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稲垣純一 日本代表チームディレクターの月イチレギュラー対談
すべてはラグビー界の未来のために



Vol.8 ゲスト
甲斐 よしひろ
-前編-

日本ラグビー協会の稲垣純一日本代表チームディレクターが、毎回ラグビーに造詣が深いゲストを迎えて、ラグビーの魅力やラグビー界の未来について語り合う対談企画。第8回のゲストは、ロックミュージシャンの甲斐よしひろ氏。小学生の頃からラグビーを観戦し、ラガーマンたちと交友を深め、花園ラグビー場での伝説のライブも行った甲斐氏。9月に開催される『ラグビーワールドカップ(RWC)』、2019年に日本で行われる『RWC』への熱い思いを語り合った。
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稲垣純一氏・甲斐よしひろ氏

甲斐よしひろ氏 ――甲斐さんには「伝説」と言われる、甲斐バンドの「花園ラグビー場ライブ」があります。まず、そのお話から聞かせてください。

甲斐 あれは1981年9月13日でした。2万5千人以上の聴衆が集まりました。当時、大阪でそれだけの人数が集まったのは画期的でしたが、1曲目から聴衆が興奮して、大暴動が起こりそうでした。僕が演奏を中断して観客を20分かけて説得し、平静を取り戻してくれましたが、今に至るまでライブで演奏を中断したのは、あのときだけです。おかげで、今でも僕がテレビ番組に出演すると、あの映像が流れます(笑)。

稲垣 ラグビー場でコンサートを開催した初めてのケースでしたね。数年前に、秩父宮ラグビー場でNEWSがコンサートをしましたが、そのとき日本協会の広報スタッフが「ラグビー場で初めてのコンサートでは」と質問をしたので、私が「甲斐さんが花園ラグビー場で行なっているから初めてではない」とチェックしたことを覚えています。

甲斐 そうですか。僕は当時「ロックは格闘技だ!」をキャッチフレーズにしていたのですが、それが花園ラグビー場でコンサートを行うきっかけになりました。その流れで、両国国技館のこけら落としも僕がやることになりました。

――ラグビーに興味を持たれたのはいつ頃からですか。

甲斐 初めてラグビーを見たのは、小学生の頃です。僕は博多のど真ん中で育ったのですが、福岡はラグビーが盛んで、当時は九州電力が花形チームでした。

稲垣 八幡製鉄と九州電力が激突していた時代ですね。

甲斐 そうです。そのときに強烈な印象を受けました。
 僕は男4人兄弟の末っ子なので、兄たちの影響を強く受けました。つまり、任侠映画とロックとプロレス、それにラグビーという空気のなかで育ったわけです(笑)。土曜日に学校から家に帰ったら、兄たちがラグビーの九州大会を熱中して見ていたのを覚えています。

――甲斐さんは、多くのラグビー選手と親交があると伺っています。

甲斐 はい。なぜか、明治大学ラグビー部OBの方が多いですね(笑)。森重隆(日本ラグビーフットボール協会副会長)さんとは福岡出身ということもあって、僕のラジオ番組に出演してもらったこともあります。非常に話が弾んで、1週のオンエア予定が2週になりました。いったい、どれだけ話すのだ、という感じでした(笑)。

稲垣 今、キヤノンイーグルスの監督をしている永友洋司くんの結婚式にも出席されて、歌を歌っていらっしゃいましたね。私も出席していたのですが、無料でコンサートを聴けたような、非常に得した気持ちになりました(笑)。

甲斐 河瀬泰治(摂南大学監督)くんに菅平に連れて行かれたこともありましたよ。
 1988年頃でしたか、僕も甲斐バンドを解散してソロ活動をしていた時期ですが、河瀬くんも現役選手から指導者に転身しようとしている時期で、その熱に打たれました。僕自身、バンドではプレイング・マネ-ジャー的な役割を果たしていますので、非常に刺激を受けました。
 とはいえ、呼ばれたのは、おそらく夜の“宴会要員”としてだと思います(笑)。ただ、宿泊したホテルのオーナーが花園ラグビー場でのライブ映像を流してくれたり、花園ラグビー場でコンサートをやったことが、名刺代わりになったのでしょうね。

――最近の試合もご覧になっていますか。

甲斐 ラグビー界のスーパースター、ジョン・カーワンが日本代表のヘッドコーチ(HC)に就任したときは非常に期待しました。ただ、素人考えながら「いや、日本人のタックルはそうじゃないのでは?」という思いがあって、今のエディー・ジョーンズHCになったときに「このラグビーの方が日本に向いている」と思いました。
 僕は80年代にニューヨークでレコーディングをやっていましたが、そのときにアングロ・サクソン系の白人スタッフと仕事をしながら、僕たち日本人との体質の違いについていろいろ考えさせられました。彼らには「肩こり」がない(笑)。肉で言うと日本人は霜降り、向こうはアメリカンステーキという感じで、おそらく筋肉の質も違うのでしょう。その点で、エディーさんは、日本人の体質をよく理解していると思っていました。だから、よけいに期待が高まりました。

稲垣氏 稲垣 おっしゃる通りです。日本のラグビーをずっと見ていますし、サントリーサンゴリアスを指導していたときも、日本人の体質に合ったラグビーを志向していましたから。

甲斐 確かにサントリーのラグビーはすごく良かったですね。相手にタックルにいくスピードや姿勢が、日本人の体質に合っていると言うか、理に適っていると思っていました。

稲垣 エディー自身、オーストラリアでは非常に小柄な方ですし、彼の母親は日本人ですから。

甲斐 そうではないかと思っていました。だから、説明してもわからないような筋肉の質の違いまでわかるのでしょうね。9月に行われるラグビーワールドカップ(RWC)では「ついに何かが起こる」と期待しています。
 僕は、日本代表は日本人だけで構成すべきだとは考えませんし、今は非常にいいバランスでチームが構成されていると考えています。カーワン時代の試行錯誤を経て、経験も積み、そうした時間の流れ、歴史があって、現在の代表がある。そう、とらえています。

稲垣 非常に力強いお言葉をいただき、ありがとうございます!
 エディーは就任以来一貫して「JAPAN WAY」を掲げて、「体が小さい日本人が、体の大きな人間と同じプレーをしても勝てない」と言い続けてきました。それが低い姿勢のタックルであり、80分間走り続けてボールを渡さない、今のラグビーにつながっています。

甲斐 本当にボールを保持する“ポゼッション・ラグビー”ですよね。
 先日のサッカー女子ワールドカップで準優勝したなでしこジャパンも、単にボールを保持するだけではなく、タテやサイドに緩急をつけて突破を図り、それがダメならさらに攻める方向を変えていましたが、エディーさんがやっているラグビーと、まったく同じように感じました。僕は、佐々木則夫監督とエディーさんの対談記事も読みましたが、ふたりとも同じことを言っていますよね。

稲垣 佐々木監督に限らず、エディーは各競技で世界と戦った人たちに非常に興味を持っています。侍ジャパンを率いた原辰徳監督や、女子バレーボールの眞鍋政義監督、男子サッカー日本代表の岡田武史元監督に、話を聞きに行っています。みなさん、「日本人らしく戦う」ということで共通しています。原監督は「日本人が国際舞台でホームランを狙うのは難しいから、1塁ランナーを確実に次の塁に送れるバッティングができる選手から代表に選ぶ」とおっしゃっていましたし、眞鍋監督も「日本人はレシーブで拾いまくる以外に活路を見い出せない」とおっしゃっていました。

甲斐 結局、大松博文(東京五輪女子バレーボール監督)さんの基本に戻るのですね。

稲垣 そういうところを徹底的にやるのが、みなさんに共通していたところでした。

甲斐よしひろ氏 甲斐 つまり、日本人の流儀のなかで実験して、独特のプレーを作っていくということですね。欧米の借り物ではダメですよ。その点で、みなさん、発想が独特ですね。
 僕は、バンドでは作詞作曲をして、リードボーカルもアレンジもやって、プロデュースも手がけていますから、スポーツを観戦しても、選手を見るより監督を見る方が好きです。それは、プロデュース・マインドが強いからでしょうね。特に、指導者が、自分の考えをどう選手たちに落とし込むかに、非常に興味があります。

稲垣 どの競技でもそうですが、自分がやってきたことを選手に伝えるのではなくて、この選手たちをどう鍛えれば勝てるかを考える指導者がベストである、ということでしょうね。

甲斐 自分の経験をいくら選手に伝えても、選手は“自分”とは違います。似たようなことは、ライブでもときどきありますよ。テレビカメラが入ったときに、プロデューサーから「照明はローリングストーンズみたいなライティングがいい」と言われたことがありましたが、僕としては「じゃ、その照明の人を連れてきて」としか答えようがない(笑)。

稲垣 まさにそういうお話ですね(笑)。

甲斐 サッカー日本代表のイビチャ・オシム元監督もそうでしたし、エディーさんもそうですが、日本の流儀でやらないと意味がない、ということを言いますよね。海外のさまざまなところで経験を積んだ指導者たちは、それぞれの国の流儀や考え方、文化、思想を踏まえて強化しないと、選手たちに血肉化されない。そういうやり方でしか、選手たちも納得しないということが、わかっているのでしょうね。
 実際、エディーさんがサントリーでやっていたラグビーは、僕が見ていても、「ああ、日本人に合っているな」と腑に落ちましたから。

稲垣 エディーは、練習の段階からこの練習がどういうプレーにつながっていくのかといったことを、選手たちにきちんと伝えていました。だから、選手たちも納得して取り組んでいました。

甲斐 反復練習を徹底してやらせているのが、試合を見ていて感じられました。テニスの錦織圭選手が、マイケル・チャンコーチのもとでやっているのも、同じような徹底した反復練習ですよね。だから、しっかりしたプレーができる。
 どのスポーツでもそうだと思いますが、単純な基本動作を正確に繰り返すのは、実は非常に難しい。それは、ライブとも共通しています。ライブは、毎回違う聴衆の前で毎回同じ内容で、違うショーをやる。それをどこまで正確にできるか。そのためには興奮し過ぎてもダメですし、最初の3曲で自分たちが乗らないと、聴衆もまた乗ってこない。それと同じです。
 昔、広島カープが初優勝した当時、ゆるいゴロを真正面で捕る練習を徹底したと聞いたことがありますが、演奏も同じで、テンポの速い曲をリハーサルで上手くできなかったときは、一度テンポを落として、ゆっくり正確に演奏するところから練習します。そうやって、いろいろな角度からリハーサルをして練り上げていくのです。それは、誰かが教えてくれるようなことではありません。自分たちのバンドを一番理解しているのは自分たちですからね。

稲垣 今年、ジャパンの選手たちが集まったファースト・ミーティングで、エディーは錦織選手の話をしていました。なぜ身長178cmの錦織選手が、190cm台の相手に勝てるのか。それはラグビーと同様に、徹底したフィットネスがあるから。だから、相手のどんな球にも対応して、打ち返すことができる、と。それから、頭を使うこと、つまり、戦略の大切さを強調していました。
 日本らしい戦略を立てて、フィットネスを鍛えて世界で戦う――まさにそれが、エディーがラグビーでやろうとしていることです。

取材・構成●永田洋光
撮影●大崎聡 >>後編はこちら

PROFILE

甲斐よしひろ●かいよしひろ
1953年、福岡県生まれ。1974年、甲斐バンドを結成し、『バス通り』でデビュー。1978年発売の『HERO(ヒーローになる時、それは今)』でシングルチャート1位を獲得。ソロで活躍するとともに、甲斐バンドとして昨年40周年を迎えた。昨年、野音で行われたLIVEのDVD『Complete 日比谷野音 LIVE』が36ページ豪華ブックレット付き2枚組で好評発売中。2015年10月より『甲斐よしひろ 2015 愛のろくでなしツアー3』を開催。

稲垣純一●いながきじゅんいち
1955年、東京都生まれ。1978年慶應義塾大学を卒業し、サントリーに入社。1980年ラグビー部・サンゴリアス設立と同時に参加、初代主将となる。 その後、慶應大ラグビー部コーチ、サンゴリアス副部長、ディレクターを経て、2002年にGMに就任。2007年にトップリーグCOOに就任。現在は日本ラグビー協会・日本代表チームディレクターを務める。



日本ラグビー協会、稲垣純一・日本代表チームディレクターの月イチレギュラー対談、すべてはラグビー界の未来のために。ラグビーの魅力やラグビー界の未来について語り合う対談企画。2019年ラグビーワールドカップの成功のヒントがここに!