあるんですよね。
西岡:何もしてないときに、怒られちゃうっていうのはイヤな気分ですよね。
北澤:初めて行って、それはキツイよね。「帰れ」って言われるのはね。
福西:しかも、南米。コパ・アメリカだから。しかも、急にだったから、緊急招集だった。
北澤:そうなの。事前にじゃなくて?
福西:準備してとかじゃなくて。試合が終わって、妻の携帯にマネージャーからかかってきて。僕のは切ってたから。
北澤:なんで切ってたの?
福西:なんでだろう。あんまり電話したくなかったからかな。
会場:笑い
福西:妻の携帯にかかってきて、ビックリしましたよね。出たら、「呼ばれた」って。嬉しい反面、凄い不安があって。ましてや南米でしょ。「なんでそんなとこまで行くの?」って。
西岡:遠いですもんね。
北澤:そうですよね。物理的な問題でしょ
福西:っていう感じて、バタバタと行って、「帰れ」ですよ?
会場:笑い
北澤:それ、パラグアイ?
福西:パラグアイです。アルゼンチンにまず行って、アルゼンチンではボカ・ジュニアーズの練習に参加して。アルゼンチンで「帰れ」って。「帰ります」って。
北澤:距離があるな。
西岡:「帰ります!」って、 寂しいですよね。
福西:ここまで細かい話をしたことはない、今までで。
西岡:そこから徐々に代表の地位に。
福西:でも、まだ長かったですよ。2002年だって自分が選ばれると思わなかったし。新幹線で寝てた男ですよ、発表当時。
北澤:それは何?
西岡:期待してなかったの?
北澤:聞きたくなかったの?
福西:自分のなかでもう、やることはやった。だから、落ちても納得いく。選ばれても選ばれなくてもって。そういうふうに自分のなかでスッキリしたものがあったから、ドキドキしてテレビの前でこう待ってるっていうのはなかったですね。選ばれたら選ばれたらで嬉しいですし。
北澤:みんな、テレビの前で待たないよ。
会場:笑い
福西:でもオレ、2006年(ドイツ大会、6月9日~7月9日)はテレビの前でした。
北澤:待ってたの?
会場:笑い
福西:待ってたっていうか、テレビを観てましたよ。常に気持ちはありましたよ。アレ、本当に事前に連絡がないから。
北澤:あのテレビの画面で?
福西:はい。で、新幹線で寝ているときも、妻のお母さんから妻に電話かけてきて、「入ったよ」って。ニコニコしてたみたいですよ。僕のなかで言えば、本当にスッキリしてました。選ばれて。ま、寝てたんですけど。「ヤッタ!」って会見して。
会場:笑い
北澤:そのへんはね、計算してね。
福西:しっかりできてましたね。記者会見をして。
西岡:なんか比較的、外から観ると凄く順調ですけど。ジュビロでタイトルを取り、日本代表に入り、ポジションも取りっていうイメージが凄くジュビロ時代はあった。そうでもないですか?
福西:そうでもなかったですね。だから、代表にずっと入ってて凄いねって言われるんですけど。99年から2002年、出てたんですけど、スタミナがないから、ずっとサブでやってましたし。もちろん、95年からジュビロでもいろんなポジションになったんですよ。ゴールキーパー以外はみんなやりましたよ。
西岡:ディフェンスも?
福西:はい。最初、登録するじゃないですか。ディフェンダーね、次フォワードね、キーパー以外はしたもん。キーパーだけしなかったっていうのがね。
西岡:心残り?
福西:「全部やりましたよー!」って、こうやって言いたかったな。
会場:笑い
北澤:もう十分でしょ。
福西:いや、僕のなかではやっぱり・・・
北澤:キーパーも? キーパーもやれそうだもんね。
福西:そうですね、やりたかったんですよ。だから言ってたんですよ。
西岡:やっぱり器用なんですね。
北澤:だと思うよ。
西岡:これだけポジションを替えてもすぐできる。
北澤:うん。
西岡:トルシエに怒られても、なんとなくうまく切り替えてポジションを取っちゃうっていうところまで。その後、トルシエから監督が替わった後の代表でもそうですけど。
北澤:そういうのって、こううまくやるポイントみたいなのをおさえて・・・ないな。
西岡:冷静にこう外から自分を観てるっていう、そういうのはないんですか?
福西:いや、そんなことはないですね。
西岡:そうでもない。
福西:サッカーに関しては、結構、外から観ることができますけど。
北澤:俯瞰でいる。自分がいないよね、グラウンドの上にはね。どこかに行ってるよね。
福西:そんな感じで逃げるっていうか、自分がそこにいると勝てないっていうか。
北澤:ちょっと上にいるよね。
西岡:まぁ、ジュビロ時代というのが2006年まで。
福西:はい。
西岡:北澤さんが引退されたのは2002年か。
北澤:2003年ですね。
西岡:まだ、バリバリやれたんじゃないですかね。僕、北澤さんの引退試合(2003年6月21日)って凄くよく覚えてるんですよね。国立競技場(国立霞ヶ丘競技場)で。感動しました。
福西:カッコイイですよね、北澤さん。
会場:笑い
福西:オシャレですし。凄い。僕はボランチでしたけど、そこまで運動量がないから、マネしろっていうほどマネできなくて。激しくて、ボール回されたとき悔しいねって。ボールがないときは、自ら転びながら、ぶつかりながらしてたでしょ。あぁいうの好きでしたね。負けず嫌いなところ。
西岡:負けず嫌いな。北澤さんが現役を終えようと決断された理由というのはなんなんですか?
北澤:うーん、一番の決断の理由としては、自分の想うプレーだったり、想像するプレーが年間を通して、気づいたらひとつもできなくなってきているっていうのと、喜びがないっていうか。
西岡:満足できない。試合に出ても納得いかない。
北澤:そうですね。ケガもあったので。朝起きてなんかこう、今日のプレーとかそういうことより先に痛みがきて、膝は大丈夫かなとか。そうすると、いつものプレーがひとつもできなくなったり、それがストレスになってくる。なんかお金を取れる選手じゃないなって感じて、それが最初のきっかけですね。
西岡:2人とも、引退したシーズンはボヤーンと引退というのが浮かんできて・・・
北澤:グラウンドから離れないと決断しにくいと思う。11月末に、来年度の契約更新の話があって、12月はだいたいグラウンドにいたりとかするから、やりたくなっちゃう、やっぱり。ちょっと離れないと考えられないなって。西尾:じゃ、シーズンが終わる頃までは、そんなでもなかった?
北澤:しっかりと考える時期を作ろうかなって思いましたね。
西岡:実際に、福西さん、決断をする機会というのは移籍をして、やっぱり2006年以降。
福西:そうですね。
西岡:結構、ありましたよね。
福西:ありましたね、2006年に移籍して。
西岡:まずその、ジュビロを去るというところから。
福西:凄く悩みましたね。いたらいたで、自分を評価してくれて、やりやすくて、居心地が良くてっていうのがありましたけど。そこに浸かるっていうのは、おかしいですけど、自分をもっともっと高めていくために、いろんなことを知らないといけないなって。下の選手が出てきて上の方になってきたから、下の選手を育てるっていう想いもあり、磐田もちょうどその経験がどうのとかじゃなくて。評価がね、数字じゃないじゃないですか。野球みたいにホームラン打った、ヒットを何本打ったっていうのではないから、そういう評価っていうのが曖昧なもの。そういうのはちょっと自分のなかでもプライドもあり、「それじゃないでしょっ、サッカーは!」という話もしたんですけど、亀裂というか、話をわかってもらえず。
西岡:その頃は北澤さんと電話でやり取りしたんですか、2006年。
福西:そこでは・・・
北澤:人をはさんで悩んでいるっていうのは聞いてましたよ。チーム状況もいろいろね。
福西:結構合わないところがあって、イメージしてきた自分の観方をこうだって、それを伝えていかなくちゃいけないなと。
西岡:アジウソン(ディアス・バディスタ)でしたね。
福西:来年もまだやるってことになっていたので。
北澤:監督は大きいよね。
福西:大きいですね。
西岡:僕のイメージだと、ある程度ちょっと相手に合わせながら、ときにこうシステムが変わったりとか。なんかこうやっぱり、相手を凄く意識している監督なのかなって。
福西:そうですね、もう相手によってコンディションを変えたし、マークもオマエはここって。でも、磐田じゃないよねって、自分の育ってきたね。
西岡:やっぱり自分たちのスタイルを出そうよっていうのが。
福西:というのもあって、会社はアジウソンと契約するってことになって。
西岡:監督の続投がちょっと新しい道を考えさせてくれた。福西;自分のチャレンジもあったし。
北澤:でも、仲間と離れるのって辛くない?
福西:辛いですよ、そりゃ。
北澤:仲良かったしね、みんなね。
福西:大きなチャレンジでしたね。
西岡:その後、オファーの話があったのはFC東京。
福西:FC東京が最後までやっぱりいろいろあって。自分も凄く悩んで。いくつかオファーをもらったんですけど。
西岡:でも、FC東京に決めた。
福西:他は具体的にならなくて。FC東京は1月の最後まで話をしてくれて。僕、結局ちょっと出遅れたんです。みんなはスタートしてたんですけど。
西岡:年明けてからっていうのは結構、遅いですね。
福西:出遅れてはいましたけど、そこまで誘ってくれたし。自分のモチベーションも上がるし。
西岡:そうなると北澤さん、福西がFC東京に来るよと。
北澤:東京に来たと思いましたね。
西岡:この環境の違いは大丈夫かと。
北澤:うん、心配しましたね。ま、段階を踏んできてるから問題ないかなとも思いましたけどね。
福西:そうですね、浜松にいたときもちょくちょく東京に行ったりもしてて。
西岡:北澤さん、ジュビロって当然関東でも試合するじゃないですか。
北澤:はい。
西岡:で、試合に出たメンバーとかは、関東で解散なんですよね。
北澤:そうです、そうです。
西岡:ですから、週末結構、ウロウロしてるんですよね。
福西:次の日、監督によってなんですけど、次の日オフだったらいられるし。次の日練習してから、その次の日休みっていうと帰るし。僕らのときは次の日オフだったから、「ヨッシャ! 僕は降ります、僕は降ります」ってバスの中で。
西岡:ある意味いいモチベーションですね。試合に出ないとサテライトもあるから、帰らなきゃいけない。でも、スタメンであれば残りますっていうのは。
福西:「僕も降りたいんだけど」ってサテライトが言っても・・・
西岡:帰らなきゃね。
福西:「いいな~」って。それはもう、ハングリーというか、モチベーションになりますよね。ひとつのいいきっかけかどうかはわかんないですよ、遊びというか。磐田はそういうのはしっかりしてましたね。僕がサテライトのときも、シャワーは別だし、ロッカールームにも入れなかったし。練習場も別で、時間も別だったから。中山さんに挨拶するのもすれ違ったときだけ。
西岡:そういった意味では、自然とそういう競争する環境はできていたんですね。
福西:できてましたね。ヴェルディもそうですよね?
西岡:ヴェルディもそうですか?
北澤:はい。
西岡:練習も別ですか?
北澤:別れてましたね。
福西:トップに上がりたいがために。みんな、「風呂入りてぇ~!」って。サテライトはひとつひとつの簡易シャワーで。
北澤:風呂はない。
福西:風呂はない。シャワーだけ。クラブハウスができた頃は、そこにも入れなくて。関係者以外立入り禁止。C契約はダメで、A契約のみ。
西岡:厳しいですね。
福西:上行ったら、お風呂にも入れるし。モチベーションでしたね。Jリーガーになるための。

取材・構成:宮崎俊哉(CREW)/撮影:新関雅士

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<司会>細田阿也(フリーアナウンサー)
<司会>
細田阿也(フリーアナウンサー)
<ホスト>西岡明彦(スポーツコメンテーター)
<ホスト>
西岡明彦(スポーツコメンテーター)
<ゲスト>福西崇史
<ゲスト>
福西崇史
<ゲスト>北澤豪
<ゲスト>
北澤豪