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稲垣純一 日本代表チームディレクターの月イチレギュラー対談
すべてはラグビー界の未来のために



Vol.9
稲垣純一
-最終回・スペシャルインタビュー-

日本ラグビー協会の稲垣純一日本代表チームディレクターが、毎回ラグビーに造詣が深いゲストを迎えて、ラグビーの魅力やラグビー界の未来について語り合ってきた対談企画。ホストの稲垣氏が、日本協会を離れて古巣のサントリーに戻った。トップリーグ開幕から数えて12年。日本ラグビーが、ドメスティックな殻を破って世界に打って出ようとした動きを、常に現場でリアルに見つめてきた稲垣氏は、今回のRWCでのジャパンの活躍を、そしてこれまでの仕事を、どうとらえているのか――最後のインタビューで、たっぷりと本音に迫った。

稲垣純一氏

稲垣純一氏 ――ラグビーワールドカップ(RWC)で日本代表が、南アフリカ代表スプリングボクスを34-32と破るなど、3勝1敗と素晴らしい成績を残しました。チームディレクターとして感無量だったのではないですか。

稲垣 南ア戦は、不安になった場面もありましたが、いい意味で興奮して見ていました。
 相手に点を取られても、すぐにジャパンが取り返して大きく得点差を離されることがなかった。だから選手たちの集中力が切れなかった。後半28分に、ラインアウトからのサインプレーで五郎丸歩がトライを奪ったときは、「後半のこの時間帯で同点に追いついたら、あとはもう行くしかないだろう」と思っていました。
 私はメンバー外の選手たちと一緒にスタンドの上の方で見ていたのですが、試合終盤の時間帯は、廣瀬俊朗が「もうベンチに降りよう」と言って席を立ち、ピッチサイドにあるベンチに向かいました。決められた動線ではなかったので、警備員に止められるかと思いましたが、彼らも「どうぞ、どうぞ」と通してくれた。スタンド全体がジャパンを応援しているムードでした。
 3点リードされて試合終了直前にペナルティキックをもらったときは、その場にいたほとんど全員が「スクラム!」と叫びました。エディーからの指示をインカムで聞いていたチームマネージャーの大村武則だけが「ショットと言ってます!」と叫んでいましたが、私も含めてベンチにいた全員がスクラムを選択して、トライを狙うべきだと思いました。相手がシンビンで1人少ないこともありましたが、「ここまで練習してきた以上、最後はスクラムで勝負するしかない」という思いがありました。
 たとえ結果的に負けても悔いはないし、同点で試合が終わってもそれほど嬉しいとは思えなかった。ヘッドコーチ(HC)のエディー・ジョーンズだけがちょっと弱気になっていましたね(笑)。
 実は、勝ったあとのことはあまり記憶に残っていないのですよ(笑)。ホテルに帰るバスのなかで、ふと「あれ、なんでバスに乗っているのだろう?」と思ったぐらいです。その辺りまで、断片的にしか記憶がありません。そのぐらい興奮していたのでしょう。

――対戦相手の南アには、SHフーリー・デュプレア、NO8スカルク・バーガー(以上サントリーサンゴリアス)、WTBのJP・ピーターセン(パナソニックワイルドナイツ)と、トップリーグでおなじみの選手たちがいて、彼らと普段から試合をしていることもこの勝利につながりましたね。

稲垣 サモア代表SOのトゥシ・ピシ(サントリー)もそうですが、対戦国のキープレーヤーがトップリーグでプレーしていて、分析材料が豊富にありました。選手たちも彼らと初めて対戦するわけではなかったので、その点も非常に大きなプラスになりました。
 2003年にトップリーグを立ち上げたときに目指したのは、まさにこうしたことでした。
 トップリーグは、日本のラグビーを強くする、広める、社会に貢献するを3つの柱にしてきましたが、今回の勝利でその役割がはっきりと認識されたと思っています。
 トップリーグの目的は、日本一のチームを決めるためのシステムというだけではなく、ジャパンを強くすることにある。ジャパンが強くなれば、トップリーグも活性化されるといったサイクルを作ることが非常に大事だったのです。今はまさに、そうした事態が起きている。これまで積み上げた成果が出て、今季の開幕戦のチケットも完売しましたし、7人制男子代表のオリンピック予選もTBSが地上波で放送してくれました。今はラグビーに対してフォローの風が吹いています。
 それを作り出せたのはジャパンが活躍したからです。
 数年前、日本ラグビー協会の理事会で日本代表強化にコストがかかり過ぎるという議論がありましたが、そのとき佐治信忠副会長(当時)が「選択と集中」という言葉で、代表強化への投資を訴えた。そのおかげで、他の分野が財政的に苦しい思いをしているなかで強化を進めることができました。ですから、そこに「選択と集中」で投資してきたのは間違いではなかったのです。
 今回は、本当に我々が期待した以上の効果が現れたと思っています。

稲垣純一氏 ――今大会は、ファンの期待が非常に大きく、またエディーHCも「目標はベスト8」と宣言していました。その分、大会前はプレッシャーが強かったのではないですか。

稲垣 開幕前は、強化の過程を見てきた者として、「なんとしても勝たせてあげたい」という気持ちになりました。「ここまでやって勝てなかったらどうする」というところまで選手・スタッフたちが努力してきました。正に極限のハードワークでした。最高の選手たちと最高のスタッフを揃えて、日本ラグビー協会としてもできる限りのことをして臨む「大勝負」でした。結果が出なかったら、これまでの強化プロセスが否定される恐れがありましたし、チームディレクターとしては「負ければ腹を切る」ぐらいの覚悟でいました。私自身、この大会を最後に、日本協会を離れてサントリーに戻ると決めていました。
 選手たちは、日本を出発するときに、「ゴールが見えた」といった表情をしていました。これまでずっと厳しい練習を重ねてきて、いよいよ残すはRWCだけとなった。あとは成果を出すだけだと覚悟を決めていたのでしょうね。
 現地に入っても、チームはまだ暗中模索している部分もありましたが、目標がハッキリしている分、まとまりはありました。「もう、やるしかない」という前向きなとらえ方でした。モチベーションも上がっていて、選手たちから「勝ちたい」という強い意欲が感じられました。
 今回、エディーたちコーチングスタッフを見ていて非常に良いと思ったのは、南アフリカ代表戦の前は、南ア戦の話しかしなかったことです。6月の段階では毎週、今週は南ア、来週はスコットランド……といったように対戦国別の対策に取り組みましたが、大会が目前に迫ると南アの話以外はしなくなった。つまり、南ア戦は力試しの場でもなかったし、「負けてもまだスコットランドがある」といった考え方にはならなかった。それが良かったと思います。
 それから、これは私の個人的な経験ですが、9月19日の試合前に南アのメンバー外の選手たちが、試合会場でスタッフと一緒に記念写真を撮っていた。その姿を見て、「彼らはなめてるな」と思いました。それまでは、勝てると思いながらも、正直なところ不安もありましたが、そのとき「隙があるぞ」と思いました。試合に関係のないスタッフが、メンバーたちと不要な接触をしないように気を遣っていたジャパンとは、まったく違っていましたからね。
 もうひとつ、これは少し"神がかり"みたいな話になりますが(笑)、ブライトンで練習中にダブル・レインボーがかかったのです。練習をしているジャパンの上に、二重の虹がかかったことで、「勝利の吉兆かもしれない」と思い、すぐに写真を撮って、協会に送りました(笑)。

――長い強化の過程で、特に印象に残ったことはどういうことでしょうか。

稲垣 6月は、ずっと宮崎で厳しい合宿を続けていましたから、長時間拘束されている選手たちには、不満がたくさんありました。しかも、練習は逃げ出したくなるぐらい厳しかった。
 そうしたところに、スーパーラグビーのチーム編成をどうするかという話が動き出していたので、選手たちを混乱させたかもしれません。彼らはとてもスーパーラグビーのことを考えられるような状態ではなかったし、実際、チーム内がギクシャクしたこともありました。
 ただ、そのときでも、選手たちは全員「RWCでは絶対に勝ちたい。その気持ちだけは揺るがない」と明言していました。それは大会が終わるまで変わりませんでした。「RWCに勝って日本ラグビーの新しい歴史を創る」という目標は誰ひとり揺るがなかった。 待遇面での不満もあったと思います。これだけ長い時間拘束されているのに、日当は決して高くない。私も相当悩みました。そうしたなかで「日本ラグビーの新しい歴史を創る」というひと言が、選手たちの心の支えになっていたし、私自身の支えにもなっていた。6・7月の苦しい時期を何とか乗り切れば、あとはいい結果がついてくるのではないか――それは、選手たちだけではなく、スタッフの間でも共通した認識でした。
 まあ、決して順風満帆にチーム作りが進んだわけではありません。だからこそ結果も出たのでしょう。エディーはひょっとしたら、そこまで計算して追い込んでいたのかもしれません。あえて嫌なことを言って嫌われ役を買って出たり……。スタッフもときには相当追い詰められた。 勝負に勝つためにそこまでやるのがエディーという人間ではないか。そう思いました。ある意味「鬼」ですよ。でも、鬼ではないと、日本ラグビーは強くはならなかった。それは確信を持って言えますね。
 一方で、エディーはチームをひとつにするための工夫もしました。
 福岡ソフトバンクホークスの王貞治球団会長を招いてスピーチをしてもらい、その後で日向市の大御(おおみ)神社にチーム全員でさざれ石を参拝しに行きました。
 王会長の話で非常に印象に残ったのが、こういうコメントでした。
「みなさんは今、苦労していると思いますが、結果が出れば苦労なんか忘れてしまいますよ」
 これを世界の王さんが言ったということだけで、私にはグサッと刺さりました。王さんは淡々としゃべっていましたが、やっぱりオーラが違いましたね。さすが「世界の王だ」と思いました。
結果的にエディーという強烈な意思を持った指揮官のもと、ひとつの目標に向かって強い絆で結ばれた選手たちと、それを支えたスタッフたちによって最高のチームづくりができたのではないでしょうか?

稲垣純一氏 ――稲垣さんは、サントリーでの監督、GMを経てトップリーグ創設に関わり、2007年には日本ラグビー協会に出向して、トップリーグのCOOも務めました。そうした経歴が、今回のRWCに役立ちましたか。

稲垣 実は、一番最初にトップリーグのコンセプトを打ち出したのは私でした。そのときは「ジャパンスーパーラグビー」という形でしたが、当時の日本協会ではなかなか理解が得られませんでした。でも、そのなかで真下昇さん(元日本ラグビーフットボール協会副会長)や宿澤広朗さん(故人・元日本代表監督)、それから坪井孝頼さん(故人・元日本ラグビー協会専務理事)といった方々が後押ししてくれて、スタートを切ることができました。それからあとは、私はプロフェッショナルな意識を持ってトップリーグやジャパンの運営に携わってきました。
 2007年にトップリーグCOOに就任したときから、各チームの担当者を中心にどうやったらお客さんが来てくれるか、どうしたらもっとラグビーの人気が出るのか、といったことを侃々諤々で議論しました。議論しながらも、全チームに「今がそのときだ」という共通認識がありました。ジャパンの強化に貢献するという意味では、できれば2011年のRWCぐらいまでに結果を出したい思いがありました。それがようやく今回のRWCでジャパンが勝ったことで、そのとき考えていたことが実現できる環境になった。導火線に火がついたという感触を、どのチームもつかんでいるでしょう。
 実は、4年前にジョン・カーワンの任期が終わった時点で、私はエディー・ジョーンズを強くヘッドコーチに推薦したひとりでした。日本代表監督の条件をクリアしている人間が目の前にいるのに、なぜ、この人をヘッドコーチにしないのかと、いろいろ動きました。大きな賭けでしたが、エディー以外にこうした状況は作り出せなかったと考えています。
 今回のジャパンでは、私自身がトップリーグの事務局にいたおかげで、どのチームとも腹を割って話せる環境でした。逆にチーム側の要望も理解できた。そういう環境が整ったからこそ、選手の招集もスムースに行きました。
 つまり、トップリーグができていなければ、この結果は生まれなかったと言えるでしょう。

――それを踏まえて、2019年のRWC日本大会を成功させるには、何が必要だと思いますか。

稲垣 個人的には、日本大会がイベントとして成功することは大前提だと思います。でも、それよりも大切なのは、2019年のRWCが終わった後に、日本のラグビーはどうなるのか――問題はそこでしょう。そのために、私はJリーグの中西大介理事(現常務理事)に話を聞きに行ったり、情報を収集していました。Jリーグは、ラグビーにとっても大切なベンチマークですから、そこから一つひとつ学んでいかなければならない。そうしなければ、これから海外に出て行く選手たちが増えるなかで、選手たちの方がさまざまな面で先に行ってしまうような状態になりかねないという危惧がありました。
 ラグビーは今、未来に向けて存在感を発揮する大きなチャンスを得たわけですから、日本協会のトップから明確なメッセージを発するべきでしょうね。リーダーが発信しなければ、ステイクホルダーもサポーターも、なかなか反応できない。彼らが見たいのは将来の姿です。その点で、エディーは「RWCでベスト8に行く」と一貫して言い続けてきた。それと同じように、目標を見据えた発信がこれからは求められるでしょう。そうすれば、本当に大きな変化が訪れると思います。

稲垣純一氏 ――これまでのさまざまな経験のなかで、これが最高だったと言えるのは、どんな経験でしょうか。

稲垣 日本協会に出向する前に、サントリーでGMを経験したのが大きかったですね。そこでさまざまなことを学びました。自分の経験を振り返れば、大学のときは試合には出ませんでしたが、15年ぶりに早稲田大学に勝ち、サントリーでスタッフをしているときに社会人で優勝し、日本一も経験して、今回ジャパンのチームディレクターとして世界の舞台で歴史的な勝利を挙げた。幸せなラグビー人生でしたね。それぞれに感動はありましたが、やっぱり今回の南ア戦勝利とRWCでの3勝は、別格です(笑)。
 今後は、協会から退くときに、ラグビーに関わるすべての活動にピリオドを打つと決めたので、これからはいちファンとしてラグビーを盛り上げようと思っています(笑)。

――最後に、これまでの対談を振り返ってのご感想をお願いします。また、この対談の読者にもメッセージをお願いします。

稲垣 まず、これまでの対談でお世話になった方々に感謝したいと思います。
 日本でトップの経営者の方やメディアのトップの方、他競技の現場トップの方や裏方でラグビーを支えていただいている方、トップアスリートの方も、スポンサーとしてラグビーを支えていただいた方も、イベント業界のプロの方やトップアーティストの方ともお話ができた。みなさんのお話がすべて非常に印象に残っています。自分の人生経験を豊かにしていただきました。
 今回、チームディレクターとしてRWCに臨み、南アフリカ代表を破ったのを皮切りに3勝できて、みなさまのご期待に添うことができました。今は、それを本当に嬉しく思っています。
 それから、この連載を読んでいただいたファンのみなさまにも感謝したい。みなさまの勝って欲しいという気持ちが、最後にジャパンの背中を押したと思っています。それが本当に大きな力になりました。新しくファンになった方々から、ジャパンが弱かった時代からずっと応援していただいた方々まで、みなさんに喜んでいただけて、本当に嬉しかったですし、改めて感謝したいと思います。本当にありがとうございました。

――どうもありがとうございました。


取材・構成●永田洋光
撮影●大崎聡

PROFILE

稲垣純一●いながきじゅんいち
1955年、東京都生まれ。1978年慶應義塾大学を卒業し、サントリーに入社。1980年ラグビー部・サンゴリアス設立と同時に参加、初代主将となる。 その後、慶應大ラグビー部コーチ、サンゴリアス副部長、ディレクターを経て、2002年にGMに就任。2007年にトップリーグCOOに就任。RWC2015では日本ラグビー協会・日本代表チームディレクターを務めた。2015年11月にサントリーへ帰任。



日本ラグビー協会、稲垣純一・日本代表チームディレクターの月イチレギュラー対談、すべてはラグビー界の未来のために。ラグビーの魅力やラグビー界の未来について語り合う対談企画。2019年ラグビーワールドカップの成功のヒントがここに!