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11月15日に開催された「横浜F ・マリノストークスペシャル NEVER GIVE UP!~ユースからトップへ~」の模様を、@ぴあ/トークバトル特別編としてお届けします。

日総工産プレゼンツ

横浜F ・マリノストークスペシャル
NEVER GIVE UP !~ユースからトップへ~

前編

<ホスト>
宮沢ミシェル
'63年、千葉県生まれ。'86年にフジタ工業(現湘南ベルマーレ)入り。'92年にジェフ市原へ移籍し、Jリーグ開幕を迎える。'93年には日本国籍を取得し、アジア大会日本代表候補に。Jリーグ通算58試合2得点。'96年現役引退後は、スポーツコメンテイターとして軽快なトークを披露している。

<ゲスト>
田中隼磨
'82年、長野県生まれ。横浜フリューゲルスユースからF・マリノスユースを経て'01年3月のヴィッセル神戸戦でJリーグデビューを果たす。'02年に東京ヴェルディ1969にレンタル移籍し、右サイドとしての才能が開花、'04年にF・マリノスに復帰してレギュラーの座を奪った。

坂田大輔
'83年、神奈川県生まれ。横浜フリューゲルスユースからF・マリノスユースを経て'01年6月のFC東京戦でJリーグデビューを果たす。スーパーサブとして活躍し、昨年行なわれたワールドユースでは4得点を挙げて得点王に輝く。'04年はチームでも安貞桓に次ぐ10得点をマークした。

栗原勇蔵
'03年、神奈川県生まれ。横浜マリノス・ジュニアユース、F・マリノスユースを経てトップチームに昇格し、'03年4月のジェフ市原戦でJリーグデビューを果たす。昨年のワールドユースには、DFとしてチームメイトの坂田とともに出場し、頑強なフィジカルを武器にチームのベスト8進出に貢献した。

司会:本日は日総工産プレゼンツ「横浜F ・マリノストークスペシャル NEVER GIVE UP!~ユースからトップへ~」にご来場いただきまして、誠にありがとうございます。8月に行われましたトークスペシャルの大盛況を受けまして、2回目の開催となりました。今日も選手の方々をお迎えしまして、楽しいお話を伺ってまいります。では早速本日のホストをご紹介いたしましょう。サッカー解説やCMなどで活躍中です。スポーツコメンテーターの宮澤ミシェルさんです、どうぞ。
宮澤:皆さん、こんばんは。サッカー解説の宮澤ミシェルです。
司会:よろしくお願いいたします。
宮澤:うらやましいな、強いチームは。このイベントも今回で2回目。
司会:2回目になります、おかげさまで。
宮澤:タイトルも「NEVER GIVE UP!」。このテーマは僕にとっては、ちょっと重たいな。俺いつも「人生ギブアップ」だから。昔フランス人をやってたけれども、言葉もろくにしゃべれないし、そして料理もあんまり好きじゃないから。やっぱり焼き魚に納豆だからね、俺の場合は。フランス人をギブアップして日本人になった。
司会:なるほど、そうだったんですか。
宮澤:俺の話はどうでもいいけども。
司会:いやいや、そんな。
宮澤:横浜F ・マリノス、昨年の年間覇者。そして今年のファーストステージ優勝。まさに常勝軍団じゃないですか。すごいなあ。
司会:ありがとうございます。皆さまのおかげです。ありがとうございます。
宮澤:すごいよなあ、うらやましい。すばらしいなあ。今日はそのなかでも若頭、若大将が来てくれてるんでしょ。
司会:そうです。皆さまお待ちかねです。坂田大輔選手、田中隼磨選手、栗原勇蔵選手です。こちらのすてきな出演者の皆さんで、1時間半、お送りしてまいります。
宮澤:改めまして、こんばんは。
田中:こんばんは。
宮澤:今、率直な気持ちと言いますか、かっこいいね。ファッションチェックもさっき裏でやっていたんだけれども、自分のポリシーとかってありますか、田中選手。
田中:好きなものを着ます。
宮澤:好きなまんま、気の向くまんま。坂田選手は。
坂田:特にないです。
宮澤:特にない。栗原選手は、ないですよね。
会場:笑い
栗原:……。
宮澤:ありますか。すみませんね、こんなキャラなもんですから、申し訳ないんですけども。今、調子はどうですか。
坂田:ほどほどにいいです。
宮澤:「ほどほどにいい」。いや、僕は絶好調だと思いますけどね、皆さん。
会場:拍手
宮澤:天皇杯の山形戦(イベント前日。'04 年11月13日、山形県総合運動公園陸上競技場、モンテディオ山形1-2 横浜F ・マリノス)でもゴールして、その前の12節かな、ジェフ戦( '04年11月6日、横浜国立競技場、横浜F・マリノス2-1ジェフ市原)で、ジェフの優勝の望みを消したのはこの人ですからね。でも、本当にいい調子できてますよね。
坂田:はい、おかげさまで。
宮澤:田中隼磨選手、正直言って、東京ヴェルディ1969よりマリノスの方がいいだろ。
田中:……。
宮澤:でも、絶好調ですね。
田中:はい、調子はいいです。
宮澤:そして栗原選手。俺はディフェンス出身だから、見てるよ、9節の浦和レッズ戦( '04年10月17日、埼玉スタジアム2002、横浜F・マリノス0‐0浦和レッズ)。選手がケガして、なかなかメンバーが揃わないって岡田武史監督がぼやいてたときに、引き分けだったけれども、きっちり乗り切ったよね。中澤(佑二)選手と河合(竜二)選手と栗原選手。完封したでしょ。あれでもう「俺を先発で出せ」って言いたいんじゃないの。
栗原:微妙っすね。
宮澤:いやいや、「俺は先発」だろ。他のベテランとかいらねーだろ、もう。
栗原:……。
宮澤:ま、言えないでしょうね。わかりました。ごめんなさい。
司会:皆さんにいくつか質問を用意して参りました。お手元の「yes」、「no」の札で回答していただけますでしょうか、よろしくお願いいたします。
宮澤:あらかじめ用意されてるわけね。厳しい質問でしょ、これ。
司会:もちろんです。ちょっと答えにくいものもあるかもしれませんけれども、「yes」、「no」でお願いします。第1問「小さい頃から、サッカー選手になりたかった」。
宮澤:田中選手が悩んでる。小さい頃だよ。小学生の前半とか小学生の後半? あ、「yes」と「no」の両方。なるほど。
司会:では第2問「ユース時代の練習は楽しかった」。
宮澤:坂田選手だけ「no」。
司会:それでは第3問「高校サッカーにあこがれた事がある」。
宮澤:おもしろいね。
司会:田中選手だけ「no」。では第4問「サッカーを辞めたいと思ったことがある」。これも田中選手だけ「no」。第5問「忘れられない試合・場面がある」。
宮澤:全員「yes」。やっぱりあるんだな、そりゃそうだよな。
司会:では最後の質問、「現在、プロサッカー選手として、心がけている事がある」。
宮澤:人の回答を見て栗原選手が「no」に変えましたけれども。別に、心がけている事がない選手もいるわけですね。

坂田田中栗原
yesyes/noyes
noyesyes
yesnoyes
yesnoyes
yesyesyes
yesyesno

司会:それでは宮澤さんから、詳しくお話を聞いていただきたいと思います。
宮澤:小さい頃にサッカー選手に対しては、やっぱりあこがれはあったでしょ。J リーグは始まってたよね。何歳ぐらい、10年前っていうのは。
坂田:小学校……
田中:5年。
宮澤:小学校5年生。栗原選手は。
栗原:4年生です。
宮澤:微妙に違うんですね、歳がね。やっぱりJリーグを観て育ったんですか、坂田選手。育ったというか、感じるものがあった。
坂田:はい、すごい人気でしたから。
宮澤:「やるぞ」って。
坂田:はい。
宮澤:田中選手は。
田中:僕がさっき「yes」「no」両方を挙げたのは、子どもの頃は野球をやっていて、その当時はやっぱり野球選手にあこがれてたので。
宮澤:野球選手。小さい頃、お父さんとキャッチボールってところから始めたの。
田中:そうです。親父が元々野球をやっていて、僕を野球選手にしたかったみたいで。親父の言うがままに野球をやっていたら、ちょっと肩を壊して。
宮澤:それは何年生ぐらいまでやっていたの。
田中:小学校1~2年生はサッカーをやってたんですよ。それも親父が「野球をやるにはまず足腰を鍛えないといけない」って言って。まずサッカーをやらせて、それで野球をやるという。計画どおり3年生から野球をやり始めて、5年生ぐらいまでやったんですけども。
宮澤:親父に鍛えられたりしたの。
田中:鍛えられました。
宮澤:『巨人の星』?
田中:はい。
宮澤:ちょっと古すぎるか、『巨人の星』は。で、トレーニングしたわけ。
田中:させられましたね、よく。
宮澤:朝から。
田中:はい。野球漬けの毎日でした。
宮澤:信じられないなあ。
田中:ピッチャーをやっていたんですけど、ずっとピッチャーをやっていたら肩を壊してしまって、野球ができなくなって。もう野球ができないから、じゃあサッカーやろう、みたいな。
宮澤:そんな思いでサッカー界に来たの。
田中:正直、そうです。
宮澤:坂田選手どうですか、こういう話を聞いて。
坂田:感動しますね。
宮澤:感動したんだ。栗原選手はどうですか、こういう話。
栗原:えっ、どういうことっすか。
宮澤:いや、小さいときからサッカーを目指してないで、最初は野球だったんだって。
栗原:いや、いいんじゃないですか。
宮澤:栗原選手はサッカー選手になりたいっていうのは何歳ぐらいから。
栗原:いやだから、Jリーグができて。
宮澤:俺に怒んないでくれよ。そりゃ、立ち上がり、俺が攻めたのはわかるけど。
栗原:(笑)。Jリーグができて、プロができたんで、じゃあちょっとなってみたいなって。
宮澤:それでなれちゃった。
栗原:いや、それはたまたまかもしれないですけど。
宮澤:大変なこと、あったでしょ。
栗原:まあ、ありました。
宮澤:小学校何年生からサッカーを始めたの。
栗原:小1です。
宮澤:坂田選手は。
坂田:俺は年中か年長。
宮澤:あ、幼稚園か。早く始めたんだなあ。質問の答えで「no」は田中選手だけだったね。まあ「なりたかった」でいいんでしょ。でも途中からだもんね、田中選手の場合は。そういうことです、皆さん。途中からでもなれるんですね。
田中:なれます。
宮澤:でも、みんなに遅れをとったとか、そういう思いはあったの。
田中:いや、ないです。
宮澤:じゃあボールコントロールがみんなより遅れてるとか、そういうのも全然ないんだ。
田中:それはありました。
宮澤:あったでしょ。はっきり言ってくれよ(笑)。やっぱり遅れをとって。
田中:遅れとってました(笑)。
宮澤:それを回復するために。
田中:練習しました、いっぱい。
宮澤:みんなより。
田中:みんなより。
宮澤:最初はフリューゲルスユース? それともジュニア?
田中:そうです。俺と坂ティ(坂田)はフリューゲルスユースです。栗原はマリノスジュニアユース。
宮澤:どう、初めて見たとき。すごい奴っていうか。
栗原:誰がですか。ふたりともですか。
宮澤:ふたりとも。
栗原:すげーうまくて、これはヤバいと思って。ヤバいっていうか、まあ。
田中:嘘、嘘、嘘。
宮澤:やっぱり感じるもの?
栗原:全然、レベルが違って。
田中:嘘、嘘。
宮澤:栗原選手ってそういう風に言うの、いつも。
栗原:本当っすよ、これ。何か嘘つきみたいになってる。
宮澤:でもやっぱりレベルは高いなということを感じてたんだ。
栗原:歳が一つ上ということもあったんで。
宮澤:ああ、そうですよね。
栗原:だからすごいうまくて、びっくりしました。
宮澤:やっぱりそういうライバル意識というのはその頃から強いのかな。どうですか。
田中:ライバル意識ですか。
宮澤:ライバル意識というのはあるでしょ、小さい頃から。どこで生まれるのかなと。
田中:ありますよ。
宮澤:坂田選手はあんまりライバルとかって感じないでしょ。
坂田:そうっすね、わりかし。
宮澤:自分のことは自分でやるしか。
坂田:自分がよければいい。
宮澤:そして次の質問なんですけど、「ユース時代の練習は楽しかった」。坂田選手は「no」。あとは「yes」でしたね、おふた方とも。坂田選手、練習は楽しくない。
田中:楽しくなきゃダメですよね。
宮澤:おお。
坂田:高校の頃はもう練習、めちゃキツくて。フリューゲルスユースで一緒だったんですけど、こいつは走れるからいいんですけど。
宮澤:サッカー選手は走るよね。
田中:もちろん。
坂田:長距離。俺とかやっぱ短距離の方なんで、すーごいキツかったんですよ、本当に。
田中:合併して監督が代わったんですよ。
宮澤:そんなに走らなくなった。
田中:ちょっと柔らかくなったんです、走りが。
坂田:かなり柔らかくなった。
宮澤:栗原選手は、練習は好きですか。
栗原:練習はまあ、嫌いではないですけど、好きでもない。
宮澤:例えばさ、今、具体的に出たけど、長い距離が好きじゃないとか。
栗原:そうですねえ。
宮澤:選手ってあるんですよ、長い距離になると全く走れなくなる選手。もう、列の最後尾はいつも決まってるっていうのがあるね。で、長い距離も大丈夫。
栗原:あまり好きじゃない。好きじゃないというか嫌いっすね。
田中:好きな人っているんですか、長い距離。
坂田:いるじゃない。
宮澤:いっつも試合のとき、前後前後で頑張ってるじゃん。でも練習、結局は自分でやったでしょ、坂田選手。嫌いだと言いながらも。
坂田:そうですね。やりましたね。毎日サッカー、ずっとやってましたからね。
宮澤:でも、自分だけはココはっていうポイントを押さえてきてるよね、たぶん。
坂田:そういうことにしときましょう。
宮澤:こういう練習をやってきたというのはないの。
坂田:シュート練習はもう、ずっとやってました。
宮澤:常に打ち込んできた。
坂田:たぶん。
宮澤:自分の仕事はやっぱり得点だって、その頃から感じてるものがあったのかな。点数取らなきゃ、みたいな。
坂田:フォワードだったので、それはありました。
(下條佳明さん登場)
宮澤:お、下條さん。どうも下條さん。
下條:
こんばんは。近くを歩いてたら、トークイベントがあるっていうから。
宮澤:下條さんはこの3選手を非常に小さい頃からよくご存知の。ユース時代もそうですけどもね、マリノスの下條佳明さん。前監督でもありましたけれども、今は横浜F ・マリノスのチーフ・プロモーション・オフィサーでよろしいですか。
下條:
すみません、言いにくくて。
宮澤:俺、外国人だからかっこよく言わなきゃ。チーフ・プロモーション・オフィサー!どういった仕事をなさってるんですか。
下條:
略してCPOと言われていますけど、マリノスのとき「ちびの・ぽっちゃりした・おじさん」と水沼貴史(サッカー解説者、元横浜マリノス)が訳してましたけれども。育成組織の責任者ということでご理解ください。
宮澤:育成組織。
下條:
はい。
宮澤:じゃあ、こういう若者をよくご存知で、やっぱり。
下條:
そうだね。高校生のときまでですね。ただここにいる3人は、トップチームに上がってからの付き合いが長いんですよ。ちょうどいろいろ苦しんでいるときに相談を受けたりしているのが、ここにいる3人の印象です。
宮澤:じゃあ例えば今、伸び悩んでいるだとか、何かにイライラきてる坂田選手がそこにいるなとか、そういったものは感じられてましたか。
下條:
その時代ですか。いや、伸び悩んでいるっていうのはないですけど、みんなそれなりにね。素質があってトップに上がってきてるし、特徴のある選手だと思いますよ、ここにいる3人は。
宮澤:栗原選手ってどういう特徴がありましたか、その当時は。
下條:
いや、その頃もたぶん、サッカーは格闘技の世界だと思う。ついこの間も相手をボディースラムじゃないけど、やってましたけど。まあでも、それも勇蔵の特徴ですから、いいと思いますよ。
宮澤:どうですか、栗原選手。目の前で恩師にこう言われてですね。自分の特徴、当たってますか。
栗原:いや、外れてます。
宮澤:本当はどうなの、自分的には。
栗原:自分的には。
宮澤:どういう選手を目指すというか。
栗原:うーん、まあ、冷静な選手を目指します。
宮澤:えっ。下條さん、全く別のことを言ってますけれども。
下條:いや、自分の欠点をよく知ってるってことじゃないかと思いますけど。勇蔵はフォワードやってたんだよね。うちにいる榎本哲(哲也)ちゃんと同級生で、ふたりで横浜市選抜のキーパーとセンターフォワードをやってたと思うんだけれども、少年団では原FCだっけ。そのときは対戦相手だから、だからたぶん哲は勇蔵にいっぱい点を入れられてるんじゃないかな、小学校のとき。
栗原:あとで言おうと思ったんですけど、「忘れられない試合・場面がある」って質問があったじゃないですか。
宮澤:ありましたね。
栗原:小学校のときに……、あ、あとでいいです。
宮澤:言ってください、言ってください。
栗原:いい、いい、いい。
宮澤:みんな、忘れられない試合、あるんだから。
栗原:あとででいいです。あとに取っておきます。
宮澤:そこは今、言いましょうよ。
栗原:横浜市の決勝があったんですよ。小学校のときですよ。
宮澤:小学校の横浜市の決勝。
栗原:僕はまだ地元のチームで、テツはマリノスのジュニアに入ってたんですよ。
宮澤:うん……、テツって?
栗原:榎本哲也くん。
宮澤:ああ、ごめんなさい。はい、はい。
田中:解説者~。
宮澤:いや「テツ」って言われても。解説者は下の名前では呼ばないんで。申し訳ない。
栗原:何でテツが出てきたんだっけ。
下條:
君と同期。
栗原:それでテツから3点取って優勝したんですよ。それが思い出だったんですよ。
田中:はい、終わり。
宮澤:3点入れたんだ。それはテツくん、憶えてるの。
栗原:テツは憶えてます。
宮澤:栗原選手にやられたと。そんな話、昔したことある?
栗原:いや、今もたまにします。
宮澤:「お前、憶えてんだろ~」みたいな。
栗原:どうだろうな、わからないけど。何気なく「あのとき3点取ったよな」みたいな。
宮澤:でも下條さん、それからディフェンスになるわけですよね。
下條:
そうだね。でもディフェンダーになってもF ・マリノスに入ってからも点は何点も入れてると思います。ついこの間まではオーバーヘッドキックとか大好きでやってて、ちょっと勘違い入ってましたけど。
会場:笑い
下條:
最近はあんまりやらなくなった。まだまだフォワードの欲が少しあるのかなとか、思いながら見てますけど。だから残り時間が少なくなって負け試合で、岡田監督が前に行かせてくれたときなんか、もう生き生きとしてる。
宮澤:そうですか、栗原選手、やっぱり。
栗原:いや、まあ、そうです。
宮澤:いつも自分のゴール近くじゃなくて、相手のゴール近くがいいと。
栗原:フォワードってあんまりプレッシャーがないじゃないですか。思い切ってできるじゃないですか。それが好きなんですよ。
宮澤:そうなんだよな。俺もディフェンスだったけど、後ろから見てるとフォワードはいいなって。外してもあれだしとか。そういう風に思ってるんだ、やっぱり。
栗原:でも、それが慣れちゃうとダメなんですよね。
宮澤:坂田くん、そういう風に思われてるんだって。プレッシャーなくていいなだって。
坂田:本当、そうっすよね。一つのミスじゃ負けないじゃないですか。例えば外しても。ディフェンダーはきついっすよね。
宮澤:ありがとうございます。ディフェンダーはキツいですね、いろいろとね。下條さん、田中隼磨選手はどういった特徴が。
下條:
さっきミシェルさんが言ってたとおり、隼磨は疲れを知らない男ですから、相手が疲れた頃に仕事をやる奴ですね。相手が元気なときは、あまりいいものを見せられないけど。
宮澤:なるほど。でも、それも彼の大きな特徴ですよね。あの運動量というのは。
下條:
そうです。技術的なものも最近は目立ってよくなってきてますけど、やっぱり一番は、トレッド・ミル(ウォーキングマシン)ってあるじゃないですか。
宮澤:キツい練習ですよね。
下條:
昔は、今もまあ、そこそこのところで止めますけど。
宮澤:どこまで走れるかっていう。
下條:
隼磨はどこまで走れるかってやっても終わらない。
宮澤:最後、倒れるところまでなんですけどね。もう、無理だってところまで追い込むんですけど、その「無理だ」がないんですね。
下條:
そうだね。
宮澤:体力検査というのが各チームでいろいろ行われるんですけど、そのときに酸素マスクを口に付けて、ガーッて。昔、中田(英寿、イタリア・フィオレンティーナ)選手がよく追い込んでるシーンとかテレビに出てましたけど、そういう練習で田中選手は非常に強かったというお話です。
下條:
それに比べて、坂田はそういうの、全然ダメだったよね。
宮澤:最初から自分で言ってましたよ。「俺は短い距離だ」って。
田中:でも試合中、走ってますよね。
宮澤:どうですか、走ってるよね。
坂田:なるべく走れるように頑張ってます。
宮澤:でも、瞬間的にグッと出られるのは。
下條:そうだね。いきなりトップスピードになるからね、坂田の場合は。
宮澤:でも何本もいけるじゃないですか、それで。
下條:ディフェンスをするようになってきてから、体力が徐々についてきたんじゃないのかな。
宮澤:前線から守りを。
下條:そうそう。
宮澤:その前までは守りをしなかったですか。
下條:たぶん、頭のなかでディフェンスの占めてるパーセンテージがすごく少なかったと思うのね。
坂田:そうっすね。年々、サッカーが変わってきてるじゃないですか。そういうところがやっぱり入るじゃないですか。
宮澤:でも自分のなかでは、「点数取れればいいだろう」とかないですか。
坂田:そうなったら試合に出れなくなっちゃうんで。イヤでもやらないと。
宮澤:今、イヤでやってるんですね。
坂田:もう、慣れました。
宮澤:なるほど。でも、いい特徴は昔から点数に絡んでいくという。
下條:
そうですね。坂田の場合は結構、右も左も両方ともシュートを入れる確率が高いんで。思い切りがいいというのが、一番いいんじゃないですか、坂田は。
宮澤:見るからに思い切りがいいですよね。
下條:
裏を返せば、簡単なシュートを入れないというのがあるんですけど、でもペナルティエリアの外から何本か入れてるのも記憶ありますね。
宮澤:そういうのは、何かアドバイスを受けてやったというのはあるんですか。こうしても点数取れないから、こうだとかって人に言われてやってるものなのか、それとも自分で築いていくものなのか。
坂田:例えば監督から言われたら、その助言みたいなものは大事にするし、自分で試合を観て振り返ることも。
宮澤:自分の試合を。岡田(武史)監督ってそういうの厳しいですか。何か言われたりする? 直接、岡田監督から。
坂田:ときどき言われます。
宮澤:どんなことで。
坂田:プレーに関する。あんまり言わないんですけど。
宮澤:あんまり普段は言わないんですか。
坂田:はい。
宮澤:「お前が取っとけば勝てたのに」、そういう言い方しない?
坂田:あ、でも。
宮澤:するでしょ。
坂田:するか。
宮澤:するよな。
田中:ミシェルさん、うれしそうですね。
宮澤:(笑)。俺も半年ぐらい習ってたことがあるんですよ。「あのとき入れねーから勝てねーんだ」とかって、昔はもっと厳しかったのよ。それで、田中隼磨選手の活動量っていうのはどこから来てるんですかね。
下條:
まずは私と出身地が一緒だということがありますね。
宮澤:どちらでしたっけ。
下條:
松本市という、高地対策には使えませんけど。
宮澤:えっ。
下條:
長野の松本です。
宮澤:うちのおふくろもそうなんですよ。
田中:聞いてないです(笑)。
宮澤:聞いてないですか、ごめん。長野、そうなんですか。
下條:
そうなんです。たまたま隼磨が松本で、僕も松本出身なんですけど。やはり多少、小さいときにそういう高いところで育つと違うようです。
田中:酸素が薄いんですよ。で、こっちに出てきて酸素がいっぱいあるから、疲れないんですよ。
宮澤:栗原選手、どうですか。本当だと思いますか。
栗原:下條さんは体力、あったんですか。
下條:
体力は中くらいだね。勇蔵よりはあったと思うけど。
栗原:じゃあ、あんま関係ないと思います。
宮澤:はい、まとめていただきました。第3問「高校サッカーにあこがれた事がある」。この質問に「yes」と答えた坂田選手。高校サッカーにあこがれた事がある。
坂田:あこがれはありました。テレビでやってたじゃないですか。あの曲とか。
宮澤:曲って何ですか。
田中:あった、あった。
坂田:ティーティーティーティティ~。
田中:もう一回、もう一回。
宮澤:もう一回お願いします。
坂田:ティーティーティーティティーティティティティティティ~。
宮澤:「うつむくなよ~♪」ってやつですよね。
田中:うつむくじゃないです。うつむいちゃダメじゃないですか。
宮澤:ああ、そうか。まあ、やっぱりテレビで取り上げられてるということで。
坂田:何か、あこがれが。
宮澤:悔しさみたいな。
坂田:悔しさ? 
宮澤:そう。
坂田:高校の頃か。……ないです。
宮澤:高校サッカーにあこがれたことは。
坂田:なかったです。もっと小さい頃に高校サッカーにあこがれはありましたけど、高校のときはなかったです。
宮澤:田中隼磨選手はどうですか。
田中:僕、「no」ですよね。ないです。
宮澤:あ、みんなない。栗原選手も。
栗原:どっちを挙げたか忘れちゃった。
田中:ミシェルさん、適当ですよ。
宮澤:でも、やっぱりあこがれたことはある。
栗原:あこがれっていうか、小さい頃ってクラブのユースがあるってわからないじゃないですか。だから高校サッカーしかわかんなくて。
宮澤:自分のなかでね。でもクラブユースを選ぶわけですよね。
栗原:そう……みたい。
宮澤:それは自分で試験を受けて入った。セレクションでしょ。みんな受けてるんだよね、セレクション。裏口入学じゃねーだろ。
坂田:隼磨はスカウト。
宮澤:クラブ側が声をかけて。
下條:
そうです。みんなセレクションを受けてると思います。特に今F ・マリノスのプライマリーってチームがありますけど、基本的にはみんな違いますから、セレクションを受けてきたと。隼磨はスカウトされて、松本からはるばるやってきたという状況ですから。
宮澤:そうですよね、家元を離れて。でも、どういう気持ちで来られたんですか。
田中:気持ちですか。親がいないと寂しいなと。
宮澤:そうだよね。でも、やりたくて来た。
田中:そうです。
宮澤:その頃はもう、野球を忘れてる。
田中:いや……、忘れてる。
宮澤:えっ。
田中:忘れてる。忘れてます。
宮澤:でも寂しいよね。
田中:寂しかったですよ。
宮澤:それで、どこに。
田中:寮に入ったんですよね。高校1年生から寮生活でした。親元を離れて。
宮澤:ユースを選ぶというのは、どうして。みんな声をかけられてユースを選ぶの。栗原選手、坂田選手も。下から上がって、上のチームに取ってもらえるという。
坂田:何人かだけ声をかけられて、上に上がれるようになってるんです。
下條:横浜市の場合は、横浜市選抜に入ってる人間は、大体F ・マリノスのセレクションに来るんですよ。で、当時は横浜フリューゲルスもそうなんですけど、目立つ子には声をかけて「テストに来ないか」という状態ですね。だから今は隼磨みたいな、他の県からJリーグのチームに来る子、すごくたくさんいますよ。
宮澤:そうですか。そういう時代になってきましたなあ。
下條:
そうですね。
宮澤:苦しかった思い出というのはありますか、栗原選手。スッと下向かないで! ユースを継続していく上で、これは苦しかった、これはイヤだったとか。
栗原:……。
会場:笑い
宮澤:坂田選手はどう? ユースをやっていく上で、苦しかったこととか。
坂田:やっぱ交通の便が。
宮澤:どういうこと?
坂田:行くじゃないですか、練習に。それまで片道1時間半とか。
宮澤:そんなにかかるんですか。
坂田:夜は終わるのが9時過ぎとかだから。
宮澤:自宅に着くのは。
坂田:12時前ぐらいですね。
宮澤:ほとんど毎日。
坂田:毎日。
宮澤:ふわー。勉強できないね。
坂田:もう、勉強は捨ててました。
宮澤:でも、それはよくやり遂げましたね。
坂田:キツかったですね。
田中:でもそれで、僕はそこから洗濯とかひとりでやってたんですよ。親がいないじゃないですか、僕は寮だから。洗濯をやって。食事は寮のおばちゃんがいるから。だからたぶん、坂ティより僕の方がキツい。
宮澤:そういうことか。
田中:それが言いたかった。わかってくれます?
宮澤:栗原選手はどう。そろそろ思い出した?
栗原:考えてなかった。
宮澤:苦しいなーというときは。
栗原:坂ティと似ていて。似ていてっていうか、まあ、ほぼ一緒なんですけど、学校が終ってサッカーに行って帰ったらやっぱ遅くなっちゃうんで。もう、すごい眠くて。すごい勉強したかったんですけど。
宮澤:えっ、勉強したかった?
栗原:勉強、すごいしたかったんですけど、そのせいっていうか、まあ、できる人は両方できるいと思うんですけど、僕は一つしかできなかったので、サッカーにしました。
下條:
当時はね、今のユースの選手よりもっと大変だったと思うし、安達(亮、日本サッカー協会ナショナルコーチングスタッフ)監督、練習が長かったかな。ね。
宮澤:その頃の監督。
下條:
熱血漢ですから、たぶんこいつらの出来が悪ければもう、何回も何回もやらせてという感じだったんだと思います。
宮澤:そうでしたか。
坂田:辛かったことが一つ。フリューゲルスのとき、9時にグラウンドが閉まるんですよ、電気を全部、落とされて。
宮澤:夜の9 時に。
坂田:そのときに練習が終わるんです、初めて。で、そこから今度、片付けをするじゃないですか。周りは山なんですよ。杉が立ってるところで。ボールが一個ないたび、ひとり坊主にしなきゃいけなかったんですよ。
田中:そう。
坂田:電気は落ちちゃってるんですよ。
宮澤:うわー、真っ暗いなかで。
坂田:一生懸命探したんですよ。それが一番、怖かったです。
宮澤:ユースと聞くと、そういう根性論というのはあまりないのかなと思うんですけど。
田中:うちだけはありましたね。周りはなかったんですけど。
宮澤:そういう厳しさがあったんですね、その頃も。
下條:やはりクラブチームをちゃんと指導しなきゃいけないというのがどうしても当時は。今でこそ高校と比較される部分というのはほどんどないですけども。やはり、いわゆる高体連のチームと比較されることが多かったので、より厳しくやっていた時代だったと思います。
宮澤:そういうことを受けて、厳しさのなかで、やはり目標はJに置いてましたか。その頃はそういう目標って描けるんですか。
坂田:描けなかったですね。高2 ぐらいから、本格的に。
宮澤:田中選手は。
田中:僕は本格的に横浜に出てきてから、やっぱりプロにならなきゃいけないなっていう自覚は。
宮澤:家を出てきたから。栗原選手はいつ頃。
栗原:プロになれると思ったのは、高2 の終わりぐらいですね。
宮澤:高校2 年の終わり。なれると思った。
栗原:なれると思ったっていうか、そういう雰囲気っていうか。
宮澤:ほぉほぉ。
栗原:大体、わかるんですよ。
宮澤:自分で感じてるわけだ。
栗原:チームでもう、お前は上がるぞみたいにな感じになっていたからもう、ちょっとわかっていたから。そのとき初めて、俺、プロになれるんじゃないかなって。
下條:そういう雰囲気が伝わってきたの。
栗原:伝わってきたんじゃなくて、普通にトップの練習に行ったりだとか。
宮澤:呼ばれて。
栗原:だからもう「ああ、トップ上がれるのかな」って、そういう感じですね。
宮澤:なるほどね。
下條:
トップの練習に呼ぶ奴を慎重に選ばないとならないね。みんなそういう風に勘違いされちゃうといけないから。
宮澤:先ほどの「サッカーを辞めたいと思ったことがある」という質問。坂田選手は「yes」。辞めたいと思ったことがある。
坂田:それは何度かあります。
宮澤:一番、思い出に残っている、辞めようかなというときはいつ頃ですか。
坂田:高校ぐらい。周りもみんなバイトとかしてお金持ってて、遊んでるじゃないですか。もう俺は学校が終ってすぐ、本当にすぐ、行かないといけなかったんで、遊べないし。そういうのはキツかった。
宮澤:やっぱり遊びたくなる。
坂田:なりますね。
宮澤:友だちと一緒にどこかに出かけたくなるよね。なるよね、田中選手。田中選手は家を出てきちゃったからないか。
田中:ならないです。だって僕、「no」ですもん。
宮澤:遊びたい気持ちになったことはない。
田中:気持ちにはなりますけど、サッカーがあるからいいやという考えでした。
宮澤:そこで自分をコントロールしてきた。
田中:はい。
宮澤:栗原選手はどうですか。辞めたいと思ったことは。
栗原:辞めたいと思ったことは結構あります。
宮澤:いつ頃に。
栗原:いや、いつもです。今は違いますけど、小学校もありますし、中学校もあるし、高校のときにもあります。
宮澤:それはどういった。例えば中学では何がキツかった。先輩後輩の関係とか。
栗原:いや、何だろう。サッカーがうまくいかないっていうのもあったし、坂ティと似たようなもんで。周りが遊んでると、一緒になって遊びたいじゃないですか。特にサッカーがうまくいってないときとかは、すごい楽しそうに見えちゃうんですよ。
宮澤:そういうとき、どうやってくいしばるの。高校時代もそうだったと思うし。
栗原:うーん、そういうときは結構、適当にやるんです、練習を。
宮澤:とりあえず、練習しとこうっていう。
栗原:もう別に、いつ辞めてもいいや、みたいな感じで。結構、そういう捨て身になると強くなる。適当にやるわ、みたいな感じで思うと、何かうまくいっちゃったりとかして。もうちょいやるかって。
宮澤:大体、Jリーグでもうまくいってるのは、捨て身のとき。
栗原:今は必死なんですけど、中学校のときや高校のときは、どうでもいいやっていう考えがあったんですよ。で、今日は辞めに行こうみたいな感じで。
宮澤:辞めに行く?
栗原:それは練習が終ってから言いに行こうと思って、練習をちょっと適当にやるじゃないですか。
宮澤:いつも適当だ。
栗原:いつもじゃないですけど。辞めてもいいときとかってそうなるじゃないですか。ふてくされてるじゃないけど、そうすると何か、楽しいなって。
宮澤:やっていて楽しいんだ。
栗原:やっぱり、うまくいくと楽しいじゃないですか。そういう感じです。「あれ、楽しいな」と。
宮澤:そういったときに、例えばある指導者に自分が助けられたというのはないかね。
栗原:それはたぶん、あると思うんですけど。
宮澤:田中選手はそういうの、感じたことはない。指導者に俺は呼び戻されたな、みたいな。辞めようと思ったときに。
田中:僕「no」。
宮澤:あ、そうか。坂田選手は。
坂田:ユースの頃、監督に「辞める」って言いに行って……

後編へつづく

取材・構成:CREW
撮影:大崎聡