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ぴあトークバトル スポーツ快楽主義2012 vol.74 後編
【 開催日/会場 】 1月12日(木) なかのZEROホール 大ホール
協力:読売新聞社、日本テレビ放送網(株)、(株)スポーツカンパニー
協賛:株式会社千の花/ingコーポレーション/株式会社明治(SAVAS)

大阪・東海大仰星高校1年1組でクラスメートだった3人をゲストに迎えて「己を信じぬく力」「チャレンジ精神」をメインテーマにしたトークーバトル。ラグビー選手大畑大介が引退して、あれから1年。1991年新設高校に入学した無名の高校生3人が、お互い「永遠のライバル」として世界と戦うまでに成長した過程を思い出話など交え、たっぷりと語られた。ラグビーW杯日本開催を2019年に控えるラグビーに関しては、優勝争いが熾烈なトップリーグ、日本選手権の見所、注目チーム、注目選手なども。

<ホスト>
青島健太(スポーツライター/キャスター)
'58年、新潟県生まれ。春日部高~慶応大~東芝と進み、'85年にヤクルト・スワローズに入団。同年5月の公式戦初打席でホームランを放つ。5年間のプロ生活を経て、現在はスポーツライター、キャスターとして様々なメディアを通じてスポーツの醍醐味を伝えている他、'06年から社会人野球チーム「セガサミー」の監督に就任。第19回千葉市長杯で同チームを初優勝まで導き、07年に退任。現在は日本医療科学大学客員教授を務めている。

<ゲスト>
上原浩治(プロ野球選手/MLB・テキサスレンジャーズ投手)
1975年4月3日生まれ 185㎝/86kg
1998年、読売ジャイアンツに入団。プロ1年目に最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の投手4部門を獲得。
また、20勝を挙げ、新人王と沢村賞を受賞する。2目は9勝にとどまったが'01~'04年まで2ケタ勝利をマーク。'08年にはFAでボルティモア・オリオールズへ。'09年にメジャー初勝利を挙げ、'11年に建山が所属していたテキサス・レンジャーズに移籍した。

大畑大介(元ラグビー日本代表/神戸製鋼コベルコスティラーズ アンバサダー)
1975年11月11日生まれ 176cm/82kg
1996年、ラグビー日本代表に招集され、全試合に出場。1998年、神戸製鋼へ入社。'01~'02年にはノーザンサバーブス・クラブ(オーストラリア)、フモンフェラン・クラブ(ランス)でプレーするも、'03年に神戸製鋼コベルコスティーラーズに復帰。通算テストマッチトライ69という記録をもっている。'11シーズンを最後に引退を表明。現在は神戸製鋼コベルコスティラーズアンバサダーとしてラグビーの普及に力を注ぐ。

建山義紀(プロ野球選手/MLB・テキサスレンジャーズ投手)
1975年12月26日生まれ 177cm/77kg
1998年に日本ハムファイターズに入団。'02年より中継ぎに転向し、45試合に当番。'03年、抑えに回り15セーブを記録する。'04年には41試合に登板し、最優秀中継ぎ投手を獲得。'05、'06年も40試合以上に登板し、'08年には自己最多の58試合に登板しチームを支えた。'10年も58試合に登板、オフにFAを行使してテキサス・レンジャーズへ。'11年5月にメジャー初セーブ、6月に初勝利を挙げた。


後編

会場:笑い
上原:関西人が東京の球団に行くのは叩かれますね。
青島:そこは地域的なことがね。
上原:大スポ(大阪スポーツ)にやられましたね。
会場:笑い
青島:やはりそうですか。匿名での話がありましたね。今は良好な関係ですか?
上原:良好というか、別に、そんなに付き合いもないですから。
青島:なるほど。建山さんは社会人野球からプロへ。私も社会人野球からプロに行ったので、学生が見るプロ野球と、社会人が見るプロ野球は違いますよね。すでに社会人という立場を手に入れているんだから、プロ入りも少し逡巡する思いもありました?
建山:松下電器はすごくいい企業ですから、そこに残るという選択ももちろんあるんですけど。当時から高いレベルでやりたい気持ちは持っていたので、迷いはなかったです。
青島:上原浩治の動向についてはどうでした?
建山:確実にドラフト1位で消える選手だったので、果たして僕は何位になるのかなという。
上原:でも、2位って逆指名やろ?
建山:でも俺、東京の球団を指名したけど、何も言われへんかったよ。
会場:笑い
建山:お前は大阪でだいぶ叩かれた言うけど、俺はやっぱりパ・リーグやったから。
青島:何も言われなかった?
建山:何も言われなかったですよ。
上原:そうや、日ハムはあの時、関東にあったんや!
建山:そう。何も叩かれへん。
上原:巨人にいったから叩かれたんだね、やっぱりね。
建山:そこは巨人というか、人気のセ・リーグですよね。俺は常にお前の日陰やったわ。
上原:知らんわ。
青島:年賀状も来ていなかったしね。
建山:はい。これはずっと言います。
上原:今はちゃんとメールもしていますから。
青島:ふたりがプロの世界に飛び込んだ年に、大畑大介は香港セブンズでMVPを取るわ、ウェールズでのワールドカップで日本代表に欠くことできない存在としてプレーしていました。
大畑:彼らのことは新聞報道で見ていて、ちょっと自分の方が先に代表になっていたので、「負けられへんな」という。やっぱり世間的に、競技としては野球の方が上ですから。ドラフト上位の選手でも、同級生に対して「一歩自分は先に行っている」という気持ちでやっていましたので、絶対に負けたくない思いがあって。一番初めに代表になった人間だったので、高校に日本代表のジャージをプレゼントしたんですよ。僕らが9期生というぐらいなので、まだまだ学校の歴史が浅くて、そういった卒業生がいなかったんですよね。正面玄関のど真ん中に、僕の日本代表のジャージがバーンって飾られていたんですよね。で、99年に彼らがプロに入り、数年経ってから僕が仕事で仰星に行った時、俺のジャージがまだ真ん中にあるのかなと思いきや、上原、建山のジャージが真ん中にあって、大畑のジャージは端っこの方に置いてあるんですよ。
会場:笑い
青島:上原浩治が真ん中?
大畑:上原と建山が真ん中です。僕のは端っこの方に。
青島:長い間、真ん中にあったからじゃないですか? 気分転換で。
大畑:いやいや。世の中の厳しさというか、社会の現実を知ったなという気になりましたね。
青島:ただ大畑さん、上原浩治は1年目に20勝4敗ですよ。しかも新人王と沢村賞を両方取っているんですから。
上原:もう昔話ですよ。
建山:でも、言われてうれしいやろ?
上原:めっちゃうれしい。
会場:笑い
青島:上原さん、この辺からアゲアゲで。さっきまでは辛い話でしたけど。
上原:上げてください。
青島:あの時は何十年ぶりの20勝投手でしょ?
上原:そうですね。
青島:1年目の巨人での活躍。やっていて、楽しくてしょうがなかったんじゃないですか?
上原:自分の好きなことをしてお金がもらえているのが幸せだったですね。苦労しているので。僕より苦労している人はいっぱいいますけど、自分の中で苦労していた部分があったので。好きな野球をしてお金がもらえて、毎日野球ができて。こんなに幸せなことはないなと思いながらやっていました。ホントに楽しかったですよね。
青島:マウンドの上で躍動しまくっていたよね。跳ねまくっていたね。
上原:今でも跳ねているんですけどね。
会場:笑い
青島:その通りだね。
上原:まあ、若かったですからね。23歳ですもん。今はオッサンですから。
青島:36歳?
上原:36歳ですよ。
青島:建山さんも渋い活躍だったね。6勝?
建山:6勝5敗です。貯金をひとつ作りました。
会場:拍手
建山:ありがとうございます。すいませんね、気を遣ってもらって。
会場:笑い
青島:建山さんはプロ1年目はどうでした?
建山:1年目で大きな壁にブチ当たりましたよね。「俺、通用せんのじゃないか?」って思いましたね。
青島:そうなんですか?
建山:開幕は2軍でしたし。呼ばれた時も、助っ人外国人がカゼを引いたから、代役で。当時のロッテ浦和球場からバックを持って、ジャージ姿で電車に乗ったのを覚えていますよ。23歳で、ジャージで電車に乗るのは恥ずかしいですよ。
会場:笑い
青島:3人は最高のレベルで活躍していきます。もしかしたら思い出したくない話かもしれないけど、触れておきたいことがあります。2007年の大畑さんです。3回目のワールドカップの前ですね。まずは1回、右足のアキレス腱を切りました。ただ、ワールドカップが近づいていたんです。奇跡とも言っていいぐらいの、驚異的な回復を見せて。ワールドカップ直前の国内での壮行試合に何とか間に合って。そしてイタリアで、調整を兼ねたポルトガルとの試合で、今度は反対側のアキレス腱を切ってしまって。この人、アキレス腱を切るのが趣味なんです。
会場:笑い
大畑:両足ですからね。
青島:今だからこんな言い方ができちゃうんだけど、あそこはきつかったでしょ?
大畑:正直、1回目はそんなにきつくなかったです。笑いました。アキレス腱を切って、新聞の見出しに「大畑、ワールドカップ赤信号」って関西の紙面にドンと出て。「ネタとしてはおいしいわ」って。これでチームに戻ったら、普通にプレーしているよりも絶対インパクトがあるし。いいネタもらったと思ったんですよね。その代わり、めちゃくちゃリハビリしたし、人生でこれほど練習したことない、っていうくらいひとりでこもって練習しました。時間も8カ月あったら、戻れるなという思いで。ワールドカップに行くまで、どれだけの練習をして、どこでゲームをしてと決めていたんですよね。今までの経験値を含めて、これはやっておかなければならないなというのがあったので。逆算しながら、それだけクリアーできればワールドカップでしっかりしたパフォーマンスをできるなと思っていたんですよね。本当に足の調子は悪かったんですけど、そこは通らなきゃいけないところと思って。たぶん、切れるかな、と。感覚としては、ささくれ状態だったんですよ。いつ切れるかなって。本番まで持ってくれと。「2007年で引退しよう」という気持ちだったので、切れるのが先か、引退するのが先かという賭けにでたんですけど、ハズレの方を引いてしまいました。2回目に切った時は、ムチャムチャ泣きましたね。グラウンドに立てなかった、ワールドカップに行けなかった辛さというよりも、1回目にアキレス腱を切った時、周りの人間が「ワールドカップのピッチに立たせよう」とすごくサポートしてくれたんですよね。その人たちの思いに応えることができなかったのが、すごく申し訳なくて。「これはきついな」と。正直、「もう1回やりたい」という気持ちにはなれなかった。「きついな」と思っていた時に、ある人物からメールが来まして。「日本ではドエライ騒ぎになっているぞ。お前はただでは死なんな」というメールが、この眼鏡を掛けた人から来まして。
建山:良かった! 「俺の話であれ」と思いながら聞いていたんですよ。
会場:笑い
大畑:ホントに救われましたよ。すごく落ち込んでいるところに、「日本はすごいことになっている」と。「俺、ただでは死ななかったの? 良かったなあ」って思って。
青島:建山さん、大畑さんにメールを送った?
建山:はい。その後に寿司も食ったよな、ふたりで。リハビリ中に。
大畑:そうそう。
青島:その情報もいいですね。寿司も食べた、と。建山さん、メールを送った時の気持ちは?
建山:大介は3人の中でも、一番強気のタイプの人間なので。それでも、ラグビー選手がアキレス腱を切ると言ったら、ピッチャーが肩やヒジを切るようなものでしょう?
青島:その通りでしょうね。
建山:さすがの大介も、これには心が折れているだろうなと思ってメールをしたのを覚えていますね。
青島:イタリアで受け取ったんですか?
大畑:イタリアです。切った次の日くらいですね。
青島:すごいなあ。昔の仲間からそのメールが来たら、うれしいね?
大畑:あれは本当に救われましたね。自分の中で気持ちを整理して、日本に帰ってくることができましたね。
青島:上原さんは?
上原:俺、メール送った?
大畑:来てない。
会場:笑い
上原:送ってないみたいです。すいません。
青島:切ったこと自体は知っていたでしょうけど。
上原:僕ら3人は、ケガだらけの3人ですから。大介がアキレス腱、僕と建山は肉離ればかり。
大畑:キャンプに行った時も、「そろそろいい年だから、体のことを労ろうな」という話はしましたからね。
青島:同じスポーツをやっている者ばかりじゃなく、そういう昔の仲間から連絡が来るのはうれしいね。
大畑:そうですね。普段から頻繁に連絡する仲でもないですし。そういった時に来たのはグッと来ましたね。女だったらたぶん、抱かれているなと思いながら。
会場:拍手
建山:よっしゃ!
青島:なかなか広げづらい話なんだけどな。こういう時間だから、少しはそういう話題もあった方がいいかもしれませんね。でも大畑さんは、大変なケガを乗り越えて。その後も肩を脱臼したり、いろいろあるんですけどね。
大畑:ちょっと、普通の人と違うんで。
青島:ラグビーの競技性もありますけど、世界に飛び出していくということでは大畑さんが先に行くわけです。上原さん、建山さんもその後に世界に飛び出していくことになります。上原さんは2009年にジャイアンツを出て。そもそもで伺いたいけど、天下のジャイアンツを出て、メジャーに行く。あの時はいくつだったの?
上原:33歳ですね。
青島:この決断、メジャーの魅力は何だったんですか?
上原:一番は後悔したくないということです。後から「ああしておけば良かった」と思っても、何も返ってこないので。だったら挑戦した方が、自分の中ではすっきりできる。周りがどうこう言おうが、自分の人生ですから。周りの意見を聞くのは大事ですけど、周りが「ああだ、こうだ」言っていることには気にすることないと思っていたので。
青島:大学時代にエンゼルスを見に行っていたという話もありましたけど、いつかはメジャーにという気持ちはずっと持っていたんですか?
上原:いや、僕らの時はポスティングとかありませんでしたから。
青島:ルール的にはね。
上原:はい。そんなにメジャーに行っているような選手もいなかったので、そこは全然考えていなかったですけどね。今は日米野球ってなくなりましたけど、僕らの時は2年に1回あったので。参加させていただいた時に、ボンズとかと対戦して。
青島:3三振でしたっけ?
上原:はい。そういうのをやると、行ってみたい気持ちがどんどん芽生えてきて。
青島:メジャーに渡る時に、大畑大介がちらついたことはありましたか?
上原:いや。
会場:笑い
青島:素直な答えをありがとうございます。そこは大畑さん絡みではないんですね?
上原:野球とラグビーでは違うと思っていたので。野球で僕の前に何人か行っていましたから、そういう人たちの方が気になりましたしね。
青島:そして、建山さんはその2年後になりますね。去年行くわけですが、建山さんの決断はどういうものだったんですか?
建山:昔から、高いレベルでやりたいという気持ちがすごく強いんですよね。それに尽きるんですけどね。
青島:高校時代に同じ釜の飯を食った同級生がジャイアンツで投げて、ボルティモアに渡って。意識するとかしないじゃなくて、紛れもない現実として建山さんの前にもあるわけだけど、考えることはありました?
建山:日本で第一線でやっていて、自分も負けずに追いつきたいと思っていて、彼は渡米しましたから。「俺もいつか同じ土俵に上がってやろう」と、ふと思ったことはありますよね。
青島:上原さんが先に渡って、建山さんがファイターズにいる頃は、連絡は取り合っていました? あるいはオフに、「メジャーはこうだぞ」と情報交換しました?
上原:建山から去年、「俺も行きたいんだけど」というメールが来た覚えがあります。
建山:最終的に彼に相談したり、打ち明けることがあったんですけど。何年か抱いていた思いは本当に水面下で、誰にも明かさずにいたんですよね。まさに伊藤さんへの思い、みたいな。
会場:笑い
大畑:まだ覚えているんか。もう忘れろや。
建山:メジャーに行きたいけど、実力が伴っていない。もっと自分が成熟してからという思いもあったので、誰にも言わず、何年か暖めていました。
大畑:執念深いヤツなんですよ。
建山:あきらめ悪いねん。だからお前に奪われる。
会場:笑い
青島:そして大畑さんは、3回目のワールドカップは直前で幻になったわけですが。いろんな意味で長い間日本代表を引っ張ってきて。テストマッチのトライの数で世界記録を更新したり、走り続けてきました。30歳を超えてというところで、上原さんがメジャーリーグにチャレンジ。大畑さんにとって刺激はありましたか?
大畑:現役の間はどんな状況であれ、「こいつらに負けたくない」という気持ちはありましたし。僕は違うところでやっていますけど、自分の情報発信源としてはラグビーがありましたしね。僕がトップでいることが、彼らと存在として勝負できるのかなと。ラグビーの中だけで生きていてもおもしろくないと思っていたので。とにかく彼らと勝負するには、ラグビーはメジャーなスポーツではないので、ちょっと飛び抜けなきゃいけないのかなと思っていました。だから現役の間からいろんなメディアに出してもらったり、リスクのあることをやらせてもらいながら、自分の存在を出して初めて彼らに認めてもらえるんじゃないかなと。彼らのことを見ているから、余計にね。僕は彼らのことを「自慢の友だち」と言えるけど、彼らにとっても自慢の友だちになりたいと思っていたんですね。だから、「頑張れへんかったらあかんな」というのがありましたね。
青島:高校に入ってきたところから伺ってきているけど、本当にすごいですよね。紆余曲折、それぞれ逆境の場面もあったんだけど、折々で気になる存在であるような話がポロっと出ますね。ある種、運命と言うか、仲間のおもしろさなんでしょうね。
大畑:僕は一足先に引退しましたので。今年、彼らがメジャーで同じチームになって。初めてじゃないですか、心の底から「頑張れ」と思えたのは。今までは「頑張れ」という気持ちも当然ありながら、「俺も負けてられへん」という気持ちもあったので、なかなか素直に「頑張れ」という言葉はかけられなかったんですね。でも今年初めて、両方に「頑張ってね。俺たちの代表なんだから、自慢のクラスメイトなんだから頑張って」と心の底から言えましたね。
青島:大畑さんは引退の時も、大畑さんらしかったね。ひとつゲームを残して。
大畑:そうですね。ただ、神戸でというのがあったので。その前の試合で肩が外れていたこともあったので、現実的に試合は厳しい状況だったんですけど。でも、この試合で終われば、チームに迷惑をかけないなという試合だったので。彼らも見に来てくれるという話もしていたので。
青島:最後の試合?
大畑:そうです。自分の最後の姿を見せたい思いがあったので。たまたまケガという形で終わってしまったのは残念なんですけど、それでも自分の中で納得の引退だったというのはありますね。
青島:ちょうど1年前ですね。1月9日です。ふたりとも神戸に行っていたんですか?
上原:行っていました。
建山:はい。
青島:上原さんは、大畑さんの最後のプレーを見てどうでしたか?
上原:大介らしいと言えば大介らしいですね、終わり方が。でも、チームがトライさせようというのをすごく感じていました。僕らも上から見て、「大介に回せよ」と言っていた記憶がありますね。
青島:建山さんは?
建山:一番最後の最後で、あのケガが一番大きくて。
大畑:最大やな。
建山:アキレス腱切ったり、脱臼したり、いろんなケガをして、なんで最後の最後に一番大きいケガすんねんって思いましたね。
大畑:前日に、いろんなケガをしたなという話をトレーナーとしていて。ヒザだけは無事やったんですよ。「ヒザが無事やったから、ここまで現役をやって来られた」という話をしていたんですよ。前日にそう言っていたら、ヒザをやって終わるという。怖いなっていうぐらいです。
青島:最後の最後で良かったんですよね。
大畑:本望でしたよ。だってあの試合、「すぽると」(フジテレビ系)でも一発目のニュースやったから。
会場:笑い
青島:この人は、ただでは転ばないよね。ケガしても、ニュースに出る。
上原:どこまで目立ちたい?
大畑:俺、「人生はネタ」だと思っているんで。
青島:名言が出ましたね。「人生はネタ」。
大畑:そうです。僕の人生はバネだと思っていますので。沈めば、跳ねると思っていますから。でも跳ねすぎたので、沈む時が怖いと思いながら。
会場:笑い
青島:大畑さんが一足先に引退したんですが、また奇跡の運命が待っているんですよ。お二人が何と去年、テキサス・レンジャーズで1年1組以来の再開ですよ。どういうことですか?
上原:どういうことって言われても……。僕が頑張ったからですよ。
青島:そうだね。最後のポストシーズンを睨んでの補強ですもんね。
上原:そうです。補強されたんだけど、貢献できなかったという。
会場:笑い
青島:ごめん、また話が戻ってきちゃったね。
上原:結局、最後はトレード要員だったっていう。
会場:笑い
青島:でも、不思議な感じもしたでしょ? また再会ですよ、テキサスで。
建山:会ったのはトロントやね。最初に会ったのは。
青島:この出会いは、建山さんはどう思いました?
建山:最初は信じられなかったですね。レンジャーズがトレード期限ぎりぎりで、優勝するために日本人ピッチャーをたぶん獲ると言われていたんですけど、黒田(博樹)さんだと思っていたんですよね。蓋を開けてみると浩治だった。トロント・ブルージェーズの球場のロッカーで会うまでは、ホントに信じられなかったですよ。彼の背中を見てメジャーリーグに来たのに、まさかチームメイトになるとは。
青島:すごい運命ですね。他の日本人選手もたくさんいるわけで。どこのチームにもひとりくらいいて当たり前ぐらいの状況になっていますけど、高校時代の仲間がメジャーリーグの同じチームで再会っていうのはすごいね。
建山:僕の人生においては自慢話ですね。高校の同級生とメジャーリーグで一緒のチームになる。自慢できるというか。
上原:自慢できるというか、奇跡に近いじゃないですか。
青島:奇跡ですよね。
上原:もうちょっとメジャーでも取り上げてくれても良かったのにな。
会場:笑い
青島:ホントですよね。
上原:あまり取り上げられてないんですよね。
青島:メジャーのライターはみんな、同じ1年1組だったって知らないんじゃないですか?
建山:チームメイトに「僕と浩治は高校の時にクラスメイトだったんだよ」って言うと、信じられない顔をしますね。「そんなヤツがアメリカで同じチームでやっているのか!」って言われますね。
青島:メジャーで再会して、大畑さんの引退をみんなで見に行って。1年1組の仲間が昔のように集まる機会、話をする時間が増えました。それぞれ今、置かれている立場は違います。大畑さんは去年引退されて、神戸のアンバサダーという立場ですよね。どういうことをやっているんですか?
大畑:広報大使という形です。引退した時にチームの名前があるというのは、コーチなど、基本的に内向きな感じが多いと思います。僕の場合は外向きというか、神戸製鋼を通して世の中の人たちにラグビーを、ラグビーを通して世の中の人たちに社会貢献をできないかという思いがあったので、会社がそれを汲み取ってくれまして。
青島:15人のラグビーもありますし、7人でやるラグビーもあります。最近は子どもたちにタグラグビーの普及をやっていますよね。
大畑:ラグビーは接触プレーが当然のごとくあるスポーツなので、どうしても恐怖心があったり。親御さんにしても「ラグビーは危険なスポーツで」と、なかなか入りにくいところがるんです。タグラグビーは腰に紐上のタグをつけて、鬼ごっこの延長のような感覚です。楕円のボールを使って鬼ごっこをするという感覚。運動の得意、不得意に関係なく、楕円のボールを使いながらの鬼ごっこと覚えてもらえればいいと思います。
青島:女子のスポーツで言うと、去年はなでしこジャパンの皆さんが本当に素晴らしい活躍でした。ラグビーの女子の皆さんも、けっこう強くてね。ほとんどの方がタグラグビー出身ですよね。
大畑:今、その中心で活躍している女の子たちはタグから育ってきた子が多いですね。
青島:用意してもらったんですけど、タグラグビーのCDがあるんですよ。いま会場に流れているこの曲ですが、めちゃめちゃシンプルですね。
大畑:そうですね。教育テレビで流れそうな感じですよね。
青島:CDまで出ているんだから、ラグビー協会は気合い入っていますね。
大畑:そうですよね。各小学校でもいろいろやってくれていますので。
青島:2019年、ラグビーワールドカップが日本で開催されることが決まっています。ここに向けて、今の小さな子どもたちがまだまだ間に合うわけだから。
大畑:中学生でも、高校生でも。僕が初めに代表になったのは20歳の時なので、そういう意味では今、中学生でも入れますので。そこが中心となって頑張ってほしいですね。
青島:そういう普及活動にも奔走している大畑さんです。野球のふたりはまだまだ現役。今シーズン、上原さんはどんな展望ですか? 
上原:優勝争いしているチームなので、とりあえずはプレーオフまできちんと目標を作ろうと。去年は途中まで、ちょっと弱いチームにいたので。プレーオフはまったく考えられないチームだったので、シーズンのことしか頭になかったのかな。だからプレーオフはああいう結果になったのかなと思うので、今年はそこまで目標を作ってやろうと思っています。
青島:「触れないでください」と言いながら、自分で触れているじゃないですか!
上原:触れたくないですけど、結局、今年の目標と言われたら、そうなるので。
青島:なるほど。でも、その悔しさは晴らすしかないですもんね。
上原:悔しさは倍返しです。
会場:拍手
青島:建山さんは、今シーズンはどうですか?
建山:約束されたポジションはないですし、自分でつかみ取らないといけないので。キャンプから先を見ずに、「この試合のこのマウンドが最後になるんじゃないかな」という思いを持ちながら、1試合1試合勝ち取れるように、メジャーに残れるように投げたいと思いますね。
青島:皆さんから質問を受ける前に、最後に私からお尋ねさせてもらいます。東海大仰星の1年1組で3人が出会って、それぞれの歩みを続けて、それぞれのスポーツで突っ走ってきて、今日このステージに集まっていただきました。この3人というのは、皆さんにとってどういう意味があったんでしょうか?
大畑:僕にとっては自慢の友だちですね。自慢の友だちであり、彼らにとっての自慢の友だちであろうという思いをずっと持ってきたので。ホントにライバルですよね。
青島:友だちだけどライバル。
大畑:はい。今は引退して、裏方になった人間として、彼らの活躍にあやからなきゃいけないということもありまして。彼らに活躍してもらって、僕はいろんな行動をもらえるように。
会場:拍手
青島:そういう意味でも持つべき者は友だちだよね。
大畑:ホントにそうですよね。ちょっと遅れたけど、年賀状を出さなきゃあかんなと思いながら。
会場:笑い
上原:俺も遅れたけど、メールしとくわ。
青島:大畑大介は「友だちだけど、いいライバル」と言いました。建山さんはどうですか?
建山:ひと言で言うと、気になるヤツらですね。ライバルであれ、友だちであれ、いろんな言い方をできるんですけど、常に気になるヤツという感じですね。
青島:いい意味で、気になるヤツのレベルも高いですしね。上原さんはどうですか?
上原:活力源ですね。ふたりが頑張っているから、俺もやらなあかん。そういう気持ちになりますから。もちろんライバルですし、もちろん気になります。
青島:活力源って「頑張らなきゃ」っていうところもそうだけど、苦しい時も背中を押してくれるような。
建山:これからきちんと連絡を、メールと年賀状を、ふたりにきちんと。どっちがだけじゃなくてね。それは約束したいと思います。
会場:笑い
青島:その約束が成立したのを、このトークの締めとさせていただこうと思います。壇上でのトークはここまでとさせていただきます。ありがとうございました。
3人:ありがとうございました。
会場:拍手
青島:それではパトリックにも来てもらって。
司会:すいません、ジャケット見つかりませんでした。いや、鍵がかかっていて、部屋の中に入れなかったです。
会場:笑い
青島:では、お客さんからの質問を伺いましょう。
質問1:上原さんと建山さんに聞きたいです。ダルビッシュ(有)が同じチームに来たら、何を教えて上げたいか。オーナーのノーラン・ライアンさんにいろんな話を聞いたと思いますが、何かいい話を教えてください。
上原:ダルビッシュは決まったんですか?
青島:まだ決まってはないので、決まったという前提で。
上原:何を教えるというより、聞かれたら教えますね。自分から教えようとは思いませんね。それが勝負の世界ですから。彼が活躍すれば、もしかしたら僕らが落ちるかもしれないので。味方であり、敵でもあるので、聞かれたら答えます。ただ、自分から教えようとは思わないです。
青島:建山さんは?
建山:チームプレーですから、きれいごとを言う訳ではないんですけど、チームの中の一員と思っていれば、おのずとやることもありますし。それくらいですね。
青島:もしそういうことになれば、いい意味でライバルであり、力を合わせるところは合わせて。ノーラン・ライアンさんから話はあったんですか?
上原:ある?
建山:ちょっとある。
上原:俺、1回もない。
会場:笑い
青島:メールした?
上原:してないです。アドレス知らないです。
青島:会ってはないですか?
上原:毎試合球場には来ていますけど、ロッカールームには来ないもんな?
建山:来ないな。
上原:僕は転校生なので。
青島:そうか。夏に来たばかりですもんね。
上原:今年のキャンプになっても、状況が全然わからないですから。話したことはないです。
青島:建山さんは?
建山:開幕をマイナーで迎えたんですけど、その時ですね。家族で渡米しているんですけど、娘が滑り台から落ちてケガしたんですよね。マイナーの球場で。僕がメジャーに昇格した時に、「初めまして」と挨拶しました。その時に、「娘が滑り台から落ちてケガしたらしいけど、大丈夫か?」と最初に言ってもらって。ああいう立場の人でも、人間性が優れているというか。最初にそういうことを言ってもらって、そんなことも気に留めているんだなと。
上原:俺もしゃべりたかったな。
会場:笑い
青島:上原さんは浪人時代、ライアンさんの『ピッチャーズバイブル』を読みながら浪人生活を送っていたのに。
上原:そうですよ。家にノーラン・ライアンのユニフォームを飾っているくらいです。
会場:笑い
上原:でも、ひと言もしゃべったことがない。
青島:自分からいくしかないんじゃないですか。
上原:今年の目標にひとつ加えます。ライアンさんとしゃべることです。
会場:笑い
青島:しゃべろう!
司会:続いて質問がある方?
質問2:建山さんと上原さんに聞きたいです。上原さんは1999年に「40歳くらいまでやりたい」と言っていました。それくらいまで現役をやった後、人を育てるという選択肢は考えていますか?
上原:アマチュアの指導者になってみたいという気持ちはあります。プロじゃなくて。プロって正直、もう教えることがないんですよ。だって、それでプロに来ているわけですから。自分が教えたアマチュアの人がプロになって、活躍したらカッコいいなっていう思いはあります。
建山:明確に、指導者になりたいという思いはありますね。35歳を超えても現役をさせてもらっていますし。日本ハムにいた時にいろいろつまずいたこともあるので。まず、心が折れそうになるんですよね。ケガしたり、自分の思うような成績を残せなかったら。それで消えていく選手もいるわけで。そういう選手を何とか助けたい。
上原:助けてくれ。俺、心が折れているから。
青島:そこか! すぐ隣にいたね。
建山:いましたね。プレーオフでは、「こんな上原を見たことがない」ってぐらい落ち込んでいたのでね。ここにいる方だけに言いますけど、彼は悔しくて泣いていました。
青島:何本目の時ですか?
建山:3本目の時。
上原:3本目を打たれて、正直終わったなと思いましたから。
建山:そんな上原を見て、僕もいろいろ勉強させてもらいましたし。いろんな経験を若い選手に教えてあげられればという思いはあります。
青島:それと、伊藤さんを取られた時にどうするか。
建山:ダッシュするしかないんですよ。
会場:笑い
青島:大畑さんは指導者はどうですか?
大畑:今は考えてないというか。現役でそれなりにキャリアを積んできたなかで、このラグビー界はすごく居心地が良くて。現役の間は非常識のことを常識に変えたりすることができたのが良さだと思うんですよね。36歳の男がその世界にずっといることで、勘違いすることも多いと思うんですよね。1回社会に出て、本当に自分のあるべきところ、足元を見たい。人間として成長しないことには人を教えられないと思います。現役を上がってすぐに人を教えたとしても、ろくな指導者にはならなかっただろうと思いますし、もっと勉強することも多いと思います。自分の成功体験だけを押し付けても意味がないと思っていますので。そういった意味で、いろいろ見たいなと。それで、お互いのニーズが合えば。自分がやりたいとか、需要と供給のバランスがあえば、いつかやりたいですね。上原が言っていたように、僕も陽の当たらないところに陽を当ててみたい思いがあります。正直、仰星や京産大という、ラグビー界では王道ではないところで育った人間として、将来的におもしろそうなヤツを育ててみたい思いがあります。勝負とは違ったところで人間を育ててみたい思いもありますよね。
青島:先日の決勝でも、東福岡の藤田(慶和)君がすごかったですね。
大畑:彼はすごいですね。あそこまでは久しぶり。
青島:高校の後輩の近藤(英人)選手も。
大畑:彼らのようないい選手がいると、周りの人間もライバル関係で伸びてきますしね。
青島:ラグビー日本代表はエディ・ジョーンズさんがヘッドコーチになりましたね。
大畑:岩渕(健輔)がGMで。僕と同級生ですからね。
青島:代表をサポートするような動きも?
大畑:側面支援が僕の仕事だと思っていますので、最大限側面支援できるように、しっかりと軸足をラグビーに置きながらいろいろ活動していきたいと思います。
司会:他に質問がある方?
質問3:神戸製鋼のチーム状態がいまひとつですが、大畑さんは後輩を何とかしようという思いはありますか? それと、いつも素敵な格好をしていますが、今日の時計は真っ赤なものですか?
大畑:今日は違います。赤ではないです。
質問3:いつも時計がすごいんです。
青島:今日の時計もすごいですよ。それに、時計だけではないです。
大畑:僕の時計のことを知っているのはすごいですね。時計が好きなんで、いろいろ変えて遊んでいます。神戸についてはすごく心配です。でも、うるさい先輩が僕は嫌なんですよね。自分がされて嫌なことをしたくないので。引退して、大きな顔をしてしゃしゃり出るのが嫌で。ちらっとグラウンドに行って、ずっと一緒にラグビーをしていた人間には耳元で言うことはあります。でも、現在チームを仕切っている人間がいるし、周りでサポートしているスタッフの方もいます。僕自身が思うことを言ってもチームとしての方向性や、やろうとしていることに対して違うことを言うのは良くないことだと思っていますので。僕自身がチームの中のひとりとしていろいろ情報を入れたなかで、アドバイスを求められた時は答えようと思います。でも、まったく何も知らない外部の人が大きな顔をして行くのは嫌なので。僕がいつも神戸の選手に言うのは、「お前たちはいつも注目されているんだ。俺は引退して、すごく大きなチームでラグビーをしていたという思いもあったけど、引退して初めて、思っていた以上に大きなチームにいたことを気づいた。お前たちも大きな物を背負っているんだから、それだけのプライドを持って戦え」と常に伝えています。そうすることが彼らにとってのプライドにつながり、1プレーの重みにつながるという思いがあるので、そこだけは言い続けたいと思っています。これからも神戸を応援してくださいね。大丈夫です!
青島:今は5位くらいですか?
大畑:そうです。
青島:大介、こんなに熱い応援をもらってね。
大畑:うれしいですよね。
青島:ありがたいですね。
司会:本当にありがとうございました。これで質問コーナーを終わらせていただきます。
会場:拍手
司会:2時間に渡ってお送りしてきましたけど、お別れの時間が迫ってきました。
青島:あっという間でしたね。いろいろ伺ってきましたが、最後にそれぞれからメッセージをお願いします。
上原:3人で約束したので、まずふたりにはきちんとメールで連絡します。1週間に1回ぐらいね。僕らは関西出身なので、来年はぜひ関西でできたらうれしいですね。それと世界一に1回なってみたいので、本当に頑張ります。
会場:拍手
建山:今日は楽しい時間をありがとうございました。野球ファン、ラグビーファン、いろんな方がいると思うんですけど、野球ファンの方はぜひ1度ラグビーを見に行ってもらいたいですね。見に行って、「ラグビーっておもしろいんじゃないの」と思うこともありますからね。僕は実際に見て引き込まれたので。ラグビーファンの方も野球場に足を運んで、野球を楽しんでもらえたらと思います。個人的には今年1年間頑張って、メジャーにいられるように。浩治と同じ試合のマウンドに立てるように頑張ります。そして大介にアメリカまで取材に来てもらうという青写真を描いていますので、応援よろしくお願いします。
会場:拍手
大畑:平日の忙しい時間に、わざわざ足を運んでいただきありがとうございました。僕は先に引退した立場ではありますが、彼らと常に刺激し合えるような仲間でありたいと思います。自分はグラウンドとは離れたところにいますが、皆さんの目に留まるような動きをできればいいと思っています。来年、このような回が開かれるかどうかは彼らふたりの活躍に懸かっています。皆さん、もう1度僕たちに会いたいという思いが強くあると思いますので、その気持ちで彼らふたりの背中を押して上げられるように、応援よろしくお願いします。ありがとうございました。
会場:拍手
司会:素晴らしいトークをいただきました3人に、もう1度大きな拍手をお願いします。
会場:拍手
司会:素晴らしい3人で、話をずっと聞いていたかったですね。2時間をオーバーしましたが、青島さん、感想を聞かせてください。
青島:東海大仰星の1年1組から歩みを始めた、3人の素晴らしいアスリートです。年中連絡を取り合ったり、いつも支え合ったりすることではないけど、何かあった時、頑張った時、苦しい時、ほんのちょっとだけど連絡が来るだけで、昔からの知り合いだから何が言いたいかもわかるしね。刺激のなかで支え合って、ここまで歩いて来たんだなと。3人の話を伺っていると、素晴らしい関係性を感じましたね。今日はスペシャルなアスリート3人ですけど、特別なことじゃなくて、私自身も普段の生活の中で周りの人の支え、言葉で支えられるじゃないですか。
司会:助けられることが多いですね。
青島:今年は始まったばかりですが、それぞれの友人、家族、仕事場の方々といろんな関係性を作ることが生活を豊かにして、楽しくなる秘訣なんだなと3人のお話を伺いながら感じましたね。
司会:今日は本当に楽しいお話を引き出していただいた青島健太さん。本日のホスト役を務めていただきました。皆さん、大きな拍手をお願いします。
会場:拍手
青島:ありがとうございました。
司会:本当に熱い絆を感じた、お三方のトークでした。いい話をたくさん聞けましたね。プロ野球、メジャーリーグはこれからキャンプイン。ラグビーはシーズン終盤を迎えています。日本選手権、セブンズのワールドシリーズ東京開催など、楽しみがいっぱいです。野球ファンの皆さんも今日をきっかけに、ぜひラグビー場に足を運んでいただきたいと思います。スポーツはいろんな感動、エネルギーを我々に与えてくれるものです。皆さん、2012年もスポーツを見て、元気になりましょう。本日のダイジェスト番は2月10日、金曜日に日テレG+に放送されます。2月12日の日曜日にも再放送があります。ぜひ、もう1度ご覧になっていただきたいと思います。「ぴあトークバトルvol.74 新春スペシャル」。ラグビー、ベースボールにフィーチャーしました。皆さん、楽しんでいただけと思います。最後の最後まで、お付き合いありがとうございました。

取材・構成:宮崎俊哉(CREW)/撮影:新関雅士

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[GUEST]
上原浩治
(テキサスレンジャーズ)
[GUEST]
上原浩治
(テキサスレンジャーズ)

[GUEST]
大畑大介
(元ラグビー日本代表/神戸製鋼コベルコスティラーズ アンバサダー)
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大畑大介
(元ラグビー日本代表/神戸製鋼コベルコスティラーズ アンバサダー)

[GUEST]
建山義紀
(テキサスレンジャーズ)
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建山義紀
(テキサスレンジャーズ)

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青島健太
(スポーツライター/キャスター)
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青島健太
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