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ぴあトークバトル スポーツ快楽主義2012 vol.74 前編
【 開催日/会場 】 1月12日(木) なかのZEROホール 大ホール
協力:読売新聞社、日本テレビ放送網(株)、(株)スポーツカンパニー
協賛:株式会社千の花/ingコーポレーション/株式会社明治(SAVAS)

大阪・東海大仰星高校1年1組でクラスメートだった3人をゲストに迎えて「己を信じぬく力」「チャレンジ精神」をメインテーマにしたトークーバトル。ラグビー選手大畑大介が引退して、あれから1年。1991年新設高校に入学した無名の高校生3人が、お互い「永遠のライバル」として世界と戦うまでに成長した過程を思い出話など交え、たっぷりと語られた。ラグビーW杯日本開催を2019年に控えるラグビーに関しては、優勝争いが熾烈なトップリーグ、日本選手権の見所、注目チーム、注目選手なども。

<ホスト>
青島健太(スポーツライター/キャスター)
'58年、新潟県生まれ。春日部高~慶応大~東芝と進み、'85年にヤクルト・スワローズに入団。同年5月の公式戦初打席でホームランを放つ。5年間のプロ生活を経て、現在はスポーツライター、キャスターとして様々なメディアを通じてスポーツの醍醐味を伝えている他、'06年から社会人野球チーム「セガサミー」の監督に就任。第19回千葉市長杯で同チームを初優勝まで導き、07年に退任。現在は日本医療科学大学客員教授を務めている。

<ゲスト>
上原浩治(プロ野球選手/MLB・テキサスレンジャーズ投手)
1975年4月3日生まれ 185㎝/86kg
1998年、読売ジャイアンツに入団。プロ1年目に最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の投手4部門を獲得。
また、20勝を挙げ、新人王と沢村賞を受賞する。2目は9勝にとどまったが'01~'04年まで2ケタ勝利をマーク。'08年にはFAでボルティモア・オリオールズへ。'09年にメジャー初勝利を挙げ、'11年に建山が所属していたテキサス・レンジャーズに移籍した。

大畑大介(元ラグビー日本代表/神戸製鋼コベルコスティラーズ アンバサダー)
1975年11月11日生まれ 176cm/82kg
1996年、ラグビー日本代表に招集され、全試合に出場。1998年、神戸製鋼へ入社。'01~'02年にはノーザンサバーブス・クラブ(オーストラリア)、フモンフェラン・クラブ(ランス)でプレーするも、'03年に神戸製鋼コベルコスティーラーズに復帰。通算テストマッチトライ69という記録をもっている。'11シーズンを最後に引退を表明。現在は神戸製鋼コベルコスティラーズアンバサダーとしてラグビーの普及に力を注ぐ。

建山義紀(プロ野球選手/MLB・テキサスレンジャーズ投手)
1975年12月26日生まれ 177cm/77kg
1998年に日本ハムファイターズに入団。'02年より中継ぎに転向し、45試合に当番。'03年、抑えに回り15セーブを記録する。'04年には41試合に登板し、最優秀中継ぎ投手を獲得。'05、'06年も40試合以上に登板し、'08年には自己最多の58試合に登板しチームを支えた。'10年も58試合に登板、オフにFAを行使してテキサス・レンジャーズへ。'11年5月にメジャー初セーブ、6月に初勝利を挙げた。


前編

司会: 「ぴあトークバトルスポーツ快楽主義 vol.74 新春スペシャル 1991年東海大学付属仰星高校1年1組同級生 上原浩治・建山義紀・大畑大介 ~僕らが、ラグビー、ベースボールから学んだこと~」。このイベントは、「せんのはな」「イングコーポレーション」「ザバス」の協賛でお送りします。今日は新春スペシャルということで。
青島:すごい会場ですね。
司会:大きな箱を用意させていただきました。
青島:今日、ぴあの総合プロデューサーの方に会うやいなや、「大きいところを借りたので、胃が痛いですよ」と言っていました。
司会:笑い
青島:大丈夫ですね。たくさんのお客さんですね。
司会:今日はホスト役として大いに盛り上げていただきます。青島健太さんです。
青島:よろしくお願いします。
会場:拍手
司会:先ほど楽屋で会った瞬間、「似たカラーの洋服ですね」という話になりましたね。めったにない、エンジ色なんですけど。
青島:微妙な色合いなのに、なぜか似ているよね。
司会:コラボレーションで。
青島:今日はいけるね!
司会:今日はラグビーと野球のコラボレーションです。
青島:そうなんですよ。パトリックは誰か、同じ学校で有名な方はいました?
司会:同級生? アン・ルイスさん。かなり先輩になりますけど。学校は違いますけど、同級生では北海道日本ハムファイターズの木田優夫投手。
青島:おお! それは同級生?
司会:同級生です。青島さんは?
青島:同窓でいうと、小学校にはTOKIOの山口(達也)君。それから森尾由美ちゃん。一番渋いところでは、石川遼君のお父さん。小学校のふたつ上かな? 石川遼君じゃないところが、ホントにどうしようもない話ですけど。
司会:同級には?
青島:読売ジャイアンツの原(辰徳)監督が同級ですね。それから、なでしこジャパンの佐々木則夫監督。芸能人で言うとマイケル・ジャクソン、マドンナ。遠すぎますね。
会場:笑い
司会:スーパースター揃いで。
青島:パトリックも同級生はいても、同じ学校で、しかも同じクラスというのはなかなかいないですよね。
司会:このお三方は、本当に奇跡と言うか。
青島:あり得ないですよ。皆さん、ご存知だからいらっしゃっているんでしょうけど、高校で1年1組、同じクラスだったらしいですよ。笑っちゃいますよね。
司会:それで3人ともトップアスリートですよ。それも世界で活躍して。
青島:3人揃ってね。いったい1年1組にはどんな秘密があったのか? ぜひ聞いてみたいですね。
司会:青島さんには、これから迎えるゲスト3人のこれまでの軌跡はもちろん、どうやってトップアスリートに上がっていったのか。どうすれば世界で活躍できるアスリートになれるのか。いろんな方向からいろいろと聞き出してもらいたいと思います。
青島:本当に楽しみにやって来ました。
司会:それでは本日のゲストを呼びましょう! それではまず初めに、アメリカ・メジャーリーグ、テキサス・レンジャーズ、上原浩治投手です。同じくアメリカ・メジャーリーグ、テキサス・レンジャーズ、建山義紀投手。元ラグビー日本代表、神戸製鋼コベルコスティーラーズ、大畑大介さん。
青島:お願いします!
司会:すごいですよね。
青島:錚々たる顔触れが揃いましたね。
司会:まず、ひと言ずつご挨拶をいただきましょう。
上原:皆さん、こんばんは。7時という夕食の時間にわざわざ来ていただきまして、本当にありがとうございます。うちの身内が10人、サクラが100人、それを引くと、そんなにお客さんが入ってないですよね。
会場:笑い
青島:いや、いい感じだと思いますよ。これくらいが一番熱い話をできます。
上原:いろんな話をしたいと思いますけど、テレビカメラもあるので。ちょっと毒舌は難しいと思うので、ギリギリのところで話していきたいと思います。よろしくお願いします!
会場:拍手
司会:建山投手、こういうトークショーはよくありますか?
建山:はい。北海道日本ハムにいた時は、けっこうありましたよ。
司会:こういうトークバトルというのは違った感じですけど、いかがでしょうか?
建山:実は僕、トークショーが大好きなんですよ。今日の相手はふたりとも同級生ということで、どんな会話が出るのか、僕自身が楽しみです。自己紹介していいですか?
会場:笑い
司会:お願いします。
建山:皆さん、明けましておめでとうございます。今日はお寒い中お越し頂きましてありがとうございます。今日は3人のトークバトル、ぜひお聞きください。会場の空気を見ていると、ひと昔前のグリーンスタジアム神戸(現ほっともっとフィールド神戸)の日本ハム対オリックスを思い出して。
会場:笑い
建山:スタンドの空き具合ね。懐かしい気分になります。今日はよろしくお願いします。
青島:そういう意味では、本当に野球、ラグビーが好きな方々だよ。
建山:そうですね。本当にしゃべりがいがありますよね。
司会:大畑さんはトークショーは?
大畑:今はひとりでしゃべることが多いですけど、今日はふたりがいるので、トイレに行く時も安心感があったり。場をつないでくれるかなと。
司会:トイレに行くんですか?
大畑:トイレに行ってもいいように。今日は彼らの存在があるから油断があって、トイレに行くのを忘れていました。
会場:笑い
大畑:途中でいなくなっても彼らがいますので。
青島:いいですね。冒頭から緩い話で、さすが。せっかくですから、今日はファッションチェックもしたいですね。大畑さんからいきましょう。いつもロックンローラーみたいな格好が多いよね。
大畑:そうですか?
青島:今日はおとなしめで。俺の方が派手な感じがする。
大畑:この中で、一番派手ですよね。
青島:今日のコンセプトはどんな感じですか?
大畑:冬らしく……。ちょっと恥ずかしいな。
会場:笑い
青島:ブーツにこだわりがありそうですね。相当気合いの入ったブーツですね。
大畑:そうですね。あまり背が大きくないので、踵が高めの。
青島:シークレット系ですか?
大畑:あまり言いたくなかったんですけど。一番端にデカいのがいますから。
上原:デカい言うなよ!
会場:笑い
青島:服装に、冬場のかわいい感じが出ていますね。
大畑:コートにワンポイントを置いて。着て来たかったな。誰か、持ってきてくれないかな?
青島:後でスタッフの方に持ってきてもらいましょう。どれだけ派手か。建山さんはいつもかわいい格好だよね。
建山:ありがとうございます。大介の格好を見て思ったんですけど、36歳になってブーツインが似合うのは大介ぐらいしかいないですよ。
会場:笑い
青島:確かに、インしてるよね。
建山:今度マネしたいと思います。僕は去年のクリスマスの時期にテレビに出ることがあったんですけど、まったく同じ格好です。俺、クリスマス気分、抜け切ってへんやろ?
会場:笑い
建山:あかん、あかん。年を越して、気持ちも切り替えていかなきゃあかんのに、今日の格好はいただけないですね。僕的には55点くらいです。
青島:その分はトークで挽回してもらって。上原さんは、メジャーリーガーって感じだよね。
上原:大人を意識して。
建山:そのスーツ、ナンボするの?
青島:高そうだよね。
上原:そうですね、そこそこね。
建山:中に着ているニットなんか、5万円ぐらいするんちゃう?
上原:もう、ええやろ!
大畑:さっき話していたんですけど、すごく値の張るご飯屋さんによく行っているみたいですよ。
青島:ニットだけでも5万円ということで。
上原:でも、一番派手なのは青島さん。
青島:すいません。ちょっと失敗しましたね。
司会:これから2時間たっぷり話していただくので、ひとまず座ってください。それでは野球、ラグビーファン、それぞれいると思いますけど、ゲストそれぞれのプロフィールをご紹介させていただきたいと思います。
まず、上原浩治投手。1975年4月3日、大阪府出身の36歳。東海大学付属仰星高等学校から大阪体育大学を経て、1998年ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。その年に20勝4敗、20勝を挙げられたんですよね?
上原:はい。
会場:拍手
司会:史上10人目、新人としては史上3人目の投手4冠を達成し、新人王を受賞。ワールドベースボールクラシック、オリンピックなどの国際試合でも無類の勝負強さを見せ大活躍。2009年、メジャーリーグのボルティモア・オリオールズ、2011年シーズン中にテキサス・レンジャーズへ移籍されました。
そして、建山義紀投手。1975年12月26日、大阪府出身の36歳です。同じく東海大学付属仰星高等学校から甲賀健康医療専門学校、松下電器を経て、1998年ドラフト2位で日本ハムに入団。2010年、58試合に登板して26ホールド、自己最高防御率1.80を記録し、不動のセットアッパーとして活躍。2010年オフにFA権を行使し、メジャー挑戦を決意。テキサス・レンジャーズへ移籍されました。
最後は大畑大介さん。1975年11月11日、大阪府出身の36歳。東海大学付属仰星高等学校から京都産業大学へ。1996年大学在学中に日本代表初キャップ。1998年神戸製鋼に入社。1999年7人制ラグビーの世界大会でMVPを獲得。オーストラリアのノーザンサバーブス、フランスのモンフェランでもプレー。キャプテンとして日本代表を牽引し、ワールドカップへ2度出場。日本のエース、世界的なトライゲッターとして活躍された元ラグビー日本代表選手でいらっしゃいます。2011年1月、惜しまれつつも現役引退され、現在は神戸製鋼コベルコスティラーズのアンバサダーとして日本ラグビーの発展に尽力されています。以上、3人のプロフィールを紹介させていただきました。私は大畑さんのコートを取りにいくので、ここで一度失礼させていただきます。
青島:あのまま、立ち話で1時間半ぐらいいっちゃうのかなと思いました。
大畑:いけますね。
青島:ファッションの話からね。改めてプロフィールを聞くと、本当にすごい方たちに集まっていただいたという感じがします。年が明けたばかりですから、去年の振り返りと今年の抱負から聞かせてください。上原さん、去年はどんな年でしたか?
上原:シーズンは本当に、プロ生活の中でも最高の1年でしたね。
青島:ここ、ポイントですよ。シーズン“は”、ですからね。
上原:プレーオフは皆さんご存知のように、嫌な記録を作ってしまいまして。プレーオフ3試合連続でホームランを打たれた。メジャー記録を作ってしまいましたね。それでチームはワールドシリーズに進出したんですけど、メンバーから外れて。まだ心の傷が癒えてないという状況ですね。
青島:なるほど。後ほど、皆さんからの質問コーナーもありますけど、この話題はNGでお願いします。
会場:笑い
上原:いやいや、どんどん来てください。
青島:では、3連発はどんな気分だったんですか?
上原:いきなりですか。いやぁ、3発目はさすがに……。ショックというより、頭の中が真っ白になりましたよね。1発目、2発目はまだ、「打たれた」いう感じだったんですけど。
青島:1発目は(エバン)ロンゴリア、2発目はミゲル・カブレラ、3発目は誰でしたっけ?
建山:全然知らんヤツだよね。もうちょっとすごいヤツなら諦めもつくんでしょうけどね。
上原:1発目、2発目はすごいヤツなんですよ。
建山:知らんヤツに打たれたから、頭が真っ白になったんちゃう?
上原:余計ね。
会場:笑い
青島:ここに絡んでくる建山が好き。
上原:間近で見ていますからね。
建山:なんでこんなヤツに、みたいな。そんな感じやったですよ。
青島:3発目を思い出しました。(ライアン)レイバーンですね。
上原:彼もいい選手ですよ。無名じゃないです。
建山:お前の球を打てるのはいい選手。
上原:ナイスフォロー!
会場:拍手
青島:上原浩治からしたら、今まで経験していないような、「これがメジャーだ」ということだよね。
上原:でも、ジャイアンツの時に1イニングで3発食らっているんですよ、先発した時に。東京ドームのヤクルト戦で、稲葉(篤紀)さん、古田(敦也)さん、(ロベルト)ペタジーニにホームランを打たれているので、そこまでショックじゃないだろうと思ったんですけど、さすがにヘコみましたね。
青島:すいませんね、冒頭からその話題で。
上原:僕も暗いです。今日、無理です!
青島:この後、盛り上がる話題を考えましょう! 次は建山さん。メジャー1年目はどうでしたか?
建山:いろんな経験をさせてもらいましたよね。違った国で、環境も違い。メジャーリーグという大舞台で試合もしましたし。野球人としてはもちろん、人間としても大きく成長できた1年でした。
青島:私の記憶が間違っていなければ、建山さんも2試合で4本ぐらい打たれているよね?
建山:確か、9月に立て続けに打たれたんですよね。2試合連続満塁ホームランというのがあって。
上原:あれも数十年ぶりだよね?
建山:そうそう。
青島:上原さん、この話題はどう?
上原:どんどん突っ込んでいきましょう。何か、悔しいから。
会場:笑い
青島:元気づけられるよね。
上原:でも、建山の場合は自分の出したランナーじゃないですからね。前のピッチャーがランナーを出して、その後に建山が打たれたというだけで。
建山:優しいですよね。青島さん、冒頭からどんどんインコースにグイグイ来ますから。
青島:笑い
上原:むしろデッドボールが来ていますよ。
青島:いやいや。先に上原さんがメジャーに行って、想像していた世界だと思いますけど、実際にはどうでしたか?
建山:本当に桁外れのパワーとスピードで、僕も頭が真っ白というか。最初の方は、そうなることもありましたね。
青島:最初はマイナーのトリプルAでスタートしましたね。
建山:さっきも言ったように、いろんな経験をしたので。
青島:ここは掘らない方が良かった?
建山:いえいえ、逆にトリプルAの話題は多いので、触れていただければうれしいです。
青島:次は大畑さん。
大畑:僕はちょうど1年前に引退しました。最後のゲームをして、引退という形で。この1年間のうち、2ヵ月はケガでベッドの上にいたと。それからこういった形で講演をさせてもらったりもしました。今までは現役としてグラウンドの中で自分を表現していましたけど、今は裏方としてラグビーをいろんな方に知ってもらうような活動をしています。
青島:この話題は先に触れましょう。3人と言えば、東海大仰星。大畑さん、少し前にテレビで解説をされましたよね。
全国高校ラグビー選手権の決勝で、相手は東福岡。宿命のライバルの村田亙と一緒でしたね。
大畑:決勝に残ったからふたりで解説をしたわけではなく、もともと決まっていたんですよ。大会初日に会った時に、「決勝で当たったらおもしろいよね」という話をしていたんですね。そうしたら、本当に決勝で当たって。普段はひとり解説が多いので、なかなか片側サイドに気持ちを入れて話をすることはできなかったんです。今回は東海大仰星対東福岡で、ふたりの解説がともにOBだったので、気持ちいいぐらい仰星の応援をさせてもらいました。民放だったので、あえてケンカをしている雰囲気を作りたいと思ってガッチリいったんですけど、軽くあしらわれたというか……。
青島:上原さんは見ました?
上原:見ました。後半ロスタイムのトライは感動しましたね。
青島:ロスタイムがなかなか終わらなくてね。
上原:いい審判でしたよね。
青島:あのプレーを引っ張ってくれてね。建山さんは?
建山:ちょっと時間がなくて見られなかったんですよね。それで結果を聞きました。東福岡対東海大仰星は因縁の対決ですよね。
青島:すごいゲームでしたね。大畑さんが言ったように最初はガンガン来ていたんだけど、だんだん劣勢になってきて、トーンも落ちてきていたよね。
大畑:そうですね。途中からは、東福岡も誉めなきゃいけないというのもありましたし。いつも12月の真ん中ぐらいに、建山からメールが来るんですよね。「今年の仰星はどうだ?」「今年の優勝候補はどこだ?」って。野球選手は、出身校が気になるみたいで。チームの中でも、出身校のラグビーの話になるみたいなんですよね。
建山:僕が日本ハムにいた頃にかわいがっていた後輩で、田中賢介という選手がいます。彼は東福岡出身。いつもトーナメントのいいところで、花園ラグビー場で東福岡と当たるので、火花を散らして応援しています。
青島:それは知らなかったな。熱くなるわけですね。ラグビーは今の時期が旬なので、大畑さんにこの後の流れを伺いたいと思います。高校は東福岡が3連覇、大学は帝京が3連覇、トップリーグも佳境。これから日本選手権があります。古巣の神戸はどうですか?
大畑:年末、東芝ブレイブルーパスにいい形で勝って、そのままいい勢いに乗っていけると思いきや、先週の試合で近鉄ライナーズに逆転負けしてしまいました。昔は正直、周りがあまり強くなかったということもありました。「ちょっと気持ちをひとつにまとめたら勝てる」という試合があったんですよね。今はどこも、すごくレベルが上がっています。だから、昔のように星勘定のできる相手がなかなかいないんですよね。ラグビー界全体のレベルが上がっています。
青島:最近は春までラグビーシーズンが続きますからね。
大畑:今年に関してはワールドカップでちょっとズレこんだのもあって、3月の真ん中まで続きます。
青島:今年は何と言っても、セブンズが東京でありますね。
大畑:2016年のリオデジャネイロオリンピックから正式採用されました。世界的に7人制が注目されているということもあります。昨年は4月に大会が予定されていましたが、東日本大震災の影響で延期になりました。今年、10数年ぶりに東京で開催されます。
青島:HSBCのセブンズワールドシリーズ東京大会。3月31日から開催されます。ラグビーシーズンは春までずっと続きますね。
大畑:そうですね。7人制は15人制とちょっと違って、より球技の色合いが濃いというか。僕は7人制で名前を売って、グッといった人間なので。ぜひ見てもらえれば、おもしろいと思います。
青島:先ほど話がありましたが、1999年のセブンズのMVPですよね。皆さんには、2016年のオリンピックを楽しく観ていただくためにも。
大畑:ここでよく見てほしいですね。若い選手も出てくると思いますので。
青島:ぜひ注目していただきたいと思います。ざっくりとですが、3人には昨年を振り返ってもらいました。今日は東海大仰星もと1年1組の新年会という感じで。何故に同じ高校、同級生。しかも同じクラスから、こんなにすごい3人が出たのかというところに迫っていきたいと思います。まずは東海大仰星に入ってこなければ会わなかったわけですから、進学を決めた理由を教えてください。上原さんは?
上原:まず、家から近いのもありましたね。
青島:すごくシンプルでわかりやすいですよね。
建山:彼は自転車で通っていましたからね。
上原:それと野球をしたかったので、野球部のある高校に行きたかったんですよね。
青島:中学では野球部がなかったんですよね?
上原:中学校は陸上部です。大学に入るのに浪人もしていますし、あまり進路の話はしたくないんですよ。
会場:笑い
建山:お前、したくない話が多すぎるやろ?
上原:何か今日、暗くなりそうで。いいんかな?
建山:気持ち切り替えろや!
会場:爆笑
青島:そこだよね、そこ。
上原:正直、まだ引きずっていますよ。
青島:でも、そこに行く前の話だから。
上原:20年前ですもんね。
青島:この段階では、ただ家から近かったという話しか出ていないよ。
上原:その当時で、そこそこ野球の強い高校に行きたかった。でも入ってみたら、みんな推薦入学で、中学校から硬式球を握ってやっていた人ばかりで。僕は軟式で週1回遊んでいた程度だったので、ちょっとレベルが違いましたよね。
青島:そのハンデは仕方ないですね。
上原:それは仕方ないと思います。
青島:「家から近かった」「野球もそこそこ強かった」という、別にこの場で伺わなくても大丈夫そうな理由で。
上原:それ以上、何のコメントをしたらいいんですか!
青島:建山さんは?
建山:行きたかった高校が別にありました。そこがダメで。仰星を選んだのは、僕が入る前の年の秋季大会で大阪のベスト4に入ったんですよ。まだ名前も売れていない高校だったんですけど、これから強くなるんじゃないかなという思いもあって選びました。
青島:自宅からは近かったんですか?
建山:1回電車を乗り継いでこないといけないんで、まあまあ遠かったです。
青島:この情報はあまりいらなかったですね。すみません。大畑さんは?
大畑:僕は建山よりちょっと遠いところに住んでいました。1時間ぐらいかけて通いましたね。大阪にはラグビー強豪校がいくつもあるじゃないですか。でも、そこに入る選択肢はなくて。中学生の時は成長期に伴う足の痛みがあり、なかなか思うようにプレーできなかったのもありました。僕らは仰星の9期生だったので、まだまだ学校の歴史が浅くて。一応ラグビー部も強化していたんですけど、大阪では4、5番手ぐらいの学校で。これからも力を入れて、花園を目指すというような。ラグビースクールからずっと一緒にやっていた先輩がひとつ上にいて、「非常におもしろい」と。体育会によくありがちな、理不尽な上下関係ってあるじゃないですか。ああいうのがすごく嫌いで。仰星にはそういうのもなく、おもしろい先生がいるということで紹介してもらいまして。先生に「ちょっと来たら?」という感じで誘ってもらいまして、それで入りました。
青島:改めて伺う意味はありましたね。というのは、上原さんは中学は陸上部で、野球はやっていたけど、家が近かったという理由で行ったわけですよ。建山さんは、本当はもっと強いところに行きたかったけど、いろいろ事情もあった。大畑さんは、ラグビーで名のある学校はもっとあるけど、新しい学校がおもしろそうだから行った。その時点では、3人ともまだ何も目立っていないというか。光る前の原石のような状況で、東海大仰星に何気なく来たということですよね。そこから今度、どんなことが起こってくるのか? 聞きたい話が膨らんできます。3人は1年1組ですよね?
大畑:はい。僕は学級委員長ですから。
青島:学級委員長!
大畑:3年間学級委員長です。1年1組、2年2組、3年3組、と。
建山:意外にクラスはまとまっていましたよ。
大畑:1年1組の担任がラグビー部の顧問で。中学校を卒業した次の日から高校の練習に行っていたんですよ。だから「ラグビー部のヤツにクラスを仕切らせよう」ということで、僕がやっていました。
青島:入ってきたばかりの生徒からいきなり決めるのも難しいですよね。
大畑:それで、「大畑やれ」みたいな感じで。
青島:1年1組の時、それぞれの印象はよく覚えていますか?
上原:覚えてないです。
青島:大畑さんのことは?
上原:覚えてないです。
建山:俺は覚えている方かもな。大介は席が近かったからね。わかりやすく言うと、僕と大介はあまり頭が良くなかったので、常に教卓の近くに座らされていました。勉強せえ、と。上原は勉強ができるから、席替えで決まった自由な席。僕と大介は指定席。
会場:笑い
上原:僕は「勉強できるから」と言いますけど、この3人の中ではの話ですよ。
建山:1回だけ指定席に来たよな!
会場:笑い
上原:他の生徒をいれたら、正直、下の3人ですよ。
青島:笑い
建山:俺らをアホ扱いするなよ。
大畑:指定席は7つあるんですけど、そこでも取り合いがあるんですよ。
青島:高校1年の時の印象と言っても、そんなにないですよね。
大畑:建山は1年の時からベンチに入っていたので、「こいつは違うな」という感じがありましたね。上原はヒョロっと長かったので。
上原:ヒョロっとか言うなよ!
会場:笑い
大畑:ホンマにマッチ棒のような感じで。坊主やし。
青島:上原さん、高1で入学した時の身長は?
上原:180cmあるか、ないかぐらいです。でも、めちゃくちゃ細かったので。
青島:髪型は? 今ぐらいの長さ?
上原:もう少し短い。
建山:今はオシャレ坊主やんか、それ。
上原:オシャレ坊主って、バリカンでやってるだけやぞ!
青島:高校生の時は、モミアゲはちょっとね。
上原:モミアゲはなかったです。高校の時は、バリカンで剃り合いしてたじゃん?
青島:建山さんももちろん?
建山:坊主です。
大畑:だからよく、後ろからタオルをバーンと引っ掛けていました。気持ちいいんですよ、あれ。
青島:大畑さんは?
大畑:短かったり、いろいろやりました。でも、坊主はしなかったですね。
青島:1年1組では、お互い意識し合うことはそんなになかったんですね。建山さん、3人の関係はどうだったんですか?
建山:あまり大介のすごさ、上原のすごさが浮き彫りになっていないというか。でも体育の授業で上原を見て、こんなに走り幅跳びで飛ぶんやっていうことを思い出しました。
上原:陸上部ですから。
青島:ハイジャンプとか、幅跳び系の体つきだよね。
上原:そうです。
建山:バネがあるので、幅跳びがすごかったよな。
上原:中1の時にハードルをやっていたんですよ。でも、走るのしんどいと思って。幅跳びなら20mくらいしか走らないでいいじゃないですか。だから、幅跳び、三段跳びをやっていたんですよ。
大畑:めちゃくちゃ飛んでいましたよ。マッチ棒がピューンって。
上原:マッチ棒言うな!
会場:笑い
青島:高校生の時はバネのように跳ねたでしょ?
上原:そうですね。肉離れするまで跳ねていたんですけどね。
青島:上原さんは建山さんの印象は?
上原:1年からベンチに入って投げているのを、僕はスタンドから見ていましたから。建山が試合をしていて、僕らは外野で球拾いという感じですよね。
青島:以前、大畑さんにお話を伺った時、「高校時代、3人の中でダントツに輝いていたのは俺なんですよ」と言っていましたよね。
大畑:言いましたね。最後、ビュヤーって上がっていきました。
建山:それは本当に否めない現実です。
会場:笑い
青島:そこはクールに認めますね。
建山:はい。大畑は高校時代、すごかったですから。
上原:本当にすごかったですよ。皆さん、知らないでしょ?
大畑:俺の高校時代を知っていたら、怖いから。
会場:笑い
青島:大畑さん的には、ふたりに対しては上から見るような?
大畑:そんなのはないですよ。ラグビー部と野球部はすごく仲良かったんですよ。
建山:部室を行き来したりね。
大畑:僕らも全国大会に出ようと頑張っていたし、彼らも甲子園目指して頑張っていたし。仲良くしていましたよ。でも、「俺の方が上や」というのはありましたけどね。
会場:笑い
建山:まあまあ、それはすごかったよな。
上原:しゃあない。
建山:輝いていたもん、ホントに。モテたし。
大畑:野球部を応援しに行っているのに、僕が写真を撮られたりしましたからね。
上原:ちょっとした自慢ね。
建山:でも、否めない現実ですから。
会場:爆笑
上原:隠れファンクラブがあったという話だよね。
青島:この辺をきちっと織り込むのが大畑なんだよね。
大畑:ちょこちょこね。関西だったら、もっと受けるんですけど。
会場:笑い
青島:私自身、今日お集りの皆さんも高校1年の同級生を思い浮かべて、「いいヤツだったな」「勉強ができるヤツだった」という思い出はあるにせよ、そんなに明確ではないでしょうね。
大畑:僕はあまり野球を知らない子どもだったので、建山のピッチングを初めてバックネットで見た時、「人の投げる球はこんなに曲がるんや」っていうのを初めて知りましたね。
上原:本当に曲がっていましたよ。僕はセンターから、補欠ですけど、後ろから見た時、本当に曲がっていましたからね。
青島:そのアングルに上原浩治がいるのがおもしろいね。その時はセンターにいたんだね。
上原:高校時代はセンターでした。
青島:建山さんは中学時代に上投げから横投げにしたら、とんでもないボールを投げ出したんですよね。
建山:はい。中学の時はすごく強いチームにいたんですけど、8人ピッチャーがいて、8番手ピッチャーだったんですよ。監督が「横にしろ」ということで、サイドスローにしたのがきっかけだったんですよね。そうしたら、カーブがすごく曲がるようになって。今でも曲がるボールは得意球なんですけど、中学の時に見つけました。
青島:当時を振り返ってもらいました。存在は知りつつも、互いを強烈に意識してということはなさそうですね。
大畑:意識するようになったのは、卒業してからじゃないですか?
青島:高校時代に、彼女を取り合ったりはないんですか?
建山:気になっていた伊藤さんという人がいたんですけど、「大介と伊藤さんが付き合っているんじゃないか」という噂を聞いて。「俺はこんなことをしている場合じゃない」と野球に打ち込んだ思いがあるんですよ。何となく雰囲気はわかるでしょ? 「振られた……」みたいな感じでダッシュとかをしていたんですよね。
青島:若い頃はその方が頑張れたりするんですよね。
建山:そうなんですよ。恋なんてしている場合じゃないな、と。
会場:笑い
青島:何も知らないで撒き餌してみたんですけど、食いつきましたね。
建山:言いたかったんです。
会場:笑い
青島:大畑さんの話を聞く前に、伊藤さんはどんな子だったんですか?
建山:おとなしい感じ。きれいで、おしとやかな。1年1組の時、同じクラスでした。
青島:クラスのマドンナ的な。
建山:そうですね。2年くらいでその噂を聞いて、僕は愕然としましたよ。
青島:ご当人はどうですか、大畑さん?
大畑:それは、勝者ですよ。
青島:勝者、出ました。
建山:やっぱり付き合ってたん?
上原:今わかるんやな。20年経ってみたら。
建山:負けた……。
青島:建山さん、今年また頑張るエネルギーをもらったじゃん?
建山:はい、もらいました。めっちゃ走るよ。
上原:やめとけ、やめとけ。ケガする。
会場:笑い
青島:いろんな意味で大畑さんが勝っていたのね?
大畑:僕が勝っていましたね。否定はしないです。
建山:大介、高校の時は本当にすごかったですよ。その後もすごいですけど。
上原:みんなが想像している以上にすごかったですよ、ホンマに。
大畑:大阪の高校ってラガーマンがモテるんですよ。それで頑張ろうって思って。負けたくない。他の有名私立の子たちに負けたくなかったんですよ、男として。
青島:仰星の仲間だけじゃなくて?
大畑:仰星の仲間には絶対勝てると思っていました。
会場:笑い
青島:大阪中のラガーマンに負けたくない?
大畑:絶対負けたくない。だから上手くなろうと。
青島:来ましたね。その時点で、ふたりより志が高かったんだ?
大畑:ですね。ちょっと目指す方向が違いましたね。
青島:高校時代は大畑さんに譲っておきましょう。異論はないですね?
建山:は、はい。
大畑:僕はちょっと変わった子だったんですよね。入学した時、実力的にはラグビー部で一番下でした。走れなかったし。50m走が7秒0だったんですよ。
青島:遅っ!
大畑:遅いでしょ? 大畑大介というイメージからしたら、めちゃくちゃ遅いじゃないですか。それにも関わらず、靴に「全国制覇」「高校日本代表」とか書いたりね。偏差値40の子が「東大を目指す」みたいな感じですよ。それをみんなの前で堂々と言うような子だったんですよね。
青島:建山さん、大畑さんの上履きに「全国制覇」と書いてあるのを覚えていますか?
建山:それは覚えてないですけど、そういうタイプでした。ひとり変わっているな、みたいな。発言とかもね。よく言うじゃないですか、「本当の天才はバカに見える」って。大介みたいな感じです。
上原:バカと天才は紙一重やから。
青島:そういう高校時代の3人です。では、上原さんが「そこは触れるのをやめよう」というところに行かざるを得ないんですが。高校を卒業して、それぞれの進路になります。皆さんもご存知のように、上原さんは浪人。
上原:受験の壁にやられましたね。
青島:でも、厳しいながらも上原さんにとっては大事な1年で。
上原:あの1年があったから、今の自分があったと思っているし。今思えば、いい経験をしたなと言えます。アルバイトもたくさんしましたし。
青島:予備校に行きながら?
上原:はい。
青島:予備校に行きながら、スポーツジムにも行きながらですよね。
上原:そうですね。キャッチボールする相手もいないなかで。あの1年は、本当に硬式球を握っていなかったので。週1回、同級生のお父さんたちがやっていた草野球チームに入れてもらって。一緒に試合をした後、ご飯を食べに行って野球の話をしたり。
青島:浪人時代は自分のことで精一杯だったでしょうけど、どこかで思い出す大畑、建山みたいなところはありました?
上原:正直、ふたりよりも(高橋)由伸と(川上)憲伸が大学1年で、東京の大学で活躍していたんですよね。そういうのを見ると、「自分は何してるんやろ?」という思いがありましたよね。
青島:大学球界に進んだ同級生の動向が気になった?
上原:はい。さすがに、高卒でプロで活躍したヤツはおらんよな?
建山:おらんな。
上原:そういう選手は見当たらなかったので、大学1年から活躍していたふたりがすごく気になっていましたね。
青島:建山さんは専門学校に行かれました。どうしてだったんですか?
建山:大学受験でふたつ落ちたんですよね。
青島:じゃあ、上原さんと状況は一緒だった?
建山:はい。
上原:ふたりで4つくらい落ちていますからね。
青島:受験料を相当払いましたね。
上原:貢献しています。
青島:それで甲賀健康医療専門学校に?
建山:はい。野球をやりたいという思いがあったので。その当時、甲賀の学校は大学受験に失敗したり、社会人野球に進みたかったけど行けなかった選手の受け皿的な学校だったんですよね。そこで結果を出せば野球を続けられるんじゃないかということで選んだんですよね。
青島:取材で行ったことがあります。京都から電車で行って、甲賀忍者の里ですよね。山里で、いいところなんですけど、本当に恵まれた環境かと言えば、そうとも言えない。
建山:そうですね。僕がいた時はマウンドもなかったので、ピッチングを平地の土の上でやらざるを得ない。上原と同じように、そういう経験が今となっては良かったですけどね。
青島:専門学校には2年?
建山:はい。
青島:その時代は何を思っていました? 先ほどは「伊藤さんのことを思って走っていた」と言っていましたけど(笑)。
建山:伊藤さんへの気持ちを切り替えて。
会場:笑い
建山:専門学校はお金がかかりますから。大学受験に失敗した時、父親に「専門学校に行くぐらいなら、社会に出て厳しさを味わえ」と言われたんですけど、「何とか行かしてくれ」と頼みました。何とかいい就職先を見つけることが、親への恩返しというか。「学費を払ってくれて、ありがとう」じゃないですけど。野球人生の中で一番練習した2年間でしたね。
青島:高校3年間一緒に戦った上原さんと建山さんは、その時は方や浪人、方や専門学校に行って。連絡は取り合っていました?
建山:ゼロ。後に出てくると思うんですけど、上原が浪人していて、僕は専門学校。お互いの状況はまったくわからなかったよな?
上原:はい。
青島:「今は連絡を取れない、取りたくない」という思いもあったんですか?
上原:その時は、携帯電話を持っていなかったので。
建山:そやな。
上原:だから連絡を取り用がない。
建山:公衆電話から上原の家に電話しても、ちょっと気持ち悪いしね。
上原:俺も、どうしゃべっていいかわからん。
会場:笑い
青島:なるほど。大畑さんは京都産業大学に?
大畑:はい。僕はふたりとは違ってすんなり大学に行った……ということではないですね。僕も行きたい大学には行けなかったというか。同志社に行きたかったんですけど、門を開いてくれませんで。
上原:初耳やな。
建山:知らなかったな。
上原:もっと言ってくれよ!
大畑:え?
会場:笑い
大畑:そういうことがあったの。で、1週間。受験して失敗してもいいんで、先生に呼ばれて1週間進路相談をしていました。僕は「就職してもいいから、一発勝負させてくれ」という話をしていたんですけど、「世の中のことも考えて、お前を必要としてくれる大学があるから、そこに行きなさい」ということで。それで、京都産業大学にお世話になりました。
青島:高校を卒業して、なかなか思うようにいかない部分もあったんですね。
大畑:同志社が取ってくれなかったという思いがあったので、絶対に負けたくないという気持ちだけでやっていました。
青島:大畑さんは大学時代、「ここに大畑あり」と走りまくって。
大畑:そうですね。1年生の時から全国大会、国立にも行って。その時に上原から年賀状が届きました。「活躍しているな」と。「大学が決まりました」という報告もあって。「でも来年は、お前に負けずに活躍する」ということを書いているんですよ。僕は大学1年からレギュラーで、ベスト4まで行っていたりしていましたので、「こいつ、何言うてんねん」という感覚じゃないですか。
会場:笑い
大畑:それでね。
建山:ちょと待って。年賀状のやり取りしてたの?
会場:笑い
建山:俺にくれへんやん! 俺のこと、ホンマに忘れてたんやん! 専門学校をなめたらあかんよ。
会場:笑い
建山:ジェラシーやな~。
上原:俺、送ってへん?
建山:来てないよ~。
上原:マジで? 俺と大介は連絡取り合っていたな。
大畑:で、「何言うてんねん」ぐらいに思っていたんですよ。そうしたら、次の年からバンバン投げて、全国大会では神宮で投げたり、学生代表になったり。一気に名前が売れたから、「一瞬にして抜かれた」と思いましたね。
青島:上原浩治から大畑大介への年賀状、「お前には負けへん」って。
上原:書いたんかなあ……。
青島:笑い
上原:覚えてないですね。
青島:念願の大学に入って、いよいよこれからだという気持ちはそこに表れていますね。
上原:それはもちろん。皆さん、浪人ってあまり経験ないと思うんですけど。
青島:いやいや。
上原:浪人生、います?
青島:誰もお願いしていないのに、随分手が挙がりましたね。
上原:けっこういるね。
青島:だから、上原さんの話に共感しているんだよ。
上原:本当に先が見えないですよね。ホンマに受からないと、どこに進んでいいかわからないから。浪人ってホントにしんどいですよ。尊敬する人を聞かれると、両親、兄、浪人生って答えますから。
会場:笑い
上原:勉強している浪人生です。遊んでいる人もいっぱいいますから。浪人はしんどいですよ。
青島:上原さんは大阪体育大学に入って、念願のピッチャーになって。高校の時もピッチャーでしたけど。
上原:うちの大学はそんなに強くなかったので、入部した時に「自分の好きなポジションにいけ」と言われて、「ピッチャーやりたいです」と言いました。僕がいた頃は、そういう大学だったんですよ。今はちゃんとした大学になりましたけど。ちゃんとした大学っていう言い方、おかしいな。
青島:その辺から、何となく通ってくるような大学だったんでしょ?
上原:みんなバイトしているし、夜勤明けのまま試合しているような連中ばかりでしたから。
青島:いい意味で、選手が伸び伸びできる環境だったんでしょうね。
上原:伸び伸びしすぎでしたね。
青島:大学選手権に出るは、国際試合もありましたよね。大学時代にグワーって来ましたね。
上原:そうですね。ビックリしましたね。
青島:その時は、大畑さんは気になりました?
上原:もちろん。全国大会で、ベスト4に入らな国立競技場に出られないですから。それに出て。正月にテレビで、大介が出ていたのをずっと見ていましたから。意識はしていましたよ。
青島:野球、ラグビーで、上原さんと大畑さんはガーっと来て。その頃、建山さんは専門学校に2年行かれて、社会人野球に行かれますよね。ふたりの動向はどう見ていました?
建山:大介は1年生の時、鼻を折りながらトライしなかった?
大畑:折ったね。
建山:そういうのを見ていて、「大介はすごいな」と。上原も1年後に大阪体育大学に入って、「上原すごいぞ」と風の噂で聞くんですよね。新聞に載らなくても、「こいつはすごいぞ」みたいな。そういうのを聞いていて、「俺、だいぶ取り残されている」と思っていたんですよ。で、松下電器に行って。俺が松下電器に行ったこと、知ってた?
上原:知ってるよ。
大畑:知ってるっちゅうねん、それくらい。お前が先に社会人になってるんやから、ちゃんと年賀状を送らなあかん。
建山:あれはだいぶ恨んでいるよね。
会場:笑い
大畑:恨みっ放しや、俺のこと。
建山:それで松下に入って、彼らが大学でどんどん成熟していくのを見ていて、僕は指をくわえているような状態でした。
青島:その指をくわえていることに、大いに意味があったんでしょうね。ふたりとの出会いがなければ、そこをひとつの目標にしたり。自分を計る尺度があったというのは大きいですよね。
建山:負けてられへんというのは、こういうことを言うんだと思いますよ。同じ野球をやっている上原に抱くならまだしも、大介にも「全国なんてすごいな」という思いがあったので、「負けてられへんな」という思いがありました。
青島:建山さんも社会人で活躍して、みんなの歩幅が一気に大股になって。高い世界に駆け上がっていく体勢が揃ってきた感じがします。
建山:ふたりに追いつくために、着々と準備をしました。
青島:3人にとってある意味、節目は1999年なのかなという気がします。上原浩治、読売巨人軍にドラフト1位で入団。建山義紀、日本ハムファイターズに入団。大畑大介はセブンズで大活躍、ワールドカップ出場へ。先に社会人になっていますからね。
大畑:そうですね、僕が1年早いです。
青島:ここから、いよいよ加速していく3人の歩みという感じがします。99年をお互いどう見ていたか。自分の将来をどう見ていたかを伺おうと思います。上原さんは逆指名で巨人軍へ。あの時はいろいろ報道もされましたが、大リーグの(当時アナハイム)エンゼルス、メジャー入りもあるのかなというところでの巨人入り。
上原:期限ギリギリまで悩んでいましたね。
青島:どういうことを思って巨人入りという流れになりました?
上原:実際、夏頃にアナハイムに行って。視察じゃないですけど、球場見学をして、GMの方にも会ったんですよね。今だから言っても大丈夫ですけど。
会場:笑い
青島:やっぱり行っていたんだね。
上原:行っていました。ああいう球場を見たら、「メジャーに行きたい」という気持ちはすごく出てきましたけど。当時はそんなに日本人がメジャーに行っていなかったので。言葉の壁なり、食事なり、心配事がすごく出てきまして。当時のスカウトの方に「100%の自信がないと絶対成功しないから、100%の自信がないなら来るな」と言われ、そのひと言でメジャー行きのパーセンテージがどんどん落ちていって。結局、「日本だったら12球団で一番メジャーな球団でやりたい」ということでジャイアンツにしようと逆指名したら、大阪の方でだいぶ叩かれましたね。

取材・構成:宮崎俊哉(CREW)/撮影:新関雅士

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上原浩治
(テキサスレンジャーズ)
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上原浩治
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大畑大介
(元ラグビー日本代表/神戸製鋼コベルコスティラーズ アンバサダー)
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大畑大介
(元ラグビー日本代表/神戸製鋼コベルコスティラーズ アンバサダー)

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建山義紀
(テキサスレンジャーズ)
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建山義紀
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青島健太
(スポーツライター/キャスター)
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青島健太
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